あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

住み難くなったシンシナティ 完

2009-02-23 18:53:42 | まち歩き

木々に囲まれていないコミュニティーの家々は、周りは芝生でスケスケになり外部からの騒音や美観上でも損なわれた感じもする。このように最近開発された住宅は木々を残せば開発の邪魔になり、土地の有効活用が出来ないので取り除いて裏側だけ木々を残している。地理的便利性を求め、畑の中に立ち並び、芝生だけで木は一本もない地区や住宅が普通になってきた。当然環境破壊を増進させている。しかも2軒つながりのコンドウが多い。冷暖房は電気で完備されるし、冬の木々による電線なぎ倒しによる停電事故はないが、真夏の太陽も冬の強風もまともに受ける分、エネルギー損失は大きい筈だ。

一方、農地はシンシナティあたりでも遺伝子組み換え穀物が効率性から幅を効かせ、それ用の農薬が開発され使用されている。鳥の一種類は絶滅の危機にあると言われているが、農薬が関係しているのかも知れない。何が環境破壊の原因か。複雑な因子が重なっての破壊、自然再生が利かなくなったことは事実、すべては人間のエゴから発生しているのだ。自己中心のご都合主義も住む環境が限界に来ていることをしるべきだろう。対応だが、一人一人がそれに協力すべき時が来たのだ。

秋口、家の側面をコツコツと小鳥の嘴で叩く音を聞く。蛹を食べているのだ。赤い帽子の啄木鳥が樹木の表面をたたいてる。いずれ嘴で叩く音が聞こえなくなる日も来るだろう。自悠人


住み難くなったシンシナーティ I

2009-02-22 22:58:17 | まち歩き

昨年、家を覆いかぶさっていた大木から無数の芋虫が落ちてきた。家やバルコニーの側面に這い上がり、取っても取ってもきりがない。彼らは目の前で繭を作って冬籠りだ。暮にはさなぎになり、蛾になって卵を産み、再び木の葉を食用とするだろう。葉は芋虫が、幹内部は他の昆虫類が冒すのだから樹木はたまらない。枯れる運命にあるのだ。大自然の豊かな森林に囲まれた我が家やその周辺が文明の発展という名の人間の欲望に犯されてきた。空気、水、草木に至るまで自然環境が人間の排出する毒素に冒され破壊されてきた。快適に住むために車や冷暖房装置に多くのエネルギーが消費され、環境破壊に繋がっているのは周知の通りである。文明社会も度を越すと住み難くなると実感とするようになった。

身近な例で地球温暖化現象の一つではないかと感ずることがある。USに住んで約20年たつが、この5年来、裏の林の木々が次々と枯れて倒れるのである。樹齢100年以上の大木や30年以上の樹木に至るまでサンダーストームや樹氷の重みで根元から根こそぎ、或いは幹の中間から、太い枝から、となぎ倒されたり折れたりしている。屋敷内の木々に発生する現象である。勿論、周辺の家々も同じである。折れたところを観察するに虫に喰われて半分枯れている。要は虫類が大量に発生し、木々に巣作りしだしたということなのだろう。倒れて処理した太い木が9本にも及ぶ。この住宅環境、夏は木々が生い茂って涼しく、冬は木々が放射冷却や吹きさらしの風から家を守ってくれて暖かい。薪を燃す暖炉で充分暖がとれるが、風情もあって気分もよい。続く(自悠人)


天国の入り口、プラハII ~チェコ共和国~

2009-02-22 03:10:46 | ブログ

私にとってのプラハはヴァーツラフ広場だ。チェコ人の苦難と誇りの証人たるこの広場は私には故郷のごとく夢に見る地だった。夢が実現し、佇む私の目前の風景は限りなく安らぎのある美しさ。地下鉄ムーステク駅の辺りから国立博物館を眺めるとなんと美しい通りであろう。正面に聳え立つ博物館は私にはそこから階段が始まる天国への入り口に見える。金色の丸屋根やその下に透明感のある水色のガラス窓が無数に並び、幅広い建物はこの大通りの両端に跨る。こんなに外観の美しい博物館は見たことがない。通りの左右には近代的ビルが壁をなし、その前には大木の行列が緑の縁取り。中央分離帯には彩り豊かな花壇が続く。人々はこの広場をゆったり楽しみながら歩く。だがヤン青年が焼身自殺した場所、聖ヴァーツラフ騎馬像の前に来ると多くの人が献花する。私も彼の勇気を讃えて献花した。

旧市街広場には2つの尖塔が目立つティーン教会や宗教改革の先駆者で異端として火炙りの刑にあったヤン・フスの像、旧市庁舎と天文時計など見所が多い。十二使徒が窓に姿を現すからくり天文時計は15世紀に作られたというが楽しい。オープンカーの客引きに興がのり、プラハの街をゆっくりと流して豪華気分を味わい、夜は本場の交響曲を楽しんだ。

中欧きっての温泉、カールロヴィ・ヴァリは湧出量はチェコ一番、温度は4373度、16世紀に飲用が始まり18世紀末に近代医学と合体した飲用療法で有名だ。12の原泉があり、医師の処方で指定された温泉の湯を飲む。有名な音楽家、文豪、思想家が療養に訪れただけあり、17世紀の町並みのような郷愁をそそる温泉街だった。ピルスナー・ビール発祥の地、ピルセンへ行ったことは言うまでもない。このビールが世界に広まり、バドワイザーや富士高原なんとかビールが生まれたことは皆さん先刻ご承知だ。ピルスナー・ビール発祥記念の樽のあるレストランでランチをし、美味しくて「地球の歩き方」を置き忘れてきたのだが…ちゃんとレジのカウンターに飾ってあった。(彩の渦輪)


天国の入り口、プラハ ~チェコ共和国~

2009-02-21 04:13:28 | アート・文化

チェコほどその美しさで心に残った国は少ない。チェコのプラハ、ハンガリーのブタペスト、そしてアルゼンチンのメンドーサは再訪の魅力トップ3の街だ。特にプラハは「ここで死ねたら最高!」と思ったほどだ。街だけではなく人々も素敵だった。夜プラハに着き、何とかなると思って旧市街まで行ったがあいにくのプラハ・マラソンで空室がなく、路上である青年に尋ねたら携帯であちこちのホテルに電話し、ついに見つけてくれた。誰も彼も親切で礼儀正しく、ユーモアのセンスに溢れていた。

日本人には思い出に残る人々や事件が多いだろう。東京オリンピック時のチャスラフスカの艶やかで優美な演技を覚えている人は少ないだろうか。ドプチェク首相の指導の下、自由化を目指すチェコのプラハにソ連軍の戦車が侵攻した「プラハの春」事件。ヤン・パラフ青年が抗議の焼身自殺をしたのはヴァーツラフ広場で1969年、その20年後この広場で無血でビロード革命を果たした。これらの記事は全て残しているので、ヤン青年の碑を見たときは旧知に会ったように嬉しかった。温和で信頼感に溢れたドプチェク首相の顔は今でも脳裏に浮かぶ。自由化後の発展は早く、いち早く英語圏から英語教師を招いたせいか多くの人が英語を話す。プライドを維持した人々と美しい環境は外国人にとって魅力である。

先ず訪れたのはモルダウだ。スメタナさんの像の傍でベンチに座り眺めると、キラキラ輝いてうねるモルダウ川にあの交響曲が一体となって聞こえてくるのだ。時に強くうねり、うねりは更に高まり、時に止まるがごとく静まる。反対側に目を向ければゆったりとした流れ、有名なカレル橋の彫刻、橋桁のアーチを滑りぬけていく船、白い波、赤瓦の屋根を引き立てる緑の木々、その向こうに王宮が聳え立ち、交響曲モルダウのごとく豊かなパノラマ風景だ。カレル橋にあがり、芸術的なその橋を渡るだけで幸福感に満たされる。自分が高尚な人間になった気がするか、これからは芸術に親しみたい、などと思えてくる橋だ。この橋を渡り西岸のプラハ城へは坂道を登っていく。歴代王の居城で、旧王宮や大聖堂、火薬塔、教会、修道院など、広大な敷地をフーフーと回り、カフカが短期間住んで執筆した家に立ち寄った。続く(彩の渦輪)


孤独死: 人生、かくも儚きもの

2009-02-14 03:55:49 | アート・文化

大学の日本語講師をやっていたビル・ピータース氏がアパートで座ったまま亡くなった。一年前のちょうど今頃、寒い頃だったので思い出した。外で会う約束をしていた友人が余り遅いので来てみて発見したという。脳卒中とか。後で人々の噂から伝わってきたことは親の遺産が入って10年続いた講師を辞めてしまった。59歳の一人者の死は同情を買うより興味本意な噂が多かった。

家を探し購入していたのは事実だった。日本語講師を辞してすぐ着手したのは家探しだった。ダンボールが三個運ばれていただけ、家の最終決定から僅か二週間しかその家を楽しんでいない。一人っきりの身内の妹さんが主催し、彼の買った家で追悼会があり大学からはワイフを含めて僅か三名が参加しただけだった。身内と友人13名ほどがガラーンとした家で生前の彼の集めた写真をコンピューターで見ながら彼を偲んだそうだ。彼の所持品の中から意味のありそうな写真を編集した妹の連れ合いを含め、写された画像を説明出来る人はいなかった。昨年我が家でパーティをした折ビルを招待したのだが、そのときビルが撮った着物姿の教え子や我々の招待客、三味線奏者の袴姿が目立ったのだろう。珍しいので編集の対象になったようだ。写真を説明できたのはワイフが一番だったとは。わが家のパーティに招待したのが彼とのご縁だったが、大学で彼と親しく付き合った人はいなかったのか。

彼との係わりは三年前、「日本文化について話してくれ」とワイフがクラスに招待されて始まった。そのときは聞きもしないのに「絶対この地位は誰にも渡さんぞ」と宣言していたそうだ。そういう大事な職場を突然手放し、家を買い、その持ち家を二週間楽しんだだけでの突然死だった。遺産が彼を狂わしたのか、遺伝的疾患がもたらした結果なのか、あっけない幕切れだった。「あると思うな親と金、ないと思うな運と災難」。脳卒中は現代の複雑社会の生活に起因することが多いと思うが、ビルのように突然に寿命を終焉することもあるのだ。人生は儚いものである。自悠人