入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「夏」(27)

2024年06月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  曇天。少し前、囲いの中の乳牛の1頭が2回咆哮した。何を訴えたかったのだろうか。
 鹿のように野生で育ったわけでもないのに、激しい雨に打たれても悠然と草を食む牛たち、その姿を見ていると頼もしく思え、励まされもする。今朝は上段と下段に群れを作り、早いうちから草を食べるのに余念がない。
 その中でも体躯が小型のジャージーが意外と元気で、可愛い顔に似合わず気が強く、時には囲いの中にいる2頭の鹿の遊び相手にもなったりしている。
 
 その鹿たちのことも気になっていたが、先程フェンスの横際を動く2頭の姿が見えた。牛を馴化させ、また罠としても使う囲いの中には豊富な草、それも大半が牧草であり、水もある。時には牛の目を盗んで、栄養剤が入った配合飼料にもあり付けるかも知れない。
 虜囚ではあるが、果たしてそれを意識しているのだろうか。いずれ牛たちをもっと広い第4牧区へ移す時がくれば、あの鹿たちも同じようにするつもりでいる。解放された鹿たちが仲間に、自分たちの体験を一体どのように伝えるのだろうか。

 今週末は予約が入っていない。天候のせいもあるだろうが、「混雑させないキャンプ場」を売りにしていても、さすがにこの状態では物足りない。
 梅雨の時季はキャンプ場ばかりでなく、雨でも安心快適な小屋もお勧めしたい。

 このPCにも大いに世話になった。独り言を初めて4千日がすでに過ぎ、2台のPCのうち1台は先日その役目を終えた。今使っているこのPCも余命いくばくもない老人のような物で新しいのと換えることにした。
 こういう機器に対する知識は、1町歩の土地を持ちながら1段(たん)にも満たない野菜畑も生かせず、苦心するお百姓同然と言い続けてきた。今後この痩せた野菜畑がどうなっていくかは分からないが、これまでは一人暮らしの話し相手としてはよく勤めてくれた。本物の人間の話相手にもそうすれば良かったと、今頃になって反省しているが、もう、間に合わない。

 突然、2頭の鹿が何に怯えたのか、囲いの中を斜めに横切るように必死で駆け上がっていった。その様子を、何をやっているのかと不思議そうに3頭のホルスと、2頭のジャージーが振り返り、目がその後を追う。そしてまた何事もなかったように草を食む。何とも対照的な鹿と牛の姿だ。
 外に出ると、北から西の方角には大きな青空が拡がっていた。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。



 
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     ’24年「夏」(26)

2024年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 激しく降る雨の音で目が覚めた。夢と現(うつつ)の区別がつかず、それに思い返えそうとしている出来事が一昨日のことであったか、昨日のことであったかも判然とせず、ボケたままの状態が思いの外長く続いた。
 牛たちのことが案じられて小屋の窓から眺めれば、何頭かの乳牛が雨の中でものんびりと草を食んでいる姿が見えて安堵する。昨日、きょうの天気を予想して栄養剤と塩を混ぜた配合飼料をいつもよりか多めに食べさせてある。
  
 それにしても、しとしとと降るならまだしも、この性急な雨の降り方は気を騒がす。落ち着かない。いつもならこの時間、すでに一度は頭数確認を終えているが、きょうはそれを見合わせている。
 世話ばかり焼かせる和牛たちにも、乳牛と同じように昨日、特製の餌を三カ所に置いてきてある。きょうは人間サマの方が先に朝飯を頂くが、たまにはいいだろう。



 和牛の中には4番のようにやたらに怖気づいて逃げ回り、群れを混乱させる牛がいる。牛の暴走をstampedeというのだと、もう遠い昔、氷雨の降るアラスカの街スキャングウエイで教えてもらった。
 アラスカで金が発見されたという報に、一攫千金を夢見た人々が全米から押し寄せた。その人たちを牛の暴走になぞらえてstampedersと呼んだのだと、同地の古臭い観光案内所の壁に書いてあった。
 スキャンぐウエイはそうした人々の基地の一つになったのだが、そこからさらにチルキートパスを超え、レイクベネットを渡り、目指すドーソンまではまだ遠かったろう。案内所の峠越えの説明では、なぜか人ではなくて多数の死んだ馬の数が表示され、さらに場違いな白いドレス姿の婦人の写真が添えられていたのを覚えている。
 多くの人たちにとって、夢はあんな辺境の地で幻として終わったはずで、自分も異国の見知らぬ土地でそんな人たちの一人になったような気がし、多くの人の不運、不幸な結末に同情したものだ。

 雨と牛、そしてstampederと呼ばれた人たち、うそ寒いきょうの天気がそれらを結び付けた。ボツボツ降りしきるこの雨の中、牛の機嫌でも伺いに出掛けるとしよう。
 全頭を確認!元気だ。

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 本日はこの辺で。

 
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     ’24年「夏」(25)

2024年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 いつにも増して鳥の声がよく聞こえてくる。東の山際にようやく太陽が昇ってきたところだ。午前6時、気温10度、青空も見えるが薄曇り。しかし、今に朝の鋭い日の光が、この雲の覆いを消してしまうかも知れない。

 牛が来て1週間が過ぎ、その間の1日平均歩数は1万歩を超えた。一段落したかと思えば次々と予想外の問題が突発し、それらにずっと翻弄され続けたせいだ。
 もう、詳しいことは呟かない。まだ放牧は始まったばかりである、安易な楽観は控えるようにと、あの牛たちに教えられた。

 朝露に濡れた牧内を歩く。東の空はこの季節らしい雨雲が残るが、西の空は夏らしい爽やかな青い空が見える。
 中断の塩場には4頭の牛が、こちらの気付く前にすでに逃げ腰の体、昨日複数の人間が水場を教えようと追い立てたから、また警戒心が復活したらしい。
 
 上段に上がると、下方に牛の群れが見えて、どうも除角した牛たちのようだ。だとすれば南信州から来た牛たちで、行って見ると7頭がいて近寄ってくる。耳標の牧場番号を読み、それを記録する。他にもう1頭が離れた所にいて計8頭、どれも思った通り南信州の牛たちだった。
 
 中断の塩場にいて逃げた4頭がその上のいつもの場所に行っているのが分かっていたから、急な斜面を上がっていった。警戒の強い群れだから、しばらく様子を見る。
 そこへ、1頭だけで草を食んでいた42番が上がってきて一吠え、すると4頭が反応し、追随しようとする。下からそれらの牛たちの耳標の番号を読めたのはいいが、まるで拝ませてもらうような格好で。

 群れは4頭と8頭の計12頭、頭数的にはそれで合うが、中の牛たちは群れの構成が昨日と変わっていた。要注意の牛4頭のうち3頭が8頭の群れの中にいて、もう1頭が別の牛と4頭の群れを作っていた。
 とにかく、心配していた12頭の元気な様子を見て、取り敢えずは南信州から来た牛たちの頭数確認を終えた。もちろん、牛に教えられたように、もう安堵はしない。それに、どこにいるのか、まだ伊那地域の和牛の確認が残っている。

 仕事のことばかり呟いてもつまらない。昨夜は、小屋に来た馴染みの客2名の車に便乗して、案内がてら諏訪の温泉に行った。富士見の湯が休みだったからだが、いい気分転換になった。

 赤羽さん、Kuwanahanさん通信有難く拝読しました。またよろしくお願いいたします。
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 本日はこの辺で。

 
 

  
 
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     ’24年「夏」(24)

2024年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 梅雨に相応しい曇天、牛守としては、勝手ながら雨が降らないだけマシだと安堵している。外の気温は15度(午前7時20分)、肌寒い。
 昨日の午後、1ヶ月に一度は病院へ行かねばならず、里へ下った。そこで会った人の何人からか「暑かった」とか「蒸し暑かった」と言われて、思いがけない言葉を聞くように驚いた。ようやく牧の状態も少し落ち着きそうだが、昨日などそんなことには気が回らなかった。
 
 3時半過ぎ、パドックへ置いてあった和牛27番を他の群れがいる第2牧区へ移し一段落した途端、5時までに里に下らなければならないことを思い出し慌てた。そして、下界に向かって軽トラを走らせながら、その日は昼飯も、血圧と痛風の薬も飲んでいないことに初めて気付くような始末だった。
 獣医のSさんや畜産課のO君と茶を飲む時間はあったし、その前には撮影の下見に立ち会うこともできたが、気が急いていた。病院で血圧を計ったら、予想通り上は150を下は90を超えていた。

 ついでに家にも立ち寄り、たくさんの郵便物の中に「Fielder」という、文字通り野外活動を扱う雑誌を見付け持ち帰った。本には、取材などで3回ほど会った著述家宗像氏の書いた、鎌倉幕府の執権北条高時の次男時行に関する記事が掲載されているはずだった。
 上に戻って、早速その本を開いたところ予想以上に長い記事で、それに時行の広範な活動域ばかりか、内容も深く、疲労困憊の頭の中で読んでは著者に失礼と思い翌日に譲ることにした。疲労のせいで500㏄1本のビールすら飲み終えぬまま寝てしまった。

 時行に関しては、この独り言にも何度か登場している。彼と関係する中先代の乱や後醍醐天皇の皇子・宗良親王にも触れた。しかし、さすがと言うしかないが、ここまで辿ることはできなかった。宗良と時行を「二人のプリンス」と捉えたのも、前者は天皇のまさしく皇子、後者は鎌倉幕府得宗家、執権の次男であり、皇室と武家の違いはあれど、確かに二人は「プリンス」である。
 牧場管理人の名前も出てきたりして大いに面映ゆい気もしたが、宗像氏の気遣いであって、記事に貢献しているとは言えない。(6月24日記)
 
 それでもいつか里で暮らすようになったら、この悲劇の武将北条時行の足跡をもっと時間をかけて訪ねてみたいと思っている。
 それに、木地師、落人部落、日朝上人、宗長親王、武田勝頼、天狗党、神足勝記等々、信州の山深い里であればこそ生まれ、語り継がれた物語をきっともっと聞くことができるだろう。

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     ’24年「夏」(23)

2024年06月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  東の空の雲間から青空がのぞいている。午前6時、囲いの中の牛たちはすでに行動を開始し、今1頭の乳牛が「モウー」、なんともヨロヨロしそうな気の抜けた声を聞かせてくれた。
 
 昨日、「問題のないことを確認済み」と呟いたのは、第2牧区内及びパドックに入れた和牛も含め、雨の降る中を全頭の確認ができたというだけのことで、それで終わったわけではなかった。
 午後になってまた様子を見に行けば、南信から来た14頭のうちの1頭が、第2牧区のゲートの先で横になったまま動こうとしない。今朝も目が覚めて真っ先に見に行けば、昨日と全く変わらない状態のままだ。
 さらに、この28番も一緒だった群れの7頭は、やはり昨日と同じ場所にいて草を食んでいるようには見えない。恐らく、入牧前に必要な牧草馴化ができていないということだろう。
 雨に濡れた草がもう少し乾いたら、この牛たちには栄養剤を入れて配合飼料を持っていくしかないが、しかし横になったままの28番の回復はあの様子では期待できそうにない。
 
 入牧してまだ5日目である。2日目にして脱柵したり、逃避行をしたり、そうかと思えば体調不良の可能性が高い牛、草を食べようとしない牛などなど、問題ばかりだ。前日の「問題なし」の呟きを訂正しなければならない。
 きょうは月曜日、肉牛の出荷がある日で畜産課の職員も忙しい。できればそれが終わってから連絡を取るつもりだったが、こっちも急ぐ。出勤前のO君に連絡を取り、取り敢えずこっちの事情だけは伝えておいた。

 台帳を見れば動けないでいる28番は平成7年の生まれだから・・・、調べると2015年、9歳である。「繁殖牛」と言って、肉牛を産むためにこれだけ長生きができたのだが、そうでなければとっくに人間サマの口の中に入っている。
 あの牛28番も、お役目を終えればいずれはそうなる運命だが、久しぶりに焼き肉にありつけて「オイシー」と黄色の声を上げるあの人たちには、そんな牛のことなど想像もつかないだろう。

 小鳥の声がする。きょうの天気は曇りながら雨は降らないという予報になっている。どこから、どうやって囲いの中へ入ったのか2頭の鹿を、ジャージーが追いかけて遊んでいる。目の前の平和そうに見えている牧の光景だが、なかなか重い一日の始まりとなった。

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