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それも好きなだけ歓喜をしてもいいのです。ですから、わたしがそろりそろり歓喜をして、これを証明して見せていることになります。するとわたしは、この上に、安楽を生じます。安らかでいられます。生きていることを楽しんでいられます。そういうプログラミングが施されています。
もちろん、しないでもいいのです。暗い顔をしていてもいいのです。射して来る明るい光に、両手で頑なに顔を覆っていてもいいのです。
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それも好きなだけ歓喜をしてもいいのです。ですから、わたしがそろりそろり歓喜をして、これを証明して見せていることになります。するとわたしは、この上に、安楽を生じます。安らかでいられます。生きていることを楽しんでいられます。そういうプログラミングが施されています。
もちろん、しないでもいいのです。暗い顔をしていてもいいのです。射して来る明るい光に、両手で頑なに顔を覆っていてもいいのです。
4
此の悪心悪行そのままのわたしがですよ。仏陀の差し向けられた歓喜宇宙に誕生をしています。これには驚きます。歓喜宇宙と悪心悪行のわたしとの釣り合いが取れているはずはないのですが、どうしたことか、それが釣り合うようにせしめられているのです。これはまったくもって人間思議を超えています。ミラクルです。
3
此処は仏陀仏法の歓喜、正法ダンマの働きで造られた宇宙世界です。此処にわたしが生まれています。
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「証歓喜地生安楽」 しょうかんぎじ しょうあんらく 親鸞聖人の著「正信偈」より
2
またまたわたしの我流の解釈をして遊ぶことにします。わたしはわたしの絵の具で塗り替えをします。親鸞聖人のお叱りを受けるかも知れません。
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そもそも此処は仏陀の歓喜せしめられるところです。それをそうしないでいるのはわたしの目が暗いからです。暗く暗く見ようとしているからです。
わたしの目は煩悩の目です。強い欲心の目です。邪悪をこころよしとしている目です。
老人の長い長い夜が明けた。その間幾度目が覚めてしまったことだろう。春の朝は素敵に晴れている。でも、幾分か寒そう。
さ、朝ご飯。5時に起床した。3日間の日記を書いた。思い出し思い出ししながら。早起きをした分だけ、腹が減っている。
とうとう喰った。喰った喰った喰った。石蕗(つわぶき)料理を喰った。おいしかった。やわらかかった。筍と椎茸といっしょに、鶏肉の出汁で、煮て貰っていた。素朴な味わいがした。春の野山の匂いがした。よし、もう一度摘んでこよう。客人をもてなしてやろう。それで酒を飲もう。客人は水曜日に来る。
真夜中の3時🕒。目覚めておられる方がおられるんだなあ。わたしの書くブログを読んで下さっている。それが棒グラフに記録されている。接点となっているgooのブログ機能。でももうわたしは寝よう。みなさんを起こしたのかも知れぬ。おやすみ(-_-)zzzなさいませ。
虫がよすぎる話よなあ。己は愚行を繰り返し、仏陀はお慈悲を繰り返す。虫がよすぎる話なのに、それを無視して、度外視して、仏陀はお慈悲を繰り返す。であるのに、己はますます愚行を繰り返す。春は春の大空。無限大の大空の、お慈悲の広がり。
いつかたっぷりとお詫びを申さなくちゃならんよなあ。
それでもそれでも、己の愚行は止まず。それでもそれでもそれでも愚行は止まず。
愚行の止まざる人間に、スミレ花咲く。野道にスミレの花咲く。この落差に悲しくなりぬ。
仏陀は、せっせせっせと汗水垂らして、この己という人間を、此処今生に、喜ばさんとなさる。千なさる。万なさる。億なさる。兆なさる。もう数え切れないほど沢山なさる。せっせせっせと汗水垂らされる。己は、日々刻々、仏陀の垂らされる汗を見ている。汗が光っている。己は泣きたくなっている。