「心月孤円、光 万象を呑む」 中国 盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(720~814)
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心は満月である。月輪(がちりん)である。一円相である。欠けていない円鏡、曇っていない鏡である。よって万象の放つ輝きをここに包摂する。
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わたしが光っていなくとも/わたしのこころの鏡は/光っている/万象の放つ光を/受け止めたからである/わたしのこころの鏡は/煩悩によって/たびたび曇っていることがあるが/曇りは拭うことができる/一拭き二拭きして曇りが霽れて来れば/わたしの鏡は満月になって/わたしの円空に懸かる
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月輪観(がちりんかん)という観法があった。密教の最も基本的な行法の一つだ。こころの本質は清浄である。月を観てこれを観想した。完全完璧な宇宙の合同相似形であるこころは、これを保っていて清浄である。仏心とも無心とも表現した。
こういうプラス思考をすればこころは軽くなるであろう。プラス思考といっても、X軸Y軸座標のプラス0・マイナス0の原点回帰かもしれないけれど。極度なへりくだりがなく、自己を陰湿に貶めたり卑しめたりするところがないように思われる。
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