赤ちゃんの誕生はみんなに祝福される。みんなが喜びを共有する。誕生は祝福ごとである。
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死もしかしほんとうは祝福ごとである。みんながよろこびを共有していいことである。古い死を死んで新しい生を生きる前段階だからである。必須の条件を満たしていく姿だからである。
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死ななければ生まれては来られないからだ。生まれて来るには死を経過しなければならなかったのである。
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映画のフイルムを逆廻しすると、だから、死へ立ち戻ることになる。連続しているのである。生と死は、死と生であって、切り離せないし、連続をして行くのである。そこに幾度かの変化を遂げながら、次へ次へとフイルムが回って行くのである。
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幸福な誕生は幸福な死を経由して初めて可能になることだからである。
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そう考えると死もまた恐怖を免れ得そうに思われる。
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死と生を貫いているのは瞑想である。目を閉じたときの思いである。瞑想の大河の中に死と生が流れて下っているのである。
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その思いはアラヤシキとも呼ばれている。
阿頼耶識(アラヤシキ)は仏教語。梵語では、アラーヤ、ビジュナーナ。人間存在の根底をなす意識の大河の流れ。経験を蓄積して特有の個性を形成する。これが生命活動のエネルギーを供給していく。唯識派で説く。8識の中の最後の第8識。
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