入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「夏」(23)

2023年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また夜中起きている。最近は8時には布団を敷き、知らないうちに眠りに落ちて、目が覚めると大体が2時ごろになっている。それから2時間ほど取り留めのない時を過ごし、夜が白みかけカッコウが鳴き出す4時ごろにまた寝直す。
 夜中に一度も起きない特技を自慢にしていたのに、どうもこのごろはそうもいかなくなってきた。身体に溜まった疲労が、却って眠りを妨げているのかも知れない。

 昨日は午前中、2箇所の牧区にいる牛たちに塩を混ぜた配合飼料を与え、その後また北原新道の草刈りに行った。
 あのクマササの生い茂る急な斜面に草刈り機を持ち込み、テイ沢から高座岩に繋がる道を作ろうと奮闘を重ねた北原のお師匠のことを、ある人は「正気の沙汰とは思えない」と呆れたものだ。
 そして、お師匠は毎年今ごろの時季にやって来ては法華道や、この北原新道の草刈りを幾年となく続けてきた。そんな姿を見て、押しかけ弟子の身ながら、師がお作りなすったこの山道を「北原新道」と勝手に名付けたら、本人も結構喜んでくれた。

 お師匠亡き後、いやそれより何年か前から、北原新道の草刈りや整備はすっかり弟子に譲ってくれた。多分、折角苦心の末の山道を或る日、林業関係の作業道路が横切るようにして出来てしまい、無残に削られた斜面に新たに登路を設けた時からだったと思う。
 以来、愚痴り、ボヤキ、怒り、苦難の草刈りを毎年続けている。昨日でようやくその寸断された林道まで草を刈るだけは済んだ。まだその先の草刈りだけでなく、刈ったクマササの片付けや刈り直しが残っている。

 その終了点で腰を降して呆けていたら、たくさんのアリが忙し気に動き回る様子が目に付いた。いい風に吹かれながらしばらく見とれていた。
 あの小さな黒い点のような身で、アリたちは本当によく活動している。たまには自分よりか大きな虫の死骸を懸命に運んでいるアリもいたが、殆どが一体何をしているのかさえも分からない。
 しかし考えてみれば人だって同じようなもので、われわれも時を食いながら何のために生きているのかもあまり考えず、同じようにせわしなく生きている。
 きょうで6月が終わる。今年も半分が過ぎる。早い。

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     ’23年「夏」(22)

2023年06月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 いつか見たテレビの番組だったような気がする、舞台はヨーロッパアルプスで、老いた牧守が孫らしき少年に「牧場の仕事は歩くのが好きでなければ務まらない」と教えていた。確かにそうかも知れない。
 それに加えて当牧場の場合は、草刈りが嫌いではやっていけない。牧場ばかりか、その周辺の環境整備を含めれば、この仕事の占める割合はかなりのものになる。
 
 昨年から、第1牧区の周囲に設置してあった電気牧柵の下の草刈りは止めた。これは10年以上も前に県が鹿対策用として設けたものであったが、今ではその効果があまり期待できず、グラスファイバーの支柱やリボンワイヤーの一部を別の用途に向けるためだった。
 それでもまだ1㌔位は鹿対策のためではないが、第1と2の牧区に設置してあり、その下の草刈りはすでに2回行っている。

 昨日は久しぶりに電気牧柵の点検と、その下の草の状況を調べるため小入笠の頭まで上った。かなりの被害を覚悟していたが、意外や意外、牧柵が明らかに鹿の被害を受けた個所は、頭の終了点近く1箇所だけだった。
 この放牧地へは国有林からやって来る鹿の餌場でもあり、群れは常時来ている。クリンソウの大群落の花は早々に摘まれてしまったが、この鹿たちのせいだと見ている。
 にもかかわらず、別の牧区なら当然ズタズタに切られてしまうはずの牧柵が、電牧ばかりか有刺鉄線の分も無事であった。この点に関しては、ここへ出没する鹿たちはかなり行儀がいいということになる。

 帰り、一面がマーガレットの花で埋められた草原を眺めながら、牧草の状況を調べつつ下りてきた。あんな花が放牧地に増えるのはもちろん歓迎できないが、ここだけだぞ、と言い聞かせて。

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     ’23年「夏」(21)

2023年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 今年は空梅雨ではないかと期待も込めて思っている。作物の成長には雨も必要だから、出来れば夜間に降って、昼間は今朝のように青空も見えるほどほどの天気なら有難い。と、そんな勝手で都合の良いことを考えていると、今月初めのころのような大雨にまた襲われるかも知れない。
 そういえば、一昨日里に下りて忘れていた夏の暑さに驚いた。牧場は例年になく気温が低い気がして時には暖房が欲しくなる時もあり、大分季節感がおかしくなっていた。しかし、下界は間違いなく夏だった。

 災害報道などをする民放の記者が、よく目にする商標の入った雨具を着ていることが多い。あれはあの商標の元が宣伝のため、無償提供しているのかと思ったりして見ているが、実態はどうなのだろう。
 ここにいても、山は金のかからないかつての時代と変わって、着る物や道具に結構出費していると思える人が目に付く。これも一種の流行りかも知れないが、この業界の物価上昇率は2パーセントなど軽く超えて盛況だろう。

 昨日から来ている彼と彼女も新品のテントを持ち込み、快適な一夜を過ごせたと言っていたが、そのテントは山用、とわざわざ断らなければならないが、2人用ながら8万円もすると聞いて驚いた。それでも高くなった山小屋料金のことを考えたら、我慢できると笑っていたが。



 確かに山小屋の料金が旅館並みになっているとは聞いている。食事事情も大いに改善され、従業員の給料も最低賃金の縛りがかかるから、それなりの経費がかかることは理解できる。しかし、もう登山は金のかからない遊び、趣味ではなくなってしまったようだ。
 このままいって、登山もスキー業界の轍を踏まねば良いがと、余計な心配までしてしまう。
 
 さらに青空が拡がって、暑くもなければ寒くもない気持ちの良い朝を迎えた。鳥たちもこの爽やかな気候を喜んでいるのか、ホトトギスの声が一段と大きくなってきた。

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     ’23年「夏」(20)

2023年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 昨日からこのブログの作成画面を新しいやり方から従来の方法に戻そうとしたが、写真の扱い方が変わってしまい、上手く行かない。自動変速の車しか運転したことのない者に、いきなり手動でギアを変速しなければならない車(マニュアル車)を運転しろと言われても当惑するしかないのと同じだろう。「スマート エディター」とかを標榜しているが、困惑してる人が他にもいるのではないだろうか。

 静岡から来たKさんのキャンプ風景の写真をブログに載せると約束した。はたして上手くできたか分からない。そもそも「見出し画像」をどのように挿入するかが不明なのに、「見出し画像の追加」と言うのもよくと理解できない。
 文字の大きさもこれでは読みにくいはずだが、何故かままならない。後になって、こんなことに苦労していたのかと思うかも知れないし、この道に通じている人ならきっと嘲っているだろう。
 
 というような試行錯誤を重ね、何とかいけそうだが、疲れた。きょうはいつもの調子で呟く元気がなくなってしまった。

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     ’23年「夏」(19)

2023年06月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ブログの作成画面が変わってしまったので、大いに戸惑っている。文字サイズも果たしてこれでいいのか分からない。
 
 何度も同じことを呟くが、古い人間なので、一度覚えたことに固執して、新しい世界へ出ていこうという気がしない。炊飯器、チェーンソー、そして何よりいつまで経っても馴染めないこの四角い箱、PC。最近はこれらの例に掃除機が加わった。
 1町歩の土地に10坪ほどの菜園で満足している者には、それ以上は原野のままであって一向に構わないと思っている。誰かのように栗の木を植えたり、柿の木を植える気にはならない。
 そういえば、履物屋を止めて蕎麦屋を始め、結果全てを失った気の毒な人の例もある。年を取っても好奇心は失いたくないが、自分の許容する極めて狭い範囲の中で満足できればいいと思う。
 ついでに言えば、賭け事、勝負事にも一切興味がない。

 この部屋からでも、牛が草を食んでいる様子が見える。17年間見続けてきた見慣れた風景で、それでいて飽きない。
 のんびりと好き勝手にやっているように見えて、このごろは食べることが彼女たちに課せられたかなり過酷な仕事だと考えるようになってきた。何しろ1日に体重の12パーセントもの草を食べなければならないのだから。
 人だって、貧しい国の人、いや遠い時代のご先祖さまたちもそうだったに違いない。庶民が肉も食べ、魚も食べ、甘い物も食べられるようになったのはそれほど昔のことではないだろう。
 あの牛たちと同じように、味覚などに拘る余裕などなく、腹が膨れればそれでよしとしてきた時代が、ついこの間まであったような気がする。

 きょう富士見に下って食料を買ってきた。限られた知識が、限られた分野にしかないように、料理も同じようにあまり多くの品を作れるわけではない。特に野菜を使った料理は、手が掛かるし、生で済ませる方が多かった。
 あまり栄養のないキュウリ、大根、ナスなどは、努めてよけて使わないできた。ところが、今はキュウリの季節だとのたまう人がいて、キュウリを食べない者に食を語る資格はないくらいに言われた。そして、叩きキュウリのごま油風味というのを教えてくれた。
 そういう料理、と言うほどの物ではないが、知ってはいた。半信半疑で自作し、食して以来、もう1ヶ月以上になるが毎夜食べている。漬物が必要ではなくなった。

 春ゼミの声に混じってウグイスとカッコウの声がする。牧場の午後、牛たちも反芻を始めたらしく、草原に背中しか見えない。

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 本日はこの辺で。 明日は沈黙します。

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