不可思議 不可称 不可説
思議することもできない。名付けることもできない。説き起こすこともできない。
それを無理矢理思議して、それを無理矢理名付けて、それを無理矢理説き起こそうとする。
できるはずはないのである、だから。はじめっからそれは判りきったことなのである。
では、判らない方がいいのか。判らないでいいのか。判ろうとする努力は無駄なのか。
ここにブッダが登場してくる。ブッダとはその対極に位置する存在である。完成者である。
完全に思議することができる者である。完全に名付けることができる者である。完全に説き起こすことができる者である。
彼がわれわれを代行する。われわれの要求を完遂する。彼がわれわれの理解の理解者となる。われわれは彼を通して思議し、名付け、説き起こして、涅槃に入るのである。安らぎに到着するのである。
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