入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(25)

2021年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、高遠から帰ってくる時に目にした風景が気になる。三峰川の水量の少ないなんとも殺風景だった河原が、柳の緑の初々しさで一変し、その新鮮な眺めに気を取られて桜の方に注意が向かなかった。主菜を食べずに添え物に執心してしまった、と言ったら柳に悪い気がするほど、いかにも春らしい気の晴れる眺めだった。
 花と言えば桜だが、本来の花はもっと楚々とした小さな花弁をつける山桜のことだと聞きかじったことがある。牧場にそんな花が咲くにはまだ1ヶ月くらい先だが、標高差1千メートルの通勤が、里の風景をゆっくりと再現してくれるわけで、それはこの仕事が与えてくれた特権だと思っている。

 以前に、小屋なら分かるが、なぜキャンプ場まで予約が必要なのかと考えたことがあった。この頃は山小屋も予約制のようだが、昔はそうでなかった。小屋泊まりの経験はあまりないが、昔は悪天時に登山者を断ったら事故につながる可能性があるというわけで、予約なしでも宿泊を受け入れ、登山者もそういうものだと思い、窮屈を我慢した。ましてテント場など、どこまでが小屋の管理の範囲かも曖昧なまま、とにかくテントを張れる場所さえ見付かれば、料金を取られて客にしてくれた。
 
 富士見側の交通規制が行われるようになって何年にもなる。ただ、牧場の小屋及びキャンプ場の利用者の車なら、富士見側の通行規制から除外され、そのお蔭で、便利な用品がたくさん持ち込まれ、テント、タープ類は大型化が目立つ。時代遅れの登山者には想像できなかっただけでなく、当初に考えていたような余裕のあるキャンプ場の運営が簡単ではないことを知らされた。入笠山周辺ではキャンプ場は他になかったが、近年もう一カ所「キャンプできます」の張り紙が出たこともあり、不本意ながら予約制を取り入れることにした。
 そこへ、covid-19が追い討ちをかけてきた。昨年は、利用者の年齢構成とかも考え、あの広さの、4カ所ある設営場でも、一応10組を受け付ける上での限度とした。さらにまた、家族以外は、友人同士など同一テントでの複数の利用も避けてもらうよう、お願いした。小屋に関しては48畳の広さの畳の部屋が望めば4カ所、12畳毎に仕切れるようになっているが、同時に2組以上を受けない方針を今年も守るしかないと考えている。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(24)

2021年03月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 すっかり春の陽気となって、草花の日毎の生育が楽しみになって来た。八角蓮はその後何株も増え、今年も元気な姿を見せてくれている。間もなく傘を開くだろう。やはり同じころに我が家に来たイカリソウも、早ければ明日にでも桃色の花が開きそうだ。つい2,3年前のことのような気がするが、10数年が過ぎてしまった。



 covid-19は第4波が心配されている。長野県も主に北信地方だが、一昨日は30人(昨日は20人)を超える感染者が出ている。こういう状況の中だが、昨年はそれなりの対策を講じた効果もあったようで、ヒヤヒヤしながら無事に乗り切ることができた。とはいえ、だから今年も大丈夫だ、などとはもちろんのこと思わない。それと、報じられている一部の若い人たちの行動には、はっきりと言って不信感もある。
 五輪を控えてやたら性差の問題が喧しかったが、それよりも、と言えば揚げ足を取られるかもしれないが、この感染症に関しては世代間において、受け止め方に大分違いのあることが判明した。若い人たちは罹っても重症化しないという説を信じて、感染の拡大に頓着しない向きのことが伝えられているが、その挙句に感染した高齢者が重症化する。その辺りのことは統計が歴然と示している。特に医療が貧弱なまま観光に頼る島嶼の人々は複雑な思いで暮らしているだろう。
 1ヶ月もすれば始まる連休、すでに問い合わせが来ている。昨年は8月からの営業開始だったが、今年は例年と同じく4,5月の連休に合わせて、取り敢えず完全予約制で行うことを考えている。詳しいことは、ここでも分かるようにしてゆきたい。



 昨日は明るいうちに散歩に出た。桜の開花が気になって、福与城址まで足を延ばしてみたのだが、生憎、まだ城址の花は早かった。それでも道中にはちらほらと開花したばかりの花(桜)、コブシの花、それにあれは桃の花だろうか、も咲いていた。つい先日まで寒さを気にしての散歩だったのに、昨日などは1枚着ている物を脱いで歩くほどで、もう疑いもなく春だ、の思いを強くした。と同時に、冬の星空にはさんざんお世話になり、そう思うと感謝と、別れ難さのような気もしてきた。
 
 花の街高遠の桜も大分開花が進んだ。きょう東部支所へ行った帰り、三峰川の河原の柳の鮮やかな緑と高遠小彼岸桜、その後方に控える残雪が眩しい中アの峰々、あの町が一年で最も華やぐ季節になった。長野県にも桜の開花宣言が出ようで、前年より4日、平年よりも15日も早いと。しかし、これを単純に喜んでいいのか。
 本日はこの辺で。

 

 
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     ’21年「春」(23)

2021年03月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 covid-19も心配だが、今ミャンマーと呼ばれる国の混乱の行方が気になる。27日に行われた軍の式典に対し、抗議した市民が114人も殺されたという(「毎日新聞」)。すでに多数の死傷者が出ていて、さらにこの事態である。
 にも拘らず、国際社会は手をこまねいているようにしか見えない。国連もいつもながらで、この組織はあまりにも頼りない。水面下では何らかの動きはしているだろうが、存在の意義が疑われないか。
 日本は国連関連では米中に次いで第3位と、それなりの金額を拠出している。あの機関で働く人々は給与、手当などは納税の義務から免除され、上級職員は外交官と同等の特権が与えられているはずだ。しかし、一体何をやっているのかわれわれの目には届いてこない。
 ロシアなどの拠出は、8位のブラジル、9位のカナダの後塵を拝し10位、2019年から2021年の間に日本の分担率が8.5パーセント(2億4,000万ドル)であるのに対し、ロシアはたったの2.4パーセント(6,750万ドル)と、あまりにも少ない(金額は端数切捨て、外務省広報)。
 ミャンマー軍事政権に「友好的な支援」をするこの国のことはさて措いて、日本政府も堂々と「虐殺だ」と、なぜ声を上げないのか。
 日本を含む12か国の国防関係者もミャンマー国軍に対して非難の共同声明を発表ときょうの報道。この非難に加わらなかったロシアと中国は、同じことが起きればミャンマーの治安部隊と同様の対応をすると言う意味なのか。

 60年、70年の日米の安保条約の改定時、日本も大混乱が起きた。60年の強行採決では、女子大生が亡くなった。退陣を余儀なくされた岸首相(安倍晋三前総理の祖父)は後にTVの取材で、警察力の弱さがあのような事故を招いたと語っていた。それを聞いた時は大いに憤慨したが、今になって思えばあの発言は必ずしも言い逃れではなかった。その後、警備力は強化され、70年には反対運動はさらに過激化したが、それでも圧倒的な警察の取り締まりの前に沈静化した。そしていつしか、大規模な学生運動はこの国から消えた。
 ミャンマーでは治安部隊・軍が今の体制維持のために自国民に発砲し、流血の事態が続いている。日本はいろいろな接触方法があるようだから役人の接待問題ばかりに明け暮れず、今こそもっとしっかりとした支援策を考えるべきではないのか。
 香港の市民も、一握りだか二握りだか知らないが権力者によって、温暖な気候の国から極寒の地にでも強制移住されたようなものだ。中東は相変わらずきな臭いし、これだって、一部の人間の権力への妄執と横暴から、多くの人の一度しかない人生が狂わされている典型だろう。

 きょうの独り言は、入笠牧場とは何の関係もありません。それでもつい、本日はこの辺で。 
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     ’21年「春」(22)

2021年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうの写真は牧場内の初の沢の大曲りを少し過ぎたあたり、この先、緩やかな傾斜が第2検査場へと続く。まだ日陰にはかなりの雪が残っていて、気を抜けば待っていましたとばかりに春の重い雪に身動きできなくなってしまう。いつだったか一冬、この付近に1台の乗用車が放置されていたこともあった。
 それにしても、温暖化は確実に進みつつある。3月のこの時季に、車で上がれるとはとても考えられなかったし、例年なら仕事始めの日でさえ、ド日陰の手前から3キロほどを歩くのが毎年の行事だった。まだその日までには1か月もあるというのに・・・。
 木の間から見えた霧ケ峰は雪がすっかり消えて、一昔前に流行ったラクダの肌着に似たような枯草の原が、明るい青空とは対照的に見えていた。
 ラクダの肌着などと言っても、今の若い人たちは多分知らないだろう。その名がラクダの毛に似た茶色の色から来たのかどうか、年寄りが寒くなると着ていた古い記憶しかない。いつだったか山の用品を売っている店で見たことがあったが、結構の値段だったことを覚えている。冬山に向いているかはともかく、保温性は優れているはずだ。
 
 あちこちに依然残雪が目に付く冬枯れの山にも、確実に春は近づきつつあった。なによりもあの日は雲一つない青空が明るく光り、そこから降り注ぐ暖かい日の光が春を振りまいていた。遠くの沢からは水音が聞こえていたし、鳥の声もした。
 まだ芽吹くには早いコナシの大木には、寄生した一抱えほどの丸まった緑色の葉が目を惹いた。あれも常緑樹だったのかと驚いた。そうでなかったら、いくら春が来たからといってあそこまで、という気がしたのだったがいつものことながら分からない。断定はせずにおくべきだろう。
 草花や野鳥に関心がないわけではないが、どういう人かと訊ねたいと思いながらそれをついぞ果たせず終わるようなもので、名前となるとからっきし駄目だ。いや、教えてもらっても覚えられない。特に春は毎年のように、鳥でも草木でも少しでも知り合いを増やしたいと思いながら今に至り、ほぼ諦めてしまっている。
 そもそも、今から心待ちにしている山桜のおよその開花日さえも、タラの芽の生え出すころも、ヌメリカラマツタケの採れる時季も、冬の間にあっさりと忘れてしまう。アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトなんて畏れ多い人の名前はまだ憶えているのに、何か、誰か、われわれの交際の邪魔をしているのだろうか。
 
 赤羽さん、また会ったら話しますが、考えなければならないことは多くあります。特に、長期的な視点が不足してます。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。ムー、もうまたこの科白、早すぎる。
 
 
 
 
 



 
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     ’21年「春」(21)

2021年03月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 これだけ慣れ親しんだ山室川も、芝平では数少ない平坦地「オイデエラ」以外は、滅多にしか流域には近づいたことがない。きょうの写真の場所も、14年間にこれがたったの二度に過ぎないはずだ。釣りでもすれば、釣果にはあまり拘らずに、こんな渓流の中を歩いてみるだけでも満足できるだろうにと思う。
 ただ、生き物の捕獲を遊びや趣味の対象にはしたくないので、10代のころの記憶はあっても、その後にある一夏だけ、友人に鮎の友釣りに付き合わされたくらいか、他に覚えがない。黒部の上の廊下に入渓した時、同行者の一人が釣り好きだったから何匹かのイワナをご相伴に預かったけれども、自分から釣り糸を垂らすということはしなかった。
 牧場の南門から下っていけば小黒川が流れ、ここへも多くの釣り師が遠くからもやって来る。このゲートが小黒川の崩落で閉鎖されている間は、そこから歩いて行くだけならまだしも、オートバイや自転車まで持ち込む人たちまでいる。釣りも結構人を狂わせるようだ。
 
 生き物を遊び相手にはしないと言っておきながら、鹿は随分と殺したはずだと言われれば、それは間違いない。先日も猟友会から牧場内の囲い罠についてや、あの辺りの鹿の状況についての問い合わせがあった。これは趣味や遊びではなく、牧場の管理上の仕事と決めて止む無くやって来た。
 ところが昨日は、1頭の鹿の姿も目にすることがなかった。冬でもこんなことはまずない。もしかすれば他の山域のように、鹿が居なくなったかも分からないと一瞬思ったが、これはまあ、あまりにも楽観的過ぎるとその淡い期待をすぐ打ち消した。

 渓を割って流れ下る清冽な水は本来は色を持たないはずだ。それでいて、飛沫を上げ白濁する急流ばかりか、緩やかに流れ下る場所でも光線の加減や、川床の岩や石によって、自然が微妙な着色を加える。水が澄んでいればいるほどその色遣いが冴えてくるから、絵に譬えれば山室川のような清流は第一級の作品と言っていいだろう。これからさらに光の明度が上がっていき、川面に写る木々の芽吹きも始まる。巨匠の奥義を今年も存分に鑑賞することができるだろう。
 
 そう言えば、高遠の桜が一部開花した。一昨日、それを入笠の往復の際に確認した。
 かんとさん、昨夜BSでタカハシの望遠鏡の制作現場を紹介してました。アメリカでも評価が高いのだと。上にあるあのタカハシの望遠鏡も、もっと大事にしないといけないですね。
 本日はこの辺で。
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