入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「夏」(69)

2021年08月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この牛たちに日陰を提供しているミズナラの大木のすぐ近くに、1本の沢が流れている。好きな場所で、きょうは電気牧柵下の草刈りでその沢を何度も渡渉し、行ったり来たりした。そうするとその度に、快い瀬の音が聞こえてきて、気が休まった。
 一体、あの沢はどこへ流れ落ちていくのかと2万5千分の1の地図で調べてみたが、よく分からない。その昔、鎌倉幕府が倒れ、その残党が高時の遺児、時行を中心にこの辺りに潜伏していたという話を聞くが、彼らもきっとこの沢の水の世話になっただろうと信じている。
 沢は牧場から流れ出ると、その先に行くことを拒むかのように急峻な渓と化し、一度は下ってみたいと思っていながらもその機会は訪れず、今は諦めてしまった。牧場の周囲にはそういう場所が他にもある。
 入笠一帯は水が豊富な山で、地質的には表土が薄く、その下は恐らく岩で構成されていて、伊那側も富士見側もそのせいで沢や渓が多いのだろう。

 何日もかけた草刈りをきょう終えることができた。それでも達成感は湧いてこなかった。ある人が、鹿対策用の電気牧柵は「やらないよりやった方が良い」と言ったそうだが、その程度の効果のために、随分と手間暇をかけてしまったことになる。
 この一周すれば2,3キロはある第1牧区の電気牧柵の電圧を、一定の高さ(例えば6千ボルト)で維持するために、どれほどの労力が求められるか、そういう人は全く分かっていない。当然その効果も知らなければ、実態も分かるまい。確かに牧草の被害は無視できない重要な問題だが、牧守の立場からすれば、それに劣らず牧柵の被害も勝るとも劣らない大きな問題である。
 鹿は牛と違って、有刺鉄線の牧柵だろうと、アルミ線の電気牧柵だろうと、とにかく切る。どういうふうにするのか分からないが、その際には犠牲になる鹿が何頭も出るだろう。とにかくその頭数たるや、ここでは少しも減少傾向が見られない。
 先程、電圧を計りにいったら6千ボルトあった。3千ボルト程度だったら電気を流すのを止めようかと思っていたが、これならしばらくではあるが、効果が期待できるかも知れない。その程度だ。

 きょうで8月も終わる。もう、「秋雨前線」などという言葉が聞こえてきた。このままここの短い夏が終わってしまうのなら、去っていく季節に同情してしまう。牛の下牧は9月の29日と決まった。これもいつもよりか早い。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(68)

2021年08月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
                Photo by かんと氏(再録)

 良く晴れて、北アルプスの中腹には細く、長い雲の帯が続き、穂高や槍、あるいは山腹を斜めに削り込まれた山容が特徴的な常念もよく見えていた。日の光を浴びたまだら模様の山肌のうち、ハエマツ帯は薄青かったり、岩やがれきは灰色だったりと、馴染みの山並みが真っ青な空と二分してずっと遠くまで続き、白馬の辺りを過ぎて湧き立つ雲の中に消えていた。
 山だけを眺めていれば盛夏のころと変わらないのだが、そうした眺望を可能にしてくれている丘に吹く風や、背後の緑の森、そして昨日も呟いた空の色に、秋色を感じ始めている。

 昨夜(28日)の夜空は本当に素晴らしかった。あれほどの天の川は久しぶりに目にしたし、またしても入笠牧場の実力をしみじみと感じた。
 今年になって初めてだったが望遠鏡も持ち出し、そこで苦労して取り込んだ木星は一列に衛星を従え明るく輝いて見えていた。クラークの「2001年」やそのシリーズの影響ではないと思うが、人気の高い土星よりかも木星の方に親近感を感じ、特に「ガリレオ衛星」と呼ばれる天才・偉人が自作の望遠鏡で見たという衛星に対して空想の幅が広がった。
 こんなことを呟くと、タカハシの100ミリ屈折望遠鏡を自在に扱っているように誤解されてしまうが、実際は全くそうではない。あまりに久しぶりなため扱い方を忘れたり、それに窮し、恥ずかしながら望遠鏡に関してはまったく不満の残る観望会になってしまった。折角の見事な星空だったのに、もったいないことをしたと思う。
 まあ、望遠鏡は、カメラやPCと組み合わせて初めてその威力を発揮させることができるわけで、そういう分野に疎い者としてはもともと限界がある。まさに宝の持ち腐れだろうが、この上さらに望遠鏡に関する自分の知識、技術が向上するとは思っていない。それでも、まさに牧場に牛がいるように、ここの星空には望遠鏡はなくてはならない物だという考えは揺らがないだろう。
 昨年の観望会で眺めた土星や月だけでなく、その時一緒だったHAL、本人、鹿、牛と、その時覗いた望遠鏡も加えて描いた素晴らしい絵を送ってくれた子もいて、それはこの部屋に大切に飾ってある。子供たちが望遠鏡を覗き喚声を上げている姿を見れば、それは同じ世代のころに望遠鏡で月の表面を見てみたいと熱烈に願っていた自分の姿と重なる。薄暗い理科室に置かれた望遠鏡ほど、手に触れてみたかったものはなかった。

  明日は6時から撮影隊が来る。恐らく独り言をする時間はなさそうだから、沈黙を守る日曜日に少し呟くことにした。
 O槻さん、すっかり無沙汰を決めてしまっていました。このとりとめのない呟きが、少しでも入笠の記憶に繋がっていただければ幸いです。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(67)

2021年08月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうもよく晴れた。こういう言い方をするのは何日ぶりだろう。久しぶりに短命だった夏を取り戻すような暑さだ。かなり気温の上昇を感じながら第1牧区へ行ってみたら、大きな青い空が戻ってきていた。しかし、盛夏の光り漲る空の色というよりか、筋雲が浮かぶ次の季節を思わせる薄青色の空だった。正午過ぎの気温は25度で止まっている。
 日が落ちて気温は下がり、夜空に夏の大三角を仰ぎ見るころには、長袖のシャツを着なければならないほどになり、電話で寝苦しい夜を訴えていたNの話から、遠い都会の夏の記憶を思い出した。
 あのころ、今から半世紀以上も前、冷房どころか洗濯機も、冷蔵庫もない4畳半で、窓辺に腰を降し、洗面器に入れた水に足を浸けて、ギラギラと照り付ける夏の太陽の執拗さにただただ消耗していた。都会はあの頃からもっと炎暑が過酷となり、最近では「危険な暑さ」などという言葉まで耳にする。(8月27日記)
 
 例の第4牧区に残留している3頭の和牛のことだが、一昨日から寝場所を変えたらしく、昨日はいつもの場所にいなかった。きょう、第4牧区を探していて、あの牛たちの新しい寝場所を見付けたので、配合飼料を持っていってやった。大分時間をかけて、何とか塩場まで誘導することができた。これはこれで、ささやかながらも牧守の努力が報いられたという気にはなる。牛に対する思いが変わる。
 しかしこういう努力、手間、そういうことを考えた時、この牧場の経営についても、つい考えてしまう。事業と呼ぶには、経済性が悪すぎる。牧場の将来というよりか、ここの自然はどうなるのだろう。またぞろ安易な観光地化に弄ばれ、などということにならねば良いのだが。
 たった3頭の和牛に時間を取られなければ、第1牧区の電気牧柵の下草刈りを朝一番から始めることができたはずだ。もっともその電気牧柵も、数年も前に鹿対策用に設置されたもので、今ではその効果も甚だ疑わしくなっている。それでも長年やってきたクマササの繁茂を抑止するため、半ば習慣的にやっているが、この仕事がなかったなら、他の仕事に回せる時間も多かろうと思う。
 新調した草刈り機の歯の切れ味に今一つ満足できずに、緊張は欠かせないものの単調な作業の合間、またどうでもいいことを考えたり、思い出したりしながら半日が過ぎた。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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     ’21年「夏」(66)

2021年08月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうの写真、ここまで接近すると、早くもこの3頭の和牛は最高の警戒態勢に入る。もう1歩前に進めば、この中で最も臆病な25番(左端)が浮足立ち、そして他の2頭をそそのかして逃げ去るといういつもの展開となる。
 この中で、24番(右端)は一度だけだが給塩を試みたら、他の2頭から離れて10㍍ばかり上方のコナシの木の間から塩場まで下りてきたことがあった。その牛が、昨日のご馳走である配合飼料のことを覚えていたのか逃げずに、口からは涎を垂らし、1歩、2歩と草の上の飼料に近付いてきた。他の2頭はその様子を不安そうに見ながら遠巻きにして、次の行動に移れないでいる。やはり涎を垂らしていたから、何を持ってきたかは分かっていたのだろう。
 昨日の段階ではとにかく牛に恐怖を与えて逃がさず、まずは飼料を食べさせ、つでに警戒心が少しでも緩めばいいわけで、それ以上求めずその場を立ち去ることにした。少し歩いて振り返ったら、3頭がすでにご馳走に夢中になっていた。
 後を追わせるまでにはまだ時間がかかるが、3頭の中で24番を手懐けることができれば、他の2頭もいつまでも意地を張ってはいられなくなるだろう。言葉のない動物は、絶えず一緒にいる仲間の行動に影響され、必ずしも群を統率してない牛が、一群を動かすこともある。
 この3頭の他に畜主が同じ牛が第1牧区に2頭いて、最初のころは5頭の中では24番が最も警戒心が強い牛だと思っていたが、こうして見ればどうも25番の方がもっと臆病のようだ。牛本来の性格もあるだろうが、里で手厚く飼育されていたからだろう。

 帰りかけて、思いがけない場所で「小さな秋」を見付けた。ヌメリカラマツタケだ。近くに1本落葉松の木が生えていたがまだ小さく、日の当たる明るい山柴の中というのは珍しい。普通ならこのキノコは落葉松がつくる半日陰の、もっと湿った林の中に生えていることが多いはずだが。
 部屋に持ち帰って、生け花を真似て飾ってある。なかなか秋らしい風情があって悪くない。



 きょうから天気が回復するらしい。天気予報の際には、盛んに熱中症に気を付けるようにと言っているが、ここはもう、そんなことを気にする必要はない。夏はいつにか終わったのだから。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(65)

2021年08月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 以前にこの独り言で「好天が続く」と呟いたことは覚えていても、それがいつのことであったか、もう忘れた。きょうもどんよりとした雨雲が垂れ込め、今は8月だというのに一体季節は梅雨なのか、はたまたすでに秋霖とでもいうのか、湿度ばかりの高い日が続く。

 少し夢を見て目が覚めた。今朝は一度5時ごろに起きたのだが、布団の中で本を読んでいるうちにまた眠ってしまった。その間の浅い眠りの中で見た夢で、どうやら旅に出て幾日かを過ごした後、列車を乗り継いで帰ってきたらしく、飯田線の最寄りの駅「北殿」に降り立ったという、その時の場面だけが妙にはっきりと記憶に残っている。出発に際しては家から駅までは自転車で来たらしく、ポケットからそのカギをまさぐっていたことも覚えている。
 たったそれだけの夢なのだが、無人であったかどうかはっきりしない改札口を出て、その時に目にした田舎の雑貨屋や駐輪場の風景に加え、初夏を思わせる日の光が緑の樹々の葉に射し込み、実際はそんな場所に駐輪場はないのだが、1台だけ置かれていた自分の自転車は、中学時代に乗っていた深緑色の新品であった。
 何であんな夢を見たのか分からない。旅の中身は消えてしまって、ただはっきりしていることは、あの田舎の何でもない駅周辺の佇まいが、実景とはそれほど違ってはいないのに、しかし美しく清潔で、本当にたった1枚の写真を見たようなそれだけの短い夢だった。

 布団の中で現に還り、自分が山の中にある管理棟の一室に寝ているのが分かってから、その1枚の写真のような夢の記憶について考えてみた。似たような夢を思い出したからだ。
 今でも時折、東京近郊の山が夢の中に出てくる。雲取山でも、二子山でも、両神山でもなく、行ったことも見たこともない鄙びた山里の風景ばかりで、そこにある山々はもっと高く大きくて、そして美しい。もちろん森林限界を超えたような殺伐とした山でなく、緑豊かな日本の中級の山であり、もしあんな里山や山村の風景を見ることができるなら、すぐにでも訪ねてみたいと思うほどだった。
 何か願望のような、郷愁のようなものが、こんなふうに、あんなふうに、どこかでいつか見た風景を実際よりか何倍も印象深く、美しく見せてくれているのだろうか。大体いつも、山から帰る途中で見た光景だというのにも、何か意味があるのだろうか。

 いつか山を下りて里で暮らすようになれば、ここの夢を見ることもあるだろう。牧場の美しい風景がその時どんな姿で現れるのだろうか。きっと、現実のものよりかもっとさらに感動的だろうと期待して、楽しみに待ちたい。
 本日はこの辺で。
 
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