
刈った葉が散乱しスッキリとまではいかない、道遠し
午前5時半、気温14度晴れ。昨夜の雨か、夜露が降りたのか、イタドリの葉や牧草、それにコナシの葉も濡れている。山の背後ですでに準備はできているようだが日が昇るにはまだ少し時間があり、それまでは鳥の声でも聞いていろというのか、名の知らぬ歌手の歌声がよく聞こえてくる。
もうテイ沢の整備は終了したつもりだったが、倒木のことが気になり、ザックにチェーンソーを無理やり押し込んで昨日も出掛けた。ヒルデェラ(大阿原)から行くか、下流から行くか迷ったが、結局3日続けてヒルデェラからにした。
いずれにしてもそれほどの違いはなく、つい前日、前々日に習った格好になった。
木曜日、それも午後を回っていたのでもう湿原に人はいないと思っていたら、周回する径の途中で一人とだけ会った。どちらからともなく声を掛け合ううちに、何故か釣りの話になった。
その人曰く、小黒川に下る林道を一般車両が入れなくしていることは川と魚のためにはいいことだと認めていた。確かに、以前はオフロードバイカーと釣り師のための林道かと思うような状態に、地元ではそれを苦々しく思う人が多かった。
あの黒部川でさえ「上の廊下」には多くの釣り人が押しかけ、本流には魚がいなくなったという話はもうずっと昔に聞いたことだ。ここを下った時も、入渓者は登山者のものよりか釣り人の足跡と思しき方がより目に付いたほどで、釣り師たちの旺盛な魚、多分イワナ、への"執念"には驚かされた。
子供のころには釣りもやったから、魚を釣った瞬間の手に伝わるあの絶妙な振動・感動は知っている。今は釣った魚をまた放流する人が多いから、そういう人は魚を食べるのが目的ではなく、あの手ごたえが欲しくて山を越え行くのだろう。
都会の猛暑を逃れ、涼やかな渓相の美しい流れに釣り糸を垂らす、そして一心に反応を待つ。想像するだけだが、さぞかし気分がいいだろう。
嗤われるのを覚悟で言うが、加えて昨日呟いたことと違うような話になるが、草を刈っていても、稀にだが似たような感覚を覚えることがある。こっちは歯の手ごたえ、刈り取られた根の跡、すっきりとなった山径などなどだが。それともう一つ、なかなか満足のいく結果をえられない、ということも後を引く。
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本日はこの辺で。