@ 蝶(かわひらこ)小草の上に果ててをり介護しさるる苦のなき畢(おわ)り
福岡 山崎 碧
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これは今朝のテレビ番組「NHK短歌」の時間に紹介された一首です。今日の選者は高野公彦さんでした。選者の一席になりました。
古代、チョウチョのことを<かわひらこ>と呼び習わしていたのですね。たしかにチョウチョをはじめとして自然の中で生活しているものは、ひとりで果てていきます。看取られることはありません。まして、介護をしてもらうこともありません。することもありません。介護はしかし一方で介護する者される者に苦痛を強いることもあります。次なる苦痛を負うことなくひとりで淡々と死を受け入れて果てていく。蝶の死骸は、無慈悲のようで慈悲に満ちた、潔い死でもあります。
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一読して、この作品に惹かれてしまいました。わたしには、いい短歌の基準がどこにあるのかわかりません。選者が、短歌全般について、「イメージが広がる短歌」といったことを言っていましたので、耳に残りました。なるほど一首で、どんどんイメージが広がるという歌に出会うことがあります。ここでは草の上のチョウチョの亡骸と、介護日本の現状です。介護する者の悲と喜、苦と楽。介護される者の悲と喜、苦と楽。あっさりと死を迎えることのできない無明。一つの作品が次々とものを考えさせてくれます。
福岡 山崎 碧
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これは今朝のテレビ番組「NHK短歌」の時間に紹介された一首です。今日の選者は高野公彦さんでした。選者の一席になりました。
古代、チョウチョのことを<かわひらこ>と呼び習わしていたのですね。たしかにチョウチョをはじめとして自然の中で生活しているものは、ひとりで果てていきます。看取られることはありません。まして、介護をしてもらうこともありません。することもありません。介護はしかし一方で介護する者される者に苦痛を強いることもあります。次なる苦痛を負うことなくひとりで淡々と死を受け入れて果てていく。蝶の死骸は、無慈悲のようで慈悲に満ちた、潔い死でもあります。
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一読して、この作品に惹かれてしまいました。わたしには、いい短歌の基準がどこにあるのかわかりません。選者が、短歌全般について、「イメージが広がる短歌」といったことを言っていましたので、耳に残りました。なるほど一首で、どんどんイメージが広がるという歌に出会うことがあります。ここでは草の上のチョウチョの亡骸と、介護日本の現状です。介護する者の悲と喜、苦と楽。介護される者の悲と喜、苦と楽。あっさりと死を迎えることのできない無明。一つの作品が次々とものを考えさせてくれます。