入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’17年「冬ごもり」 (23)

2017年01月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうで1月も終わる。そのことと関係ないが朝、起きぬけにビールを飲んだ。これで1日どこへも出掛けず、炬燵にしがみつき、ネコさながらに過ごすことになる。空はよく晴れているが、風が冷たい。こんな日は、窓から射す日にまどろみ、読みかけの本に1日を費やすのが相応しかろう。風呂も沸いてる。朝酒しようと朝湯をしようと、それで失う身上(しんしょう)などない。
 それでも、こんな暮らしにどこかで気が咎めるのか毎夜、夢の中では実によく働く。目が覚めて、その疲労の余韻を引きずるほどまでに働く。昨夜はしたこともないタクシーの運転手までした。そのせいで朝、まだ夢の中では夜だが、喉が冷たい物を欲したのだろう。
 不思議だが、入笠の夢は見ない。あそこはもう、いくら絞っても出てこない歯磨きチューブよろしく、わが身を充分に酷使したと勝手に思っているせいかも知れない。
 
 昨日本屋へ行ったら、ある文庫本の束が「読め!」とばかりに目に飛び込んできた。”街道の泰斗”と呼んで喜んでくれるか知らないが、司馬遼太郎の「街道を行く12 十津川街道」だった。大先生の熱心な読者でもないのに買って読んだら、これがまた面白いのなんの、まさに巻を措く能わず。それで終わったばかりの紀伊路の旅を、きょうも繰り返している。それにしても、旅の前にこんな本を読んでいたら、まだ今も空腹を抱え紀伊山中を彷徨していたかも分からない。ついでに、4月になったら行こうと考えている「壱岐・対馬の道」も買ってきたが、知り過ぎて良いのかと悩ましい。

 カントさん、コメント有難く。この時期、一夜ドカーンときたら、春まで愛車は雪の中でしょう。週末登るので、また知らせます。

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    ’17年「冬ごもり」 (22)

2017年01月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  そう、いかに南紀の山が、海が一時心を虜にしたとしてもそれは旅先のこと、見慣れた変哲もないこの風景こそが帰るべき心地良い家であり、懐かしい寝屋である。いや、ある人たちには「古女房」とか、譬えは変えてもいいが、牛番には入笠こそが、そういう地である。
 
 それにしても旅はいい。、できればあの人のように、僧衣をまとい地下足袋を履き、あの人が辿ったとは逆に、秋葉街道を遠州灘を目指して下っていきたいものだ。若いころから幾度そういうことを夢想したことか。
 季節は、できたら秋がいい。あの辺りの峠道は、秋にはススキが白い穂をなびかせ、日の暮れかけた山道を行く風変りな旅人のために、急げいそげと夕風に揺れながらやさしく背中を押してくれるだろう。土ぼこりをまとい、うらぶれた僧の、品行方正を曲げず続ける当てのない一笠一鉢(いちりゅういちばつ)の旅・・・。

「お前、旅で頭がおかしくなったのではないか」
「それでござる。確かに」
「そんなことを今のご時世にやれば、狂人と思われるぞ」
「いや、いや、装束は別にしても、秋葉街道は熊野古道にも増して歩いてみたい長年の夢の街道でござる」
「あの”歴史と街道の人”は、秋葉街道については書いていないだろう」
「だと思いますが、この辺りは火伏の神・秋葉信仰がことのほか篤かったのでござる。講を組んで、代表が直線でも160キロ以上の遠路を幾日もかけ、目指す秋葉神社まで行ったのだそうでござる。また平家の落ち武者も、宗良親王も通った古の道でござる」
「それと入笠がどう関係するのだ。まあ別に関係しなくても構わないが」
「入笠を通る法華道も、それより古い石堂越えも、どれも秋葉街道(=国道152号線)と繋がるのでござる」
「なるほど。しかし前から思っていたが、お前のその”僻村と古道症候群”とは一体何なんだ」
「自分でもよく分からぬのでござる。虫けらのように草莽に死に、忘れられていく人たちとか、その生き方に共感するのかもしれませぬ」
「それはまあ、お前のように生きたればこその思いだろうよ」
「・・・」

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    ’17年「冬ごもり」 (21)

2017年01月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

橋杭岩

 もう少し紀伊の山のこと。
 この地を初めて踏んだのは、20年ほど前のことになる。当時は、東京港から勝浦港経由で高知まで、白い船腹にオレンジ色の大きな太陽が描かれたサンフラワー号という洒落た船が運航されていて、それに乗船して行った。ところが期待の熊野大社よりも、その後に訪れた雪の高野山の方が印象に強く残る旅だった。季節は5月、同行者はP君、それと彼のパジェロ。
 だから海と温泉、それと南朝を率いた後醍醐天皇の陵墓のある吉野の如意輪寺を訪ねてみたいとは思っていたものの、今回の旅で行ってみるまでは、伊勢や熊野の諸社寺や古道、霊山のことについて、実はそれほど深い思いを寄せていたわけではなかった。


     杉の巨木・霊樹
 
 しかし、二度目の旅で紀伊の印象は一変した。海もだが、特に山に魅かれた。一望するだに鬱蒼とした杉の森が幾重にもどこまでも峰を連ね、あるいは重ね、それがまた深い谷をこしらえ、浩然とした流れが霧の中をゆったりと下っていた。この季節だったために雪も一役買っただろうが、それも落葉樹が主体の入笠のような山とは趣を異にして、同じ雪景色でも常緑樹の叢々たる山々はまるで上等なオーバーでも着ているように見え、風景から寒さを消しているように見えた。
 神代の昔から、紀伊の山地は深山幽谷でありながら神話の舞台として、また王朝の時代は神仙の住まう聖域と信じられて山岳信仰の対象となった。700年代に役小角(えんのおずね)が登場し多くの口碑が生まれ、つれて修験道は各地に広まってゆき、密教系の仏教や道教などを習合させ発展するようになった、とか。
 紀伊半島を縦断する途次に偶々訪れた玉置(たまき)神社は、見事なまでの杉の大樹がそびえる標高1千メートルほどの山中にあった。雪のために訪れる人もなく神域は寂として、樹霊が見てきた神話の時代から2千年、いやそれ以上もの長い時の移り変わりを思いつつ、しめやかな霊山の淑気というものを存分に感じながら歩いた。ここはかつては神仏習合が行われていた社寺だったらしいが、明治の廃仏毀釈のせいで今や仏閣の面影はなかった。
 踏み跡もはっきりとしない急な雪道を登っていった先には、標高1千と76メートルの玉置山の山頂が待っていた。そこからは遥かに熊野灘が望まれ、かの役小角が拓いたと伝えられる大峰奥駈道とは、目の前の急峻な峰が幾つも続く吉野までの難路を言うのだと知った。
 
 旅はまだ続くものの、勝手な番外編はここまでとします。
 
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    ’17年「冬ごもり」 (20)

2017年01月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など



    玉置神社の杉の巨木、樹齢3千年とか

 伊那谷を留守にしていた6日ばかり、国内各地での大雪のニュースを耳にしたが、この地では不思議なほど雪が降らなかったらしい。行く先々で、長野県から来たと言うと決まって雪の話題をふられ、大したことはないと答えると、誰もが信じられないという顔をした。

「お前、入笠をほったらかしてどこへ行っていた」とは早速アノ先輩の叱正。北原のお師匠からも「ブログはどうした」と、心遣いの電話を頂戴した。
「実は雪の熊野古道でひたすら修行三昧の日々を送り、それでは足らず大峰の奥駈までもしてきたのでござる」などと言っても、もちろん二人ばかりか誰も信じはしまい。
 世界遺産にも登録された熊野の古道、ほんのさわり程度で満足するしかないのを承知で、それでも神社や古道に漂う深い玄妙な淑気を感じてみたいと思い行ってみた。そしたら、思いがけずも雪までが杉の森や、古道を美しく化粧して迎えてくれ、「神々の鎮まる」聖地訪問は、期待以上の満ち足りた旅となった。
 今回熊野古道は、中辺路(なかへじ)の本宮に近い湯の峰温泉から、また大峰は入峰の起点となる玉置(たまき)神社から、ほんの覗く程度だが歩いた。どちらもかなり勾配のきつい杉の森の中を行くが、そんな古い山道に、遠い昔の人々の息遣いも聞いた。日本最古の温泉と言われる湯の峰温泉、杉の巨木が叢生する深い静けさの中の玉置神社、深く切れ落ちた渓谷とそこを悠然と流れる熊野の川。
 三日間はずっと海を眺めつ神々(伊勢神宮、熊野新宮、那智)を訪ね、残りの三日間は紀伊半島の山中を縦断しつつ吉野まで神仏(熊野本宮、東光寺、玉置神社、如意輪寺、金峰山寺)を訪ねた。そしてその間連日連夜、身の潔斎を真似て古い湯につかり、そうかと思えば酒で身をけがした旅でもあった。

 旅の間も、入笠のことは絶えず気になっていた。入笠にもご存じ法華道と、石堂超えという古道がある。来週末はその一つ、北原のお師匠が長年苦労した法華道を種平小屋夫妻と登る。
 SKRPONさん、コメント嬉しく拝読。今週末キャンプを希望された方には、ご要望に沿えずすみませんでした。

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’17年「冬ごもり」 (19)

2017年01月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この冬は、コナシの叢の先、フエンス内には鹿の足跡が全く見えない。囲い罠のゲートはふたつとも開放してあり、罠は作動しない。雪を掘れば草ばかりか、なによりも好物の土に浸み込んだ塩を舐めることができると知っているはずなのだが。やはり、彼らも学習しているのだろう。この囲いの中に入った仲間が、二度と外に出られずに、やがて姿を消してしまったことを。
 鹿にそれだけの知能があるのかと問う人がいる。どのようにそれを教え伝えるのかと聞く人がいる。しかし、この陋屋の第二の主であったチュウ公たちも、いつしか姿を消して久しい。快適だった彼らの住処(すみか)が、最も危険な場所に変わったことを、彼らも察知したに違いない。しかし、どのようにしてかまでは分からない。
 今、炬燵の中でひたすらに惰眠を貪っているHAL奴も、飼い主の心を巧みに読む。でなかったなら、こんな厚遇にありつけず、いつものように寒風の中にほっぽかれ、眠るしかない。





 突然ですがきょうより海と、神と、仏を訪ねて、4,5日の旅に出ます。ブログの再開は翌週末、二十日ごろになると思います。お付き合いいただいている皆様には、その間しばしご安堵頂けるものと思います(クク)。
 
 冬の営業案内が消えてしまったとのお問い合わせがありました。現在も営業案内の通りですが、日の経つのは早いものです。光の明度が高まる3月に向けて、いまからどうぞ計画をお立てください。人数についても、ご相談ください。

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