入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(53)

2021年01月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この鳥、モズで間違いないと思うが一応断定は留保しておいた方がよいかも分からない。昨日、この時季でありながら庭には雑草がはびこり、さすがに少し気になり出して草むしりをしたり、掃除を始めた。すると、落ち葉を掻き集めた後のその黒々とした地面にこの鳥がやって来て、何かをついばみ出した。野鳥の割にはそれほど警戒するふうでもなく、あっちやこっちへとせわしく移動はするものの飛び去るわけでもない。これまで家を開けることが多かったからこの鳥は、すっかりこの 陋屋の主にでもなったつもりでいたのかも知れない。
 野良猫の姿を目にしたことはあったが、HALがいなくなってからこの家で生き物をこれだけ身近に感じたことはなかった。米粒を持っていって、皿の上に置いてやった。もう犬を飼うことはないが、野鳥を相手にするのも悪くないと思ったら、一つ楽しみが増えた。



 暖かくなれば、それも気が向けばだが、少しは家の周囲の片付けをすることもある。もう殆ど残っていない山野草のことも気になる。しかし、これから本格的な冬を目の前にして落ち葉を片付けたり、焚火までして、こんなことをこれまでにしたことがあっただろうか。あったとしても、近年では記憶がない。
 ところが、こんな普段やらない作業だが、終わってみればなかなか気分が良かった。本当にささやかなものだが、それでも身体を使い無人の家と間違えかれないような荒廃に多少だが成果があった。そう、思いたい。この長いこと放置された家、その最後の住人として何もできず面目が立たないとは思いつつも、今さらどうなるわけではない。すっかり諦めている。
 それでも好奇心に任せてというよりか、時間をもてあましてする読書などとは違って、視点を変えて身体を動かせば、また別な充実感があると分かった。本を読むのは車窓から眺める景色のようなもので、雑駁な知識が残ったとしても、今となればそれだけのものでしかない。それに比べたら草むしり、掃除はそれなりの結果が分かる。きっと、野良に出て野菜作りなどに励む老人らには、もっとそういう思い、強い喜びがあるのだろうと想像した。「書を捨て街に出よう」とあの人は言ったけれど、老人は「野良に出よ」か。
 ただ、こんなことを呟くと、炬燵の虜囚を止めるのかと思われそうだが、そこまでの決意はしてない。あくまでも気紛れだと断っておいたつもりだが、少し大袈裟に独り言ちただろうか。それと、誰に何と言われようとも、わが陋屋に愛着がないわけではない。あの鳥も同じ気持ちか、寒風の吹きすさぶ中きょうもやって来たことだし。
 本日はこの辺で。
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