入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(69)

2021年01月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 きょうのUme氏の写真でも分かるように先週末から、標高1千4乃至500㍍以上では雪だったようだ。その高さは多分第2堰堤より先の枯木橋あたりに相当し、確かにこの橋を境に、積雪量がガラッと変わることが多い。昨日用事で外に出たら、西山も同じような高さからはかなりの積雪があったようだったが、昨夜、夜中にかなり激しい雨音を聞き、今朝の室内気温はいつもに比べて8度とかなり高かった。山の降雪はさらに標高を上げたかも知れない。

 小屋やキャンプ場へよく来てくれ、親しくしているOさんから電話で、仕事のない今は何をして過ごしているのかと聞かれた。相変わらず機械に向かって独り言ち、本を読み、気晴らしに風呂に入り、夕暮れが訪れれば晩飯を用意し1合の酒を嗜み500㏄のビールで潤す。昨夜はビールはつい2本、1千㏄になってしまったが、8時半ごろにいつもの散歩に出掛けて1時間半ばかり歩き、この頃はその後にウイスキーのお湯割りを飲み、心身をほぐしてから床に就く。
 昨夜もネズミの立てる音で一度目を覚ますも9時間、はばかりにも行かずにしっかりと寝た。精液を運ぶ前立腺は用がなくなれば縮小どころか肥大し、歳を取った男たちのそれが頻尿の原因となり、共通した悩みらしい。まだその兆候はない。
   
   日は日くれよ夜は夜明けよと啼蛙(なくかわず) ー蕪村

 この句は例の「あと千回の晩飯」で知ったが、作者の山田風太郎もこの句がお気に入りのようだ。こういう単調な日々を送っていれば、俳人が蛙に託して吐露した思いが実によく伝わってくる。普段は時の流れなどできればゆっくり過ぎて欲しいと思っているのに、ここでは遅々として進まない時を急かそうとしている。何か愉快なこと、嬉しいこと、あるいは吉報を待つというのなら分かるが、夕暮れとか夜明けの話である。特に夕暮れなど来ればこの時代、一日はほぼ終わってしまう。それでも、この心境は意外なようでよく分かる。
 
 今、指折り数えてみれば、この冬ごもりもまだ2ヶ月と1週間しか経っていない。長いと思っていたがまだ半分にもならない。残りの日々に安堵もしないし、過ぎた時を惜しむわけではないが、この無為とも言える日々の状況を格別不満に思うこともなく、終わってもいいし、終わらなくてもいいと思っている。だから、この5か月の閉じ籠りに関しては俳人の思いとか、それに共感する気持ちとはまた違ってくる。
 それでいて午後の3時ごろを過ぎ、空の色にも光の精彩にも衰えや翳りが生じてくると、やはり夜が待ち遠しくなる。何か宙ぶらりんの状態に早く決着を付け、落ち着くべきところに落ち着きたくなるからだろうか。
 
 また寒くなるというが、本日はこの辺で。
 
コメント (1)
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