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小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



半世紀近くの歴史のある小田原梅まつりはすっかりと小田原の2月の観光行事として定着している。その小田原梅まつりの会場の一つである曽我梅林に象徴となるような石碑の建立が計画されたのは昭和50年代のはじめのこと。曽我梅林は御殿場線下曽我駅を中心として、中河原梅林、原梅林、別所梅林の3つの梅林を総称した約45ヘクタールのエリアで、現在は3万5千本あまりの梅が栽培されている。この曽我梅林の名物になるような石碑の建立が計画されたのは昭和50年代。地元の小田原梅研究会のメンバーが当時の三木首相に碑文となる「曽我梅林」の題字を依頼して、昭和52年に曽我梅林の石碑が完成。三木首相も曽我梅林碑の除幕式に参列し曽我梅林へと建立された。先日、梅まつりが行われている曽我梅林へ、その三木首相が題字を書いた曽我梅林碑を探しに出かけた。曽我梅林内にはいくつか石碑が立っているが、まず思いついたのが別所梅林の剣沢沿いに立っている石碑。早速、剣沢沿いの石碑に立ち寄ってみたが、碑文は曽我梅林と刻まれているが神奈川の景勝50選のもので、三木首相の題字のものではない。この場所にはもう一基違う石碑もたっているが、それも違った。リサーチ不足のため曽我梅林内に建立されたとしか情報が無かったので、別所梅林内を探索。祭り関係のテントや観梅客が多くて探しづらい。もっと楽に見つかるかと思っていたので誤算だ。別所梅林内をくまなく探索するも、三木首相の曽我梅林碑は見つからず。仕方ないので、次の探索エリアである原梅林へ移動する途中に御殿場線の下曽我駅前に立ち寄る。駅前は曽我梅林のエリアには当たらないと思うがとりあえず駅周辺を探索。下曽我駅前を探索しているとロータリーから梅の里センターへと続く道沿いの植込みに、石碑が立っているのに気が付いた。枝がボサボサであまり目立たないが植込みの中に、三木首相の曽我梅林碑を発見。まあ、石碑を建立する場所としては無難な場所だ。しかし神奈川新聞の記事では梅林内に建立とあったので、別所梅林を30分ほど探索してしまい惑わされた。植込みの中には高さ1.8mほどの石碑と由来の書かれた石板がある。この石碑は地元有志などから寄付を募り、松田町の石材店で製作されたもの。石材は三木首相の郷里の吉野石を使用したもので、重さは約2トン。工費は160万円ほど。石版には三木首相への依頼した経緯などが刻まれている。この石碑が建立された当時の首相だった三木首相は「寒さに耐えながら咲く梅の心を政治の心としたい」と語るほどの梅好き。それを知った小田原梅研究会の会長が、昭和51年1月3日に真鶴の別荘に滞在中の三木首相を訪ね、曽我梅林の題字を依頼したところ、三木首相が快諾してくれて石碑の建立が実現した。この曽我梅林碑の除幕式が行われたのは昭和52年の2月6日。除幕式のほかに曽我梅林内で記念植樹も行われたとのことなので、その時に植えられた梅の木も探してみたい。

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