入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(65)

2021年01月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝の室内温度は3度くらいで、思ったよりか気温は落ちなかったようだ。カーテンを開けたら重苦しい曇天が拡がっていた。今にも雪でも降ってきそうな、と呟きかけて、この気温の高さからすればそれはないだろうと思い直した。もう1月もここまで来てしまえば上は積雪量も増え、車で行くことなど無理だと諦めてはいるものの、それでも、もしかしたらというかすかな期待もあって、山の天気は常に気になる。
 昨年だったか一昨年だったか、調べれば分かるが、2月の厳冬期に途中で車を捨てずに上まで行くことができた記憶がある。降雪のない日が長く続けばこういうこともあるのだろうか。それにしてもそんなことは一度だけしかない。
 
 あっけらかんと晴れているよりか曇りの天気の方を好む、とはつい先日呟いたばかりの科白だが、きょうのようなうすら寒い日は、余程のことでもない限り、炬燵に囚われじっとしていたい。
 で、そんな安易な気持ちを振り切り、苦労して雪道を進み、途中からは窮屈な山スキー用の靴に履き替え、エッチラ、オッチラとスキーを滑らせ、何時間もかけててあの冷え切った小屋まで行く、そんな「余程のこと」とはどんな場合だろうか。そんなことが、以前にあったような気がする。
 あの小屋も、今ここで想像している限りは、火の気のない寒さや、心細さばかりを想像するわけだが、一晩寝てしまえばそこの生活が当たり前に思えてくるから面白い、不思議だ。特に、水汲みなどはまず御免こうむりたいところだが、実際にやってみればそれほど辛い仕事ではない。むしろ厳寒の朝、水道管から流れ出てくる透明・清潔な水の勢いを目にすると頼もしくて、それを可能にした苦労を思い返し、流しっぱなしの水を愛おしく思ったり、その量をもったいないと感じたりする。
 いつも思うことだが、あれだけの量の水を長い年月をかけて土中に貯え、凍らせもせず、山の力には感謝ばかりか敬服という言葉を使いたくなる。
 
 山の暮らしなどと言っても、つい最近まで人々がずっとずっと幾百年、いやもっと続けてきた暮らし方ではないか。薪を集めて火を熾し、煙に涙を流しながらも一品、二品の暖かい食物を作り、テレビの代わりに燃える火を見続ける。そうやっていれば、夜の静けさ、木立の先の星の瞬きが、遠い昔のご先祖と同じくらい鋭敏に見えたり、感じたりできるようになるような気がする。森の中に入っていって長い時間をかけて用を足す・・・、そうすれば、深い闇がきっと何かを語り出すだろう。ムー。
 
 気合が必要だ!本日はこの辺で。

 
 
 
コメント
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