<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

梅の木になった梅が熟して匂うよ

2012年06月14日 09時54分21秒 | Weblog
梅の実が熟して甘く匂う。

いい匂いだ。鼻先につけて匂いを嗅ぐ。

こんな匂いの美しい女性がいたらいいのになあ。

    *

おしゃべりは楽しい。ここはおしゃべり場である。

もうすぐ死が訪れてくるから、それまでの間の、楽しいおしゃべりである。

おしゃべりをしてそれで金儲けをしようという心づもりはない。それで選挙に出ようという腹づもりもない。

残念ながら、社会改革の具体案もない。おしゃべりは、おしゃべり。それだけで、腹回りに贅肉は付かない。

    *

おしゃべりって、そんなに楽しい?

楽しくなるためにするおしゃべり?

なんにもならないからおしゃべりするんだよね。

そ。おしゃべりしても損にも得にもならない。それでいいんだよね。

    *

それでいい。

    *

庭の梅の木が梅をふさなりにならせていたので、これを午前中にちぎった。

梅の木はみんなで5本。

巨大実がなる梅の木の下へ行って、脚立を立てて、そこに登って、梅の実をもいだ。

30kgほどにもなったけど、そんなには食べきれない。

5kgを梅酒につけ込み、5kgを赤紫蘇の梅干し用につけ込んだ。

あとは捨てるしかない。

捨てるしかないけど、せっかく1年をかけて実らせた梅の木さんになんだかすまない気持ちになった。

    *

おしゃべりを終わる。

赤く熟れた梅の木の梅は匂う。甘酸っぱく匂う。

で、パソコン台のそばに置いてこの匂いを嗅いでいる。

わが人生がこんなにおいしい匂いをさせていたらいいのになあ。

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<わたし>や<わたしのもの>よりも大切な

2012年06月14日 09時26分25秒 | Weblog
口角泡を飛ばし額に青筋を立てて、「わたしのもの」を主張して、それが晴れてまかり通ったとしても、それ、つまり「わたしのもの」はしばらくの間の「かりそめごと」なのである。

それはわたしの進歩と向上のための貸衣装なのだ。実質はレンタルなのだ。わたしが虚仮であったと同じように、わたしのものも虚仮であった。二つとも死ぬときには返却しなければならない。口角に泡を飛ばした努力も、額に青筋を立てた努力も、<行き過ぎごと>でしかなかったことに気づかされる。

<わたし>や<わたしのもの>よりも、<わたしの向上>や<わたしたちの向上>がより重要であるということをわたしたちは見損なってしまって、つまり近視眼が治療できないまま、本末転倒の人生を過ごしてしまう。その日そのときの<わたし>や<わたしのもの>が優位の座に着いてしまう。

あれだけ腹を立てて、あれだけジェラシーを煽られて、あれだけ悲しんで、あれだけ逆上せ上がって獲得した<わたしのもの>が、そのときが来ればあっというまに水泡に帰してしまう。それなのにやっぱりそのときのその場限りの<わたし>と<わたしのもの>に固執してしまうのだ。

<わたし>や<わたしのもの>が優遇される位置に来れば来るほど、<わたしの向上>や<わたしたちの向上>は、それだけ遠退いていってしまうというリアリテイがまるで見えてこない。

そして死を迎える。

そしてそこで、やっとことの真相真理が明らかになる。

「きみ、そうじゃなかったんだよ」「前回でもそうだったけれど、きみは今回の人生でもまたまちがいを通してしまったようだね」という1レーンの最終報告が示される。

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