入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(31)

2024年09月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 午前5時、夜が明けてきたのだろう。カラスの鳴き声に続いて、ヤマバトの声もする。カーテンの隙間からわずかに薄青色の空が見える。きょうも秋空の拡がるいい天気になりそうだ。

 キノコ狩りの続報と言うほどのものではないが・・・、牛の確認を済ませ安堵して、一度は無視したキノコを探しに林の中を引き返した。何しろ、誘惑されたのだから捨て置けない。
 もうそろそろだろうと思うも、たった小1時間前の場所に記憶はなかなか連れて行ってくれない。もどかしい思いをしながら歩いていると、別な場所で新たな誘惑を受けた、美形である。今度はもちろん無視などしない、素直に応じる。
 
 釣り師の中には釣った魚を持ち帰って食べるわけではなく、放流するのに、それでも少しでも多く釣ろうとする。キノコ狩りも似たような心理が働くらしく、一人で食べるにはもういいだろうと思えても、それでも初物探しを続けて予定した森の中、林の中をとにかく歩き回る。
 キノコよりか、それに費やす労力の方を惜しんでいたはずなのに、そうしないと気が済まなくなってしまった。

 さて持ち帰ったキノコ、実はその食べ方、実はよく知らない。で、大いに迷ったが、湯がいて大根おろしで食べるには大根がなく、すき焼きにするにも、その材料がない。翌日だったら富士見に下る用事があったが、それを待つことができない。
 ないない尽くしで冷蔵庫の中をのぞいたら、驚いたことにビールまでがすっかりなくなっていた。もうこうなれば、里へ下るしかない。

 いろいろと仕入れて牧に戻り、すき焼きの支度を始めた。行った時間が閉店近くで、春菊とタケノコは入手できず、ダイコンと糸こんにゃくは他の料理の食材に気を取られ買うのを忘れた。
 それでも入魂して用意し、しばらくするといい匂いがしてきた。まずまずだと、わりしたに使う日本酒をさらにたっぷりと加え醤油を足して、おもむろに味見をする。そしたらなんと、先刻の味がすっかり駄目になってしまっている。ひどく甘酸っぱい。
 後で分かったが、酒だと思ったのは梅酒で、それを気前よくドブドブと入れてしまったのだ。

 まったく「あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ」だ。仕方なく食べる。うーん、舌が慣れてくると、少しづつ酸っぱさは和らいできたと、強いて思う。
 いつもは絹豆腐だが、目当ての品がなく焼き豆腐にしたがこれは正解。ただし、キノコにはすき焼きの味が強すぎ、繊細な風味を損なったような気がしないでもない。次回は出汁を効かせた薄味の醤油仕立てに山芋などと一緒が良いかも。なお、肝心な肉の種類は、内緒。

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      ’24年「秋」(30)

2024年09月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、第1牧区の和牛たちに塩を持っていったところ、いつも根城にしている御所平に姿がなかった。頭数確認の必要もあり、4等三角点のある丘の周囲、雷伝様、さらには舞台、ドン底と牛たちの姿を探してみたが、見付からない。
 初めは高をくくっていたが、次第に脱柵が現実味を帯びてきて、厄介なことになったと緊張が高まる。牛たちを見回ったら、いつもの森で今秋初のキノコの様子でも見ようとしていた気持ちなど瞬く間に霧散した。

 一度管理棟に戻り、牧柵の外の複雑な地形を歩くため山靴に履き替え、ペンチやハンマー、針金、ロープなどを用意して、再び牧区へ戻った。
 第1牧区は現在最も主要な放牧地で広い。とにかく、脱柵した場所を探すことから始めねばならないがその目途すら立たず、外周を北から時計回りと反対に歩いてみることにした。

 ドン底、舞台の外を歩き、その昔し鎌倉幕府が滅びた後に高時の遺児時行も世話になったはずの無名の沢を渡ると、そこからはきつい登りとなる。ふと1本の落葉松の根元に、顔を出したばかりのヌメリカラマツタケと目が会った。しかしキノコどころではない。採っていかないかと問われたような気がしたが無視する。
 急な登りを終えた所で、また見付けた。今度は1本でなく4,5本が「見付かってしまったか」とでも言わんばかりにこっちを見ている。しかしこれも相手にしない、また無視。

 外周を約半分も歩いただろうか、御所平の一部が見えてきた。やはりその中に牛の姿はないと思ったその時、草原の遠くで黒い塊が動いた。なんと、1頭の牛だった。しかも、目を凝らせば、その背後の落葉松とダケカンバの混成林の中にも黒い塊が見える。
 牛たちは脱柵していたわけではなく、姿が見えなかったのは林の中を流れる沢へ下って水を飲んでいたからだろう。全頭の確認を終えた。安堵した。

 となれば、先程目にしたキノコのことが気になってくるが、その続きは明日ということで。
 それにしても今年は、牛に関してはいろいろあり過ぎたたから、あんな早とちりをしてしまったのだろう。恥。
 
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      ’24年「秋」(29)

2024年09月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 久しぶりに山の本を読んでいる。たくさんの人の山行体験が綴られていて、似たような山に対する想い、感動、苦痛、恐怖などなど、忘れていた記憶が少し甦ってきた。
 今もこうして山の中に暮らしているのに、その違いは唐辛子と胡椒ほどもあるだろうか。いや、もっとあるかも知れないし、そうでないかも知れない。どちらも大切にして、比較するのは止すことにする。

 週末からきょうまで、キャンプ場や小屋は普段よりかも賑わった。そして皆がきょう帰っていき、またしばらくは一人の暮らしに戻る。
 そうなると、寂しくないかとか、心細くないかと訊かれるが、そんなことはないといつも応えている。自分のことではなく、この境遇に他人を置いて想像すれば、そういう問いも分かるが、自分にとっては実際寂しくも、心細くもない。
 里に下って一晩暮らせばまた違った気になるが、今ここにいてあの誰もいない家にいる自分を想像すると、その方が、うらぶれた他人のように思える。

 同じように、76歳というのは確かに高齢、それも「後期」が付くというのに、普段はそうは思わずに暮らしている。これも、他の人を見て、その歳でそんなことをして大丈夫かと心配し、その姿や行動を自分と重ねて自重することならままある。
 しかしそれよりか、年齢を意識するときは例えばまだこんな斜面を若い人よりか元気に登ることができるぞと前向きになって、喜んでいるときの方が多い。
 結構生きたぞという余裕もあるし、昨年、今年と親しかった者と幽明を異にしたことで、あっちの世界への拒否感が薄れつつあるのかも知れない。
 待てまて、そのときになったら見苦しい振る舞いをするかも分からない。こんなことを口走るよりか、先のことは分からないと、そう言っておいた方が無難だろう。

 NHさん、通信拝読しました。第3牧区のある大沢山は古い富士見の小冊子には「小入笠」と誤記されているものがありました。そういう類の過ちは他にも散見され、気付いたときは、ここでも触れるようにしています。
 今後、高遠総合支所と富士見町との連携はさらに良くなっていくと思いますから、こういう間違いは少なくなると思います。

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     ’24年「秋」(28)

2024年09月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 秋日和、昨日と同じくきょうもいい天気になった。9月も早や1週間となり、日の経つ早さ、ビールの在庫の減る早さを感じている。

 与党、野党の党首選を控え、立候補者やそれを伝える報道、世間の慌ただしい動きがここまで伝わってくるようになった。できるかどうかは別にしてもいろいろな政策が伝わってくる中、選択的夫婦別姓の問題があたかも候補者の踏み絵というのか、リトマス試験紙かのように扱われ、話題になっている。そして、頑迷な保守と判断されないようにと思うのか、概ね「理解」や賛意を述べている。

 よく分からないのは、なぜこんな問題が外交や安全保障、はたまた経済などと並んで重要視されるのかということだ。実際に、どれほどの人がこのことで悩み、切実に考えているのか、恥ずかしながら山の上で牛の尻を追って暮らす者には理解することが難しい。
 テレビなどで発言する進歩的な知識人たちの論も、どこまで本当にこの問題に関心があるのかと疑問に思う。同性婚もそうだが、理解を見せなければ、以後は番組に呼んでもらえないとでも思っているのだろうか。

 結婚後も旧姓を使いたがる人がいるかと思えば、逆に筆名や芸名を使う人もいる。結婚して、新しい姓に喜ぶ人だっている。一概に、女性はこの問題で苦労ばかりしているとは思えないのだが、違うだろうか。
 仕事で旧姓と新しい姓との混乱でご苦労するのと、ひとつの家族、同じ屋根の下に暮らす者同士が姓が違うことで混乱するのと比べても、前者の問題の方が大きいと言われたら、よく分からずに勝手なことを言っているのかも知れないが、正直よく分からない。

 今の戸籍制度は明治以降の封建的な制度だと言う人がいるが、江戸時代でも百姓に姓がなかったわけではない。同姓が多く、屋号の方が都合がよかっただけだろう。海外の例にしても、宗教的な縛りがあって離婚を恐れ改姓しないでいても、子供が生まれたら姓を同じにする例を聞いたこともある。

 これだけでは、夫婦別姓の良い面、悪い面を語ることは無理だが、生まれた国の歴史、文化、伝統を大切にしたいものだと、進歩的なあの人たちも言っていた。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。



 


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      ’24年「秋」(27)

2024年09月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  ちょこんと顔を出していた石は,思いのほか大きくて
 
 あそこの湿った土の匂いがする森へ行けば、そろそろキノコの茶色の傘を見付けることができるだろうか。昨年はすでに8月の終わりに、顔をのぞかせたばかりのヌメリカラマツタケの写真を撮った記憶がある。
 
 個人的な好みからすればサンマよりかサバだが、サンマ飯を炊くのは秋の行事のようになっていて、今年もすでに済ませた。
 その際に、値段の方にまで気が回らなかったから高かったのか安かったのか覚えていないが、そのことはどうでもいい。一人の男が秋の味覚を味わうというよりか、このサンマ飯にまつわる思い出にひたるだけで目的は果たせる。

 サンマ飯の源流はタイ(鯛)飯だろうと勝手に思っている。信州の山の中ではタイの入手は困難だったろうから、代用として手に入りやすいサンマを使ったのではないかと推測するのだが、サテどうか。
 それはそうと、まさかこの年齢になって、サンマ飯を自作するなどと言うことは想像することもできなかったから料理方法を尋ねたこともない。自己流である。しかし、比べたら、恐らく母親のサンマ飯などよりこっちの方が余程美味いだろうという自信ならある。

 料理でエンゲル係数を上げることをあまり気にしない。だからと言って、高級食材など手に入らないし、関心もない。しかし、例えば、豆腐にはこだわる。初めて行った店なら、迷わずそこで一番値段の高い物を選び、コンビニでなどでは絶対に買わない。
 
 魚はまずサケだが、これにも多少こだわりがあって、決して南半球産の物には手を出さない。国産でも、辛味の物を選び、塩気の薄いサケを食べるくらいなら食べないと決めている。
 肉はさすがに牛は遠慮し、せいぜいブタ、トリだが、今では年齢のせいかそれほど食べなくなった。
 果物は・・・、ウーンどうだろう、スイカもモモもブドウも食べたいと思うことは稀れで、それで済んでしまっているが、昨日到来物のブドウを美味しくいただいた。食べればどれも美味いことは分かっている。

 さてさて、こんなことを呟いていたらキリがない。そのうち里では稲刈り、それが終われば続いて祭囃子が聞こえてくるだろう。各位におかれても、秋の味覚を大いに堪能してください。

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 本日はこの辺で。


 



 
 
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