<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「神々の中の神」という位置づけはあるのか

2015年02月24日 11時26分31秒 | Weblog

おやおや、お日様が差し込んできましたよ。お日様は地上いっぱいに光の絨毯を敷き詰めています。絨毯ほどに分厚くはありませんけどね。もうそろそろお昼です。さぶろうはまだ玄関を開けてもいません。炬燵の中でぬくぬくとして過ごしています。

今日は、古代ローマの時代に、キリスト教と対抗する宗教だったミトラ教(ミトラス教)のことをネットで調べて過ごしました。ゾロアスター教のミトラ神は仏教の弥勒菩薩(マイトレーヤ)信仰説と関連性があるようです。また漢訳されて毘沙門天、千の耳を持つ多聞天となったという記事もありました。さまざまな世界宗教の起源説など面白く読みました。

「神々の中の神」なる位置づけも時代が移るにしたがって変遷をしているようですが、世界中に多くの多くの神々がいてそれぞれ特有の名前を持ち信仰の対象になっています。さまざまな民族、さまざまな歴史背景、さまざまな言語形態に準じて、信仰の対象はさまざまな名称で呼ばれています。それでその各宗教間で、「我こそは、我が神こそは・・・」と争ってもいます。対象となっている神々の世界の実態はどうなんでしょうね。

ふふ。宗教は違っていても、祀る神々の像にはどれにも光輪があります。これは共通しています。これは太陽神のルーツなんでしょうか。

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おはようの共鳴板レゾナンス

2015年02月24日 10時25分47秒 | Weblog

世界中、宇宙中のお命さん、おはようさん。ここ地球の、さぶろうが住んでいるところは今日もどんよりしています。銀色の曇り空に覆われています。

仏教でいうところの衆生はありとあらゆるお命のこと。空、海、星々、山川草木、石ころ砂粒にまで命を感じて、共同協調共生をしていると理解しているようだ。命の活動は、個々に見えながら、その実は個ではなく全体の活動である、と。ばらばらではなく調和をし、秩序正しく重なり合って、うまく一致をしているのだ、と。

さぶろうの命が、だから、そのまま宇宙のいのちであるとも考えられる。数学で合同・相似形というのを習ったことがあったけど、もしかしたら、個のさぶろうを引き延ばして拡大をするとぴったり全体にマッチしているのではないのか。

その反対の流れでは、宇宙がさぶろうに凝縮されているのではないか。さぶろうの内側に、だから、はてしもなく宇宙が広がっているのではないか。

或いは、さぶろうがフォーカスの基軸の点でそこを中心にして右側に大宇宙の銀河、左側に内なる宇宙の銀河があって、平均をとってシーソーをしているのではないか。

さぶろうはおはようを言う。するとおはようが連鎖をして共鳴をする。共鳴板が無限大に列んでいて、おはようが繰り返されて広がっていく。

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