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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

日暮れまで、都忘れの株分けをして遊ぶ。

2025年02月28日 18時06分39秒 | Weblog

好きだなあ。

ままごと遊びが好きだなあ。

一人でいつまででもやってらあ。

一人はいい。好きなことをしていられる。

邪魔が入らない。

 

今日は雨が上がった後で外に出た

株増殖が進んでいたミヤコワスレの苗の、株分けをして遊んだ。

小さなポットに1株ずつに分けて、培養土を加えて、植え替えて上げた。

 

本来は秋10月、11月の頃が植え替え時なのに、怠けていた分だ。

今回は横8列x縦4列=32個のポットが列んだ。

プラス、やや大きめの素焼きの3つの鉢に、やや大きめの根株を植え付けた。特別上等品にした。

 

3月の終わり、四月の初めには花を着ける。楽しみだ。開花の時期は長い。大事に育ててくれる人大事に育ててくれる人があれば差し上げる。お金は請求しない。

上等鉢植えだと苗物屋さんの店先では600円以上の値段がついている。

白い色と青紫色の2種類がある。白い色の方は草丈が高くなる。仏壇にも供えられる。

 

僕は清楚で上品な青紫色のミヤコワスレを好む。鉢植えを玄関に飾る。高潔で美しい花の風貌にゾッコンになる。

野菊の改良品種だろう。野菊に類似している。

でも、日光を嫌う性質がある。暑い夏は日が差さないところに置かないと枯れてしまう。

ミヤコワスレで検索するとすぐに写真が見える。

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春は誰にでも訪れる。同量に。

2025年02月28日 10時45分47秒 | Weblog

雨がそろそろ止む時刻だな。まもなく午前11時。

でも、空はまだ鉛色をしているけど。

「僕」といって自己呼称をするけれど、「わたしはあなたの僕(しもべ)です」と自己をへりくだって相手を立てる術にしているわけでもある。ま、いまは、そんな意味合いは消滅してしまっているけど。

上下無しの1対1がいいよね。それが堂々としているもんね。互いを1にする。相互に、10分の1、100分の1にはしない。

此処に存在しているものはみな同じ宇宙生命体なんだからね。同価値の。

だから春が誰にでも訪れて来る。同量だけ晴れ上がって。同質だけ嬉しく嬉しく。

春は人間を僕(しもべ)とはしていない。人間も春を僕とはしていない。

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エビネ蘭の春の芽立ちが進む。

2025年02月28日 10時31分07秒 | Weblog

我が家の庭にはエビネランがどっさり。この数年で株数が増えました。生命力が旺盛です。

黄色い花の色のエビネランです。芽立ちを始めました。すっくすっくと。凜々しく。溌剌と。清新に。

嬉しい春を告げています。嬉しいです。

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差別、区別、選別がない。争いがない。

2025年02月28日 09時48分29秒 | Weblog

同事というは不違なり、自にも不違なり。佗にも不違なり。譬えば、人間の如来は人間に同ぜるが如し。佗をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同じしむる道理あるべし。

曹洞宗経典より。

分け隔てがないのがこの世界である。区別をしないのが不違である。自分と他者を区別しないで、一つとして見るのが仏法である。人間の形をした如来(仏)は人間と仏を区別していないという姿である。他者を自分とみていれば畢竟、他者が自分の命に同化することになる。この道理を尊重するのが仏の教えである。

(これはわたしの現代語訳だが、正解から遠いかもしれない)

仏さまとわたしが同体である。わたしと仏さまは違っているように見えているが、同体である。そうでなければ、仏さまは仏さまではなくなってしまう。差別、区別、選別がない。

仏さまが人間のわたしの形をしてくださっているのと同様に、わたしがそのままで仏さまに化して行くのである。成仏が敵うようにしてあるのである。

(ここもわたしの勝手な解釈であるから、間違っているかもしれない。これはだから、わたしのわたし流の受け止めである)

仏教の偉大さを思う。他の宗教では人は神にはなれない。神の僕(しもべ)のままで終わる。けれども、仏教は人が仏になるのである。もしくは、「仏が人であるから、人は仏である」というように同列扱いされている。同一視・同列視されているのである。すさまじい尊敬の仕方である。桁外れたまでの人間尊重である。

(此処もわたし流の解釈であるから、ハズレているかもしれない。こうやってわたしはわたし流の安心をしている)

一として見る。自他を区別しないで、一と見る。禅者はこの落ち着きを得ている。禅者はスゴイなあ!

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言葉を毒にしてはならない。言葉を力にしなければならない。

2025年02月28日 08時42分54秒 | Weblog

面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面(むか)わずして愛語を聞くは肝(きも)に銘じ魂に銘ず。愛語能く廻天の力あるを学すべきなり。

曹洞宗経典より。

愛語。言葉を大切にすること。愛情の籠もった言葉を他者に向かわしめること。利他行の一(はじめ)。菩薩行の一(すべて)。

面前で仏語・菩薩語を聞けば顔面がほころび、心魂を楽しくす。人づてにこれを聞けば、五臓六腑・心魂も感歎す。かくして命の動きを活発にする言語(つまり仏の教え)は天地明暗をひっくり返すほどの壮大なエネルギーの源泉である、ということを知っておく。

つまりは己を立て、他者を立てろということか。自己も他己も、決して蔑んではならないのである。言葉を毒にして中傷誹謗してはならないのである。

身密・口密・意密の三密が言葉に含まれているのだから、愛語は大事なエネルギー調達の手段でもある。真言(=マントラ・呪文・総持)に極まる。

(究極、大日如来の真言は、「おーんあびらうんけんばさらさとばーん」である)

命から溢れ出る言葉を毒にしてはならない。自己も仏、他己も仏なのだから。仏のお命の活躍の場なんだから。

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不動明王様のクレヨン水彩画

2025年02月28日 08時36分01秒 | Weblog

かわいらしいお不動様をクレヨン水彩画にしました。

ふふふ、ふです。

本来、威容烈々の不動明王様なのに。

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畑で獲れた里芋、大根、人参を煮てもらう。おいしい。

2025年02月28日 07時37分29秒 | Weblog

我が家の畑で収穫した里芋(赤芋の子芋)がおいしい。とろとろとろんとしている。

同じく我が家の畑で獲れた大根や人参といっしょに煮てもらう。鶏肉や北海道昆布を出汁にして。

夕食にそれをいただく。大根もやわらかくなっている。焼酎のお湯割りを5対5で、合わせて1合飲む。そして直ぐに酔う。

皮を剥くのはお爺さんの昼間の手仕事。お爺さんは、嫌がらない。好きな方。進んでする。包丁片手にゆっくりコツコツと。

 

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いつかある日、オシマイになるんだろうなあ。

2025年02月28日 07時34分01秒 | Weblog

いつかある日、オシマイになるんだろうなあ。

あっけなくオシマイになるだろう。あっけなくあっけなく。

「あっけなく」は案外と清々しいのかもしれない。

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夜中ずっと雨の音がしていました。

2025年02月28日 07時15分01秒 | Weblog

おはようございます。今日は2月28日。2月の最後の日。明日から弥生3月です。

夜中ずっと雨音がしていました。小さく。今も降っているようです。予報では午前中ずっと雨マークです。

まだ障子戸を開けていません。7時を過ぎて、障子戸が明るくなっています。山から下りて来た小鳥の鳴き声がしています。

昨日はほぼ一日中畑にました。夕方6時過ぎまで。丸椅子に座って草取りをしていました。凝り性です。お陰で畑のあちこちがキレイになりました。

草取りの小さな器具を使う右手の、右肩から右胸の筋肉が凝っています。動かすと小さくキンキンと痛みます。遣りすぎです。

今日は畑仕事はお休みします。暇になります。退屈を覚えるでしょう。クラシック音楽と読書に充てます。

フカネギの種蒔きが終わっていません。これまでにもやったことがあるのですが、うまく発芽してくれませんでした。

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