昨夜も9時ごろ散歩に出た。ほぼ中天にオリオン座、そしてそれらの光の粒に負けじとシリウスがその少し下方の南東の空に孤軍で気を吐くように輝いていた。
ふと思った。わが国には「竹取物語」があるくらいで、星座にまつわる古い物語が他にもあるのだろうかと。月の模様からウサギの餅つきを連想したご先祖、はたまた「星は昴」と決めつけてくれたあの人はすぐに思い浮かぶが、それ以外にはどうなのだろうかと。その昴は、これだけの数の星や星座の中で唯一の和名だということを聞いたが、ご先祖は88もある星座に絡むような星の物語は一つも作ってはくれなかったようだ。
古代メソポタミアの羊飼いの時代から「六分儀座」の大航海時代までと長いながい時間が流れたはずなのに、この島の住人は、あの膨大な星の煌めきを単に夜空を美しくする装飾くらいに思いつつ、眺めていたのだろうか。我が国にだってずっと古くから自然に対する精霊の存在を信じたり、大岩や大木を崇めたりと、そうしたアニミズム的な考えに基づく神話や伝説の類はたくさん生まれた。にもかかわらず、あれだけ饒舌に夜空から語り掛けてくる星々に耳を傾けようとしなかったなら、それはなぜだろうか。今よりかもっと、もっと夜空は澄み渡り美しく、星々は生き生きとして見えただろうに。それとも、そういう物語があっても、単にその存在を知らないだけなのかも知らない。きっとそうだろう。
70年代だったと思うが、イスラエルのテルアビブ空港で赤軍を名乗る若い日本人3名が銃を乱射し、たくさんの人を殺したり、傷つけるという事件があった。唯一生き残った青年は法廷で、人は死ねば殺した人も殺された人もオリオンの三ツ星になるという神話を語り、それを信じるわけではないが、それでもそう思えば気持ちが救われるという意味のことを言ったと報じられた。朴訥とした顔の岡本公三、当時20代であった。
あれからほぼ半世紀、今では彼の消息は殆ど伝わっては来ないが、まだ中東のレバノンで生きているはずだ。その彼も時には夜空を眺めることがあるのだろうか。
きょうは少し雨も降っている。気温はそれほど低くはないが、それでも上は雪かも知れない。先程北原のお師匠から電話があり、何か話があって来ると言う。そういえば、今年になって初めて会うことになるが、一人で車を運転してくるようで心配だ。
本日はこの辺で。明日は沈黙します。