3
「芙蓉」は蓮の花のこと。此処では木の梢に咲いている蓮だから、辛夷を指している。辛夷は筆先に似ているから、「木筆」とも呼ぶらしい。「澗戸」は、谷川沿いにある人家。
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水辺の蓮の花のような辛夷の花が、山中に木を造って、紅の蕚を開き染めているが、谷川沿いにある人家はどこも、ひっそりして人の姿もない。それでもいいらしい。辛夷はひとりなまめかしく開いてそれからまたひとり散って行く。
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「芙蓉」は蓮の花のこと。此処では木の梢に咲いている蓮だから、辛夷を指している。辛夷は筆先に似ているから、「木筆」とも呼ぶらしい。「澗戸」は、谷川沿いにある人家。
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水辺の蓮の花のような辛夷の花が、山中に木を造って、紅の蕚を開き染めているが、谷川沿いにある人家はどこも、ひっそりして人の姿もない。それでもいいらしい。辛夷はひとりなまめかしく開いてそれからまたひとり散って行く。
1
「辛夷圩」 王維
木末芙蓉花 山中発紅蕚 澗戸寂無人 紛々開且落
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木末の芙蓉花は 山中に紅蕚を発(ひら)く 澗戸は寂として人なし 紛々として開いて且つは落つ
2
死んで行くときにそれは不要物だからである。死んだ後には不要。ということは? 生きているときも不要ということか。空ということか。所持しているというのは、不実態なのか。「オレは偉いんだぞ」が捨てられない。誰も誰も誰も「オレは偉いんだぞ。これだけも所持しているんだぞ」の感情に温まっているから、裸になれば風邪を引いてしまうのだ。
1
捨てろ捨てろ捨てろ、と言う。捨てられない。抵抗する。もがく。でも、けっきょくは捨てさせられる。せっかく手にしたものである。捨てろと言われても、これに従ってすぐに捨てられるものではない。執着が募る。積み上がる。なおなお尚更に捨てられない。でも、最後には捨てさせられる。裸にさせられる。
おはようございます。いいお天気です。空の色がきれいです。広がって広がって、澄み渡っています。わたしは朝起きてからクシャミ鼻水の連続です。ちり紙がどれだけあっても足りません。花粉症とは辛いものです。ひたすらこれに耐えます。でも、何処かへ行きたいなあ、花見に。いっしょに行くといってくれる人はいませんから、何処へでも。近いところへ。遠いところへ。一人の意思でひょいと行けます。何処の桜も同じような装いをして咲いているのでしょうが、それぞれにやさしい待ち顔があるのです。それを尊重してあげたくなるのです。応えてあげたくなるのです。
4
男性に生まれて来たら、その遺伝子に「あなたは男性です。男性の役目は女性を恋することです」と書いてある。女性に生まれて来たら、「あなたは女性です。女性の役目は男性の愛を受け止めることです」と勧告されている。ここからは逃げられない。両性ともに遺伝子の絶対勧告、命令に従うしかない。ああ、恋よ。ああ、愛よ。「異性に惹かれるな」とは何処にも書いてない。たち嘆け、たち嘆け。
3
大伴家持に贈った歌。相聞歌。笠郎女がどんな女性だったかははっきりしていないらしい。意外と直截だなあ。「松」と「待つ」が懸詞になってそこが幾分控え目な言い方にはなっているが。当時、歌の遣り取りはいまの携帯メールのようだったかも知れない。変わっていないのは恋心。男と女はどの時代であっても惹かれ合う。
2
あなたを恋しく思うこころが募っていますが、さりとてどうすることもできなくて、都の山の平城山に生えている松のように、ただひたすらあなたを待つ気持ちの下に立って、うらめしくなっているだけでございます。いますぐわたしに会いに来てはくださいませぬか。
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君に恋ひ甚(いた)も術(すべ)なみ平山の小松が下に立ち嘆くかも 笠郎女(かさのいらつめ) 万葉集より
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甚も:いちじるしく 術なみ:手段方法がなくて 平山:奈良の北方にある平城山(奈良山)のこと 小松:松は「待つ」の懸詞。
午前2時を過ぎたところ、今。目が覚めました。ダム放水。小さなダム湖だ。これが体内にある。もしも貯水をしなかったとしたら、大量なオムツを必要としたことだろう。オムツ代もバカにはならなかったはず。助かっている。さてまた眠るとするか。目を瞑ると眠れるようになっている。有り難いことだ。眠ると元気が充電される、オートマチックに。するとリフレッシュされる。体温はいつもちょうどいいくらいの温度に設定されていてあたたかい。何でも巧いこと出来ている。これら快感活用機能が十全にわたしに具わっているのだ。まさに神通力フル装備人間というべきかもしれぬ。