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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしは、肉体の死をもって終わりとする、のではない。

2025年08月02日 09時41分50秒 | Weblog

consciousness. 意識。自覚。

生きて働いている肉体の生命機能を、生きていると自覚できる力を、このコンシャスネスが保有している。

これはナニモノなんだろう? 物体ではないから姿を見せない。見ようとしても見せてくれない。

物体ではないから時間も場所も超えられる。超えられるのに、わたしの肉体の中に留まって、活動をしている。不思議な存在物である。

超越体の意識が、何処へも行かずに、余所見もせずに、わたしに留まって、わたしに、「これがわたしだ」「生きているわたしだ」という意識付けをしている。わたしが死ぬまでは。

わたしの肉体が機能不全を来して死ぬと、意識が肉体を離れることになる。と同時に、わたしの意識もわたしを離れることになる。

これで自由になる。狭い場所に閉じ込められていたのが、解放される。自由と解放を体験したわたしは、ほっとすることになる。

それからどうするか?

ふるさとに帰ることになる。

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ふるさとの宇宙に帰ることになる。そして宇宙意識という大きな意識母体に吸収されて合一する。

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宇宙意識は不死である。無限の愛である。永遠の宇宙の巨大な智慧である。

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これは、無際限に向上しようとするwill(意思)のようなものである。何処までも何処までも高く高く広く広く深く深くなり、光り輝いてアセンションして行く。

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故にわたしは、小さくなり大きくなる総合意識体である。合一をしたら個別化したりしている。そうした方がいいからである。

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宇宙意識を意識するために、わたしが個別化をしているのである。わたしがいないと、宇宙意識は意識してもらえないのであるから、個別化された人間のわたしを、だから、宇宙意識はすこぶる大事にしているのである。

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だから、意識分散されたわたしを、護る。助ける。導く。

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ぜったいに無駄になってはいけないのだ。分散が無駄になってはいけないのだ。

などなどなどなど、今日のお爺さんは、考えた。consciousnessについて考えた。空想を楽しんだ。

わたしは死をもって終わりとすることはない。そんな安物ではない。わたしは宇宙とともに永遠を生きているのだ、という結論を引き出さんがために。

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