入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(52)

2021年01月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今年もすでに6日、早いと言えばそうだが、まあそれなりだとも感ずる。元旦そして2日と山の上、それから里の暮らしと、鮮明に思い出せるうちは納得でき、あの寒い年末年始は、今では結構記憶のしかるべき場所に落ち着いている。
 人の生も記憶から消えてしまった年月、日々が増えれば増えるほど、多ければ多いほど、生きてきた時の長さは短く感じるようになってくるのではないかと思う。しかも加齢とともに、そういった記憶の空白部が増えていけば、時の経過の素速さをついつい慨嘆したくなることもあるのだろう。
 九州有田の友人から「このごろブログでは年齢のことを気にしてますね」などと皮肉っぽく指摘され、少々意外な気がした。以前に、この独り言を聞いてくれていた人と会った時には、もっと若い人だと思ったと驚かれたことがあり、年齢相応の内容にこの呟きがなっていないせいだと反省した。しかし、反省が即どうこうなるわけでもなく、以来、古来稀なる年齢を過ぎていることを時折言い添えるようにしてきた。
 そういうわけだが、はしなくも、この独り言には老いを歎ずる思いが滲みでてしまうのだろうか。本人は目下のところいたって健康で、常日頃はあまりそんなことを意識しているつもりはないのだが。それよりか、700万年、いや直接の祖先となればわずか2,30万年の歴史しかないらしいわれわれ人類、この2,3日はその行く末をあれこれと思案しながら暇をつぶし、お蔭で老人性うつ病にもならずに済んでいる。
 このささやかな惑星が誕生して46億年、それと比べたら、われわれの存在など地球上の"一瞬の現象"かも知れない。ましてや長くても100年そこそこの寿命しか持たない個人など、よく言われる泡ぶくのようなもので、たちまちのうちに消えてしまう。ところが宇宙は億年どころか兆年、いやもっとだと言う人さえもいる。
 と、いうようなことを多少はどこかで意識しながらこの呟きを続けているが、それについて、何か高邁なことを言えるわけではない。一牧人が冬の間の無聊の日々、そのよすが・手がかりのようなものとして独り言ちているわけで、願わくばせめて過激を抑え、平凡ではありたい。そしてその平凡であろうと努める中に、もしも老いからくる不安とか、混乱、焦りが感じられたとしたなら、それはそれで一向に構わないと思っている。なにしろ泡ぶくの言うことだから。

 また寒波が来るらしい。上に置き忘れたと思っていた炊飯器は忘れずに持ち帰り、戸口の隅に置いてあった。本日はこの辺で。
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