鬼なることのひとり 鬼待つことのひとり しんしんと菜の花畑 なのはなのはな 河野裕子
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鬼ごっこをしているところなのか。缶蹴りをしているところなのか。鬼の役になってひとりでいるのか。鬼が現れ出てくるのを待っているのか。回りには菜の花畑。遊びの仲間たちは花の中に身を隠しているところなのか。なのはなのはなの匂いに饐えた黄蝶が飛び出してくる。どくどきはらはらしているくせに、わたしの春の午後はしばらくしんと静まりかえっている。
こどもの遊びがそのまま大人の遊びと重なって見えてしまう。
わたしはおんなでいるが、同時に鬼でもいる。こころの中に鬼を出没させている。おんなの鬼はおんなの恋をしている。ひとりで角を出して恋をしている。あの人に逢いたい。あの人が鬼であるとは思いたくないが鬼であってもほしい。わたしだけが鬼であの人が人間であったならこの恋は成就しない。菜の花畑がわたしの中にも広がっていて、なのはなのはなの熟した匂いが黄色に饐えている。そうであるのにわたしの春は静かだ。静かなままだ。しんしんと時の深まる音ばかり。あなたはどこかに隠れたまま現れては来ない。
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河野裕子さんのこの歌は10・10・5・7・7になっていて、どうやら本来の短歌の制約を離れているようだが、それで新鮮でもある。しきりに物語を引きだしてくる。それで読む者は釘付けにされてしまう。
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