ええっ、ええええっ、エンジェルスの大谷選手が31号32号のホームランを打ちました。
今日のニュースです。
試合をテレビ観戦すればよかった!
大活躍するところを見たかったなあ。
ええっ、ええええっ、エンジェルスの大谷選手が31号32号のホームランを打ちました。
今日のニュースです。
試合をテレビ観戦すればよかった!
大活躍するところを見たかったなあ。
それから白菜の種蒔きをしました。
8月の終わり頃に、一度蒔いたのですが、発芽がしませんでした。
で、もう一回種を買ってきて蒔きました。
僕は農業が下手くそです。(なんでも下手くそですが)
今度はうまく発芽してくれるといいのですが。
殺虫剤のオルトラン粒剤を撒きました。これを撒かないと、発芽してもみんな虫に食べられてしまいます。
最後に水撒きをしてこの日の作業を終えました。
一本太ネギの苗を植え付けました。200本。有機石灰と化学肥料を撒布した後に。
このネギはフカネギ・白葱です。
九条ネギは白いところも青いところも食べられますが、一本太ネギの方は白いところだけのようです。
だから、地中深く掘ってそこに植え付けました。成長するに従って、土寄せをして盛り上げて行きます。手が掛かります。
冬の鍋料理、すき焼きなどに使います。
うまく成長したらいいのですが。
栽培が(僕には)難しいのです。失敗をします。
大事に育てたいと思っています。
ブログ、死んだら書けないよね。
書けないだろうね。
生きているときにしか書けない。
うん、分かった。
じゃ、今のうちに書いておくよ。
書くってこと自体に意味があるんじゃないかな。
いい作品でなくったっていいのかもしれない。
生きているときには、こころがこころの働きをして活動ができるってことの、証明になってるのだから。
☆
死んだら、生きていたってことが、百倍にも千倍にも明るく明るく輝き出すだろうから。
死んでしまったら、もう、何も見えなくなるのだろうか?
そこにはもう自分がいないのだから、当然、何も見えないだろうね。
☆
でも、見えているかも知れない。
などと、ふっと思ってみる。
見えないはずの目に、見えているかもしれない。
☆
ひょっとして自分自身が見えてるかもしれない。
死んでしまったら、自分がその後、地上でどうなったのかを、そこで確かめているかもしれない。
☆
どうなったかを知りたいよね、きっと。
そういう欲望が残っているよね。たぶん。
☆
死んでしまったいる自分の姿も気になるけど、それ以上に、生きていた頃の自分を見てみたくならないだろうか。
なつかしくならないだろうか。懐かしまないだろうか。
懐かしくなると、僕は思う。
☆
いやあ、やっぱり生きている生命体っていいなあ。輝いているなあ、などと思って、嬉しくなったりするのかも知れない。
生きているってこんなに素晴らしいことだったんだ、とあらためて感動をぼえているかもしれない。
☆
肉体は死んでも、魂(スピリット)は自由だから、死んでいないはず。
夕闇の厨(くりや)の窓の吸盤の守宮(やもり)の腹は夏を涼しむ
☆
これは入選の作品。
守宮の腹は吸盤。明かりが付いた台所の窓に、吸い付いている。灯りに飛んでくる虫を捕まえて食べる。
ぺたりと吸い付いているその白い腹部が、いかにも夏を涼しんでいるように見える。
ギンヤンマ巨大目玉が映す海
☆
わたしの落選句。
ギンヤンマ。銀蜻蛉。体長7cmほど。ともかく目玉がでかい。
その巨大目玉の全部が海を映している。目玉が海色になっている。
海に近い海辺の草むらを飛んでいるからだ。
腹部は緑色をしている。腹部の基部は青色。黒褐色の斑紋がある。メスは黄緑色をしている。
昔のこどもたちはそれを必死で追い掛けた。指の先に捕まえておくと、その巨大目玉に海と空が映っていた。
盆柿をもらう散歩の道すがら
☆
やっぱり落選句。
盆の頃に食べられる柿がある。小さな柿だ。もちろん甘柿。
房なりになっている。
村中を散歩していると、柿を捥いでいる人が呼び止める。
「おいしいですよ、食べて見ませんか」
一枝を差し出される。柿は10個ほどもなっている。
1個食べて見る。たしかにおいしい。
たわわに実った柿の枝をぶら下げながら帰り道を急ぐ。
いまでは、しかし、この種類の盆柿は絶滅してしまったらしい。何処にも見ない。
いやいやあったとしても、現代は飽食の時代、食べる物好きなどいないだろう。
そもそも、散歩の人にものをくれてやる人情などは時代遅れでしかあるまい。
湿原の鷺(さぎ)降り立ってなほも飛ぶ
僕の落選の句。
湿原は樫原湿原。ここには鷺草が咲いている。鷺草は鷺が羽を広げたようにしているからこの名が付いた。鷺草の鷺は湿原に降り立ってもずっと飛んでいる。白い小さい、いじらしい花。
泣きじゃくる乳児 蜻蛉(トンボ)が泣き止ます
☆
落選句。僕の。
昔、まだお母さんがねんねこに乳児を負ぶって畑仕事をしていた頃の写真。
赤ん坊は泣きじゃくっている。お母さんを欲しがって泣いている。お母さんはかまってやれない。
するとそこへ赤トンボが飛んで来た。お母さんのほっかむりのタオルに止まる。背中の赤ん坊がそれを見つけた。そしてとうとう泣き止んでしまった。
いまは、こんな写真は撮れないだろうね。