<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

無償の行為

2015年02月27日 15時43分46秒 | Weblog

午後から友人がやって来て、台風で傾いたままになっていた庭の金柑の木を元に戻してくれた。自分で、ホームセンターから支えをする丸太3本も買ってきて、これに本職の庭師さんがするようにばっちり防腐剤を塗って来て、槌を振るって棒を打ち込み、木の幹と交わる支点には網目状の帯を巻いて、金網のロープでしっかりと結び付けてくれた。傾いていた金柑は立ち上がった。地上に飛び出していた大きな根を地中に埋めてそこに土を運び、盛り上げて踏み固めてくれた。出来上がりが綺麗だった。荒い息が収まってから外でお茶いっぱいを飲んで、じゃ、なと言って帰って行った。丸太の代金くらいは支出させてくれと頼んだが断られてしまった。無償の行為だった。さぶろうの麻痺の脚ではこんな力仕事はまず無理である。それを知って庇ってくれたのだ。友人とはかくも有り難い存在である。

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こんなことをして過ごした

2015年02月27日 12時45分55秒 | Weblog

午前中、一気に光があふれて陽春になった玉葱畑に出て草取りをした。丸椅子に座って、これを移動させながら少しずつ少しずつ。薺や仏の座、オオイヌノフグリなども混じっている。どの草も勢いが付いている。玉葱の太さの比ではない。右手に小さな器具を動かして、左手で繁茂した草を根ごと抜く。雨が降ったせいで湿っていて重たい。土が纏わり付く。器具も指もべたべたになる。もちろん手袋をしているけど。ときおり春風がヒュウヒュウ吹いて過ぎる。鼻水が鼻先からすういすういと落ちる。落ちるに任せて作業を進める。お昼になって中断した。手首が凝っていた。一息ついて見回すと畑の西の垣根の藪には、こんもりした山椿が花をたくさん着けていた。素朴な赤い筒状の花だ。

 

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美しくなったわたしを見てほしい

2015年02月27日 09時47分07秒 | Weblog

色っぽさって大事だよなあ。季節の芽吹きのようにしてフィーメイルたちがさまざまな色気を纏ってあらわれてくる。「美しくなったわたしを見て」と訴えてくる。春。紅梅の咲く春。えも言われぬいい匂いを放つ桃や桜の、ときめき心が開く春。春はあらゆる生物たちが発情をしてくる。(発情っていうのはまずいか。うん、内に秘めていた感情が活発になって外へ出て来ることだよね。そうすると自然に、異性に恋心を抱いてくる)人間たちもそれにもれない。感情が活発になって来ることは大事なことだ。そわそわして花の間を飛び回りたくなるではないか。浮き浮きして外を歩きたくなるではないか。それを理性で以て殺さなくともいいはずだ。梅の老木は毎年美しく花を着ける。老いたら美しくなくなるというのは間違った理解だ。美しいものを美しいと見ているときの人間、これも美しいのだ。

美しくなったわたしを見てほしいという花たち。花の心を持つ人たち。美しいものを美しく見ている人たち。そういう人たちの春の営みを褒めて眺めている雲たち空たち光たち。

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春の精たちは

2015年02月27日 08時58分37秒 | Weblog

おはようさん。誰に挨拶? きらきらするライジングサンに。隣家の屋根の霜が降り注ぐ太陽慈光で溶けかかっている。お部屋の透明ガラスの結露が幾筋も筋を作って流れて落ちる。さぶろうは炬燵に入った上に、分厚い<綿入れぽいしん>を着込んで上半身の寒さを防いでいる。一列に並べたプランターで提灯行列をしている菜の花の黄金列が見える。春の精たちはここに宿って銘々ほっそりしてするりと背を伸ばしている。

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