あけぼの

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わが旅は中国に始まり中国で終わる?~西安~ 

2015-11-26 11:08:29 | 旅行記、多文化教育、国際

    今回の西安訪問は中国の旅3回目、20年間隔、最初の訪問は娘が小学校生のときだったが、それから44年経っていた。当時、日本の某自動車メーカーが買い付けに行って羽はたきとぼろ布しかないと言ったがその通りだった。北京の繁華街、東京では銀座にあたる王府井通りを子どもが裸足で歩いていた。上海だけは違ったが。44年前の北京やその近郷の人々の生活が走馬灯のように思い出された。今回西安に来て兵馬俑など副葬品の卓越さに感嘆、始皇帝と中国のパワーに感嘆した。西安はシルクドーロの起点であり交易品が中央アジアを通ってヨーロッパに伝えられた場所、歴史への関心を改めて覚醒させてくれるところだった。最初の旅では香港経由、汽車で広州に、航空機で北京へ着いたが、2回目は上海、無錫、南京他4都市に。44年前の北京と今回の西安は隔世の感だった。さすが経済大国、高層ビルが林立し車も渋滞したが、始皇帝時代を髣髴とさせる文化遺産の保存状態で、ここで終わってもいいと思うほど満足した旅だった。(自悠人)

   

 


三蔵法師ゆかりの大雁塔で転倒、「自悠人は投げ出されてもiPadを放しませんでした!」

2015-11-23 10:30:26 | 旅行記、多文化教育、国際

  1.大雁塔の入り口に立つ三蔵法師 2.大雁塔 

木口 小平(きぐち こへい)(明治5年8月8日- 明治27年7月29日)を知っていますか?彼は日清戦争で戦死した日本陸軍兵士でラッパ手、死んでも口からラッパを離さなかったとされ、その逸話は明治35年から昭和20年まで小学校の修身教科書に載っていた(Wikipedia)が、筆者も、「木口小平は死んでも口からラッパを離しませんでした」と暗記している。本日の西安レポートは小平の向こうをはった小生の物語だ。

 一周14キロの城壁に囲まれた西安市の中心部にある大雁塔(慈恩寺ともいう)は唐時代、高宗皇帝の母である文徳皇后を供養するために建立した寺院。院内に建つ四角7層、高さ64mの塔が大雁塔。30元を支払い上がって西安市内を一望して欲しい。大雁塔は玄奨三蔵法師がインドから持ち帰ったサンスクリット語法典や仏像を保存するために建立されたもの。寺院正面には玄奨三蔵法師の西方インドに向いた像がある。右側の建造物には師であるお釈迦さんの誕生と生涯の絵物語がある。「天上天下唯我独尊」を出生時に唱え、「人の一生は生、老、病、死だ、南無阿弥陀の念仏で乗り切ろう」と説かれたと推察し、釈迦に感銘していたわが身だが、建物を出た途端石段の斜面で滑って転倒し投げ出された。手にはiPadを開いて持ったまま。だがiPadも壊さず、 打ち身も怪我も無く無事だった。無意識の信仰心に救われたのかな?(自悠人)下の写真は城壁


米城会、雨もよいにも関わらず今年(2015年度)も盛会だった!

2015-11-22 11:25:08 | 旅行記、多文化教育、国際

写真2 乾杯の音頭前の小スピーチ 1週間ほど前の土曜日、米城会(鳥取県立米子東高校関東圏人会)が開催された。雨もよいのせいか申し込み者数より出席者数が少かったが、それでも190名ばかり、霞が関ビルの東海大学校友会館に集まった。米城会は本年110周年を迎え、今回記念誌を発行したが、参加者にカンパお願いの籠を回したら期待以上の献金が集まり、米ドルまで入っていたと会長を喜ばせた。第一部はトークセッション:行政VS現場~日本の医療と福祉~と題して鳥取県立総合療育センター副院長の汐田まどか氏と国立病院機構副理事長古都賢一氏の絶妙なトーク。知っているようで知らない世界、医療と福祉について多くを学んだ。

  同期生たち

第二部の懇親会では旧交を温めあったが、副会長の筆者は「乾杯の音頭」がお役目で、「英語で面白くやってください」と申しつけられていた。前日に準備はしていた。以下だ:副会長のAです。英語で乾杯の辞を、と申しつけられましたのでまたまた米子弁の英語です。

「It is a pleasure to be here with you.  I am proud of everyone here. Let me propose a toast to our health and future!  「私たちの健康と未来のため、そして米城会の発展のために乾杯をお願いします」「年だ、はま~だ」、「死ぬまで未来」ですよ!では「Cheers!」、「乾杯!」、もひとつ「サルードゥ!」。「有難うございました!」とEnglish, Japanese, Spanishミックスで。乾杯の後で3人近寄ってきて「サルードゥ!が嬉しかった」と話した。スペイン語圏に出張していた人たちだ。それはいいのだが、実は壇上に上がった途端、なんと、話すべきこと全部を忘れてしまい、2回もポケットのメモを取り出して見た情けなさ。記憶力が良く強心臓の筆者としては稀なことだったが、帰宅後の夫のコメントは「年なんですよ!」

アホだった「CheersやSalud!」を忘れるためにSalud!」(彩の渦輪) 下の写真は浜田君のフレ=フレー (宴も終わりに近し)


入退院は超特急で ~妖艶なカリちゃんが黒米に~

2015-11-21 15:09:55 | 旅行記、多文化教育、国際

Blog、ご無沙汰しましたが、入院していたんです!

 病院食

 今回は発見が早かったので超特急の入退院だった。初めてGさまに寄宿されたのは3年前だった。手術日を待つ間にウクライナとアメリカのアーミッシュ村の2カ国を訪問し、帰国してすぐ入院、9時間の大手術、入院は10日間だった。第2回目の昨年は入院5日間、手術は2時間、3回目の今年はなんと入院4日間で手術は麻酔時間も含めてたった45分だった。腎臓周辺の臓器に転位したポリープ、というより妖しくも美しいカリフラワーを電気メスで焼くオペだが、ビデオでしっかり見せていただけた。手術後、カリフラワー(カリちゃん)は焼かれて黒米数個になってビーカーのアルコールに浮かんでいた。去年は3個、今年は1個だった妖艶なカリちゃん、来年ゼロ個を目指したいのでお手柔らかにネ。(彩の渦輪) 。入院中直木賞受賞作品、東山彰良の「流」読了。ホント、十年に一度会うかどうかの超大作、興奮しました。

退院祝いに笑う鯛が準備してありました。


城壁の街で温故知新 (II)、ああ玉杯まで買っちゃった

2015-11-16 11:29:28 | 旅行記、多文化教育、国際

   写真2.お遍路さん88カ所の出発点はここ、ゼロ地点。3.ここの胡麻おこしは美味しかった

安倍仲麻呂と弘法大師

 奈良時代の遣唐留学生、安倍仲麻呂は優秀で科挙の試験に合格、始皇帝に認められ図書館係をした。19歳で帰国の途につき、道中難破した。悲しんだ李白が追悼句をしたためた石碑が興慶宮公園にある。仲麻呂は実は死なず、長安に戻って来たという。讃岐の国に生まれた空海こと弘法大師の青龍寺は立派だ。当時の法律で長安に行った者は5年間滞在の義務があったが、空海は「食うかい?」と言われても食わず、寝食を忘れて勉強したので3年で済んだという笑い噺があるが、四国お遍路さん88箇所の出発点ゼロ番はここだそうだ。中国に来て仲麻呂や空海について学び直し、知識や見解を開く温故知新の旅となった。

 シルクロードの出発点だったかつての長安、現、西安は高層ビルが立ち並び地下鉄もある大都会だが、古寺も城壁も東西南北の城門も立派に再建、維持されている。石榴と青島麦酒に堪能し、エイヤッと玉杯(翡翠の杯)を購入してしまったが、その玉杯に注いだ緑酒には兵馬俑坑に整列した兵士の顔が浮かびあがる。魂は生き続けると信じて死後の世界を準備した始皇帝と緑酒に宿る俑たちに乾杯!(彩の渦輪)