<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

疑いは晴れました

2015年06月30日 20時38分24秒 | Weblog

午後から、CTスキャンの検査を受けてきました。肝臓癌の疑いは晴れました。ほっとしました。担当医師も非番なのに出て来て診察をしてくれました。撮影画像を見ながら、時間をかけて詳しく説明をして貰いました。終わったのはもう夕方の5時半を回っていました。どれだけたくさん感謝をしても感謝しきれないほどです。一月後にC型肝炎ウイルスの検査結果を聞きに行きます。

 

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善なる大きなサイクル

2015年06月30日 11時47分58秒 | Weblog

雨が降り出してきた。小雨だけど。這い胡瓜なのに、這わないで立てた3本の支柱を昇ってきて360度に蔓を広げている。たくましい。まだ胡瓜は実っていない。薄緑の葉っぱが雨に当たって艶を見せている。この世にはさまざまな生き方をする生き物が存在している。人間は人間に役に立つものを育てているけれど、人間に役立たないもの、人間に顔を加えるものも、ほんとうはそれぞれ重宝な役割を負っているのかも知れない。

ほんとは共生すればいいのだけれど、寄生だけしているのもある。人間を病気に追い込む細菌類などは、寄生をして栄養を取り込み活動をする。回虫などは、そこを凌駕して共生を図っている。こうすればいつまでもいっしょに仲良くしていられるのだから、よりよい進化を遂げているといえよう。

しかし、人間を病気に追いやりさらには殺害してしまう悪者ウイルス類も、こうすることで人間を次のステップに追い込んでくれるという利点もありそうだ。死なないと、復活も再生もできないのだから。死んで次のステージに進むとそこからまた新しい感動が始まるけれども、人は自分で喉を絞めて自分を殺すのは忍びないので、この役を悪玉ウイルス類に依頼しているとも考えられる。

生き物はそうすると結局の所互い互いに自分の役割を果たすことで大きな善のサイクルを造り上げているとも考えられる。敵だとしていたのが、そうではなかったという発見がここで生まれてくるだろう。畢竟するに、途中で何がどうあっても、究極的には悪いようにはなっていかないのである。これは楽観視すぎるだろうか。

腐敗菌だってそうではないか。これが働いてくれないと地上に落ちた枯れ葉はいつまで経っても木々を生長させてくるための栄養物への変身を遂げられないのだから。

 

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そろそろやすませてあげてもいいのかな

2015年06月30日 10時21分55秒 | Weblog

おはようございます。今日は朝から曇っています。ナツアカネが低くすいすいと飛び回っています。夏蝉がやかましく鳴いています。もうすぐ我が家の庭の鬼百合が咲き出します。蕾がふくらんできました。昨日サイクリングで回ったときには城原川の川土手の鬼百合の群落は見えませんでした。(葦草が茂っていて見えないだけかも知れませんが)

昨日医者さんが画像を見せながら、肝臓癌の疑いがあると説明をされました。癌ウイルスはそこに血管を呼び寄せて栄養を摂取するという説明がありました。なるほど近くに血管が導かれていました。今日は午後からCTスキャンの検査を受けることになっています。わたしは椎間板ヘルニアの手術を受けたときにそこにチタン合金を埋めてありますので、MRI検査に支障があるということで、CTスキャンになりました。この検査でも明瞭にならないときには入院して直接患部から細胞を取り出して調べることになるという予告も聞きました。悪性だということがはっきり判明すれば患部の摘出手術に進むらしい。

明日から7月に入ります。そういうわけで7月は我が家にはおられそうにないようです。覚悟はほぼ決まっています。70年酷使してきた肉体ですからそろそろやすませてあげてもいいように思います。これまで元気で生きて来られたんですから、それを感謝すべきで、この後に更なる強欲を張るのは躊躇われます。

病院から戻ってきて暫くしてから、サイクリングに出ました。体調は戻ってきています。元気が漲っています。いつも回って行くコースなのですが、ことさらに今日は新鮮みを覚えました。北方に連なっている背振連山の姿も、やがて近いうちに見納めになるのだなあと思って感慨一入でした。長く生きなければ生きたことにならないということではないのですから、生きている内に生きている事実を充実させておけばいいのだろうと思います。

美しいものもたくさん見させていただきました。感動もたくさんさせていただきました。名残は尽きないとしても、吾は唯(ただ)足るを知るなり、です。有り余るほどのよろこびを十分頂いて来ました。後は報恩と感謝のときを過ごしていければいいのかもそれません。

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