入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(20)

2023年11月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 里で暮らすようになり、まだ落ち着いた日常を得ているわけではない。と言って、格別な不満や不自由があるわけでもない。
 冬ごもりに慣れるまでは、まだしばらくは何もしなくていいと自分に言い聞かせつつ、昨日は気紛れに生け垣を刈った。きょうも庭の草刈りでもやるつもりでいたら雨が降っている。
 やはり、一日が終わるころには人並みに、それなりに納得ができるような終わり方をしたいというの気持ちがあるのだろうか。

 そんな他人事のように呟くのはさておき、今朝起きたら、右手の小指が言うことを聞かなくなっている。原因は尿酸値、ビールが原因かも知れない。
 酒と言えば、以前にも呟いたが、周囲の親しい人間からは味の分からない者、という評価が定着しつつある。きっとそうだと思うし、それが幸いしてか、お蔭で酒に淫し、深入りすることにはならなかったと自己診断している。
 そもそも酒が不味いとは思わないが、さりとて特に美味いと思って飲んでいるのか、このごろは自分でもよく分からなくなってきた。だからと言ってもちろん、止める気などもとより考えたことはない。
 
 先日、ある人と電話で話をしていて、思いがけずも口から出た「酒は不肖の話し相手なのです」という科白、われながら上手いことを言ったものだと自慢したいが、嗤われるだろうか。
 酔いの深まる中で、もう一人の自分に一日の労働を労ってもらい、もう一人の自分と対話を始める、それが一日を閉じる際に味わう清貧独居禁欲の平安である。そのために酒を飲むのだと言ってもいい。
 少し侘しく、しかしそれが酔いの対話をさらに神妙豊かにさせ、意識の深みにもっと沈んでいける気になる。

 行く先々で酒癖の悪さを晒し回った人は行乞俳人の山頭火だが、「酒が美味過ぎるからいけない」と日本酒のせいにしていた。さすがに「美味過ぎる」とまでは思わないし、あの人と違って酒席で醜態を晒すことも今は遠い記憶でしかない。
 山頭火は嘆き、悔み、泣き、そして飲んでは自嘲を繰り返し、歩き続け、ある日消えるように死んだ。今生に未練はなかったように思う。
   
   この道しかない春の雪降る
   ちんぽこの湯気もほんによい湯で
 
 名句と迷句、本日はこの辺で。

 
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     ’23年「冬」(19)

2023年11月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日は約1週間ぶりに上へ行ってきた。千代田湖から迂回する山道は木材の搬出や、未舗装の泥濘化など道路状況の悪いことを聞いていたし、これまでにも充分にそれを体験してきたから、敢えて通行止めになっている芝平を抜けてオオダオ(芝平峠)に上がった。この山道も大荒れの石だらけの道ながら、峠の表示板にはこの下り道も迂回路になっていて、これでは上と下では真逆の表示となってしまう。さぞかし事情を知らない通行人は混乱するだろうにと危うんだ。
 それに、今回の林道の舗装路の補修が終わるのは12月の26日であったか、とにかくいつもながら工事期間がやたら長い。これほど日数をかけるなら、危険な迂回路に通行人を誘導などせず片側通行にすべきで、行政は迂回路を含めて状況を充分に把握できているのかと訝しくさえ思った。
 気温が高かったせいで、ド日陰の大曲がりにも僅かの凍った雪が残っていたがそれも融けかけていて、今回は自分の車でなく軽トラだったが、牧場まで通行には支障がなかった。

 それにしても、生気のないうらぶれた佇まい、まさしく山の中に見捨てられた小屋であり、周囲の風景も同調してすっかりと変わり果てていた。陰鬱なまでの冬空が拡がり、色彩はそがれ、わずかに残った雪が寒々とした風景をさらに強調するかのように見えていた。
 春から夏、そして秋に至る7か月をここで暮らし、それなりに牧守としての役目を果たしてきた。牧を閉ざすに当たってはその満足感もあった。
 広大な風景の中に牛たちがいて、多くの人の訪れた賑やかな時もあれば、100人を超える撮影隊を迎えたこともあった。こうしていても、いろいろな人たちの顔が浮かび、笑い声が聞こえてくる。
 しかし、あれからたった10日ばかりが過ぎたというだけで、そうした日々は遠のき、去ってしまい、まるで他人の日々でも想像するかのように振り返り、ただただ茫然とするしかなかった。
 昼過ぎ、帰りかけたら雪が激しく降り出した。追い立てるようでもあり、また引き留めるようでもあった。

 それでも、越年は今年もこの小屋になる。雪が、白い空白が、このみすぼらしい景色の不要な部分をすっかり消し去り、新しい年を迎えるに相応しい凛とした清浄な牧になって迎えてくれるだろう、そう期待している。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「冬」(18)

2023年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    開田から眺める仙丈岳、散歩はこの辺りから左手、北へ向かう
 
 里で暮らすようになって、すっかり運動量が減ってしまった。そのせいか、数少ない贅沢のひとつである快眠が、上にいる時のようにできなくなってしまった。それではならじと試しに昨日、散歩に出てみた。
 結果はどうであったか。なんと、散歩の効果は絶大だと言え、ここで呟くのが憚れるほどよく眠れた。
 
 冬枯れの山付きの野を歩くのだが、距離的には牧場からテイ沢、ヒルデエラ(大阿原)を経由して、山頂を一周するのとほぼ同じくらいだろうか。散歩道にもそれなりの起伏があり、峠も超える。それでも、今は「首切り登山口」などという標識が立っている入笠の裏側の登山口、あれは「仏平」と言う立派な名前があるのだが、あそこから山頂へ至るほどの傾斜はない。

 あの辺の様子もこれから呟くつもりでいるが、開田、畑中、谷川、山裾の小さな峠超え、そしてそこからの伊那谷の眺望などなど、かなり気に入っている。
 晩秋から本格的な冬へと季節が移行していき、やがては雪道を歩くようにもなる。そして寒さに耐えているうちに、いつしか経ヶ岳の雪が消え、樹々の芽吹きが始まり、そのころには花を待望しながら歩くようになるだろう。「冬夜長し」などとあの人は言ったけれど、そういう思いの裡にも瞬く間に時は過ぎていくはずだ。
 昨年は夜間が多かった。冬の星座を眺めながら歩くのも捨てがたく、時にはそうするつもりだが、午後の暇つぶしには散歩と「座る」のが何よりの方法だと分かって来た。

 一昨夜、友人及び先祖の墓参りを済ませたので、それをもって、以後夜間の墓参は控えることにする。墓の主たちの安眠を妨げてはいけないし、人の目に付けば騒ぎになるだろう。恥ずかしながら、変わり者の評価を甘受している。
 本日はこの辺で。

 
 

 
 
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     ’23年「冬」(17)

2023年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 澄んだ青空に冬独特の冷気が感じられる。庭木屋に整枝してもらった柿木もまた枝がかなり徒長して、冬空に鋭い枝先を見せている。閑日、何の予定もない。
 風呂に入り、それでようやく身体を動かす気になり、関西風肉うどんにとろろ汁を加えて食べたら、もうすることがない。いや、何もしなくてもいい。

 風が吹いた、花が咲いた、鳥の声がする、などなどと入笠の折々の風景、様子を独り言ちて来たが、今はそれをするわけにもいかなくなった。そうかと言って、では、ここでそういうことを呟くほどの材料があるのか言ったら、さてどうだろう。
 それに、この呟きを聞いてくれる人たちの多くは入笠のことが知りたいのであって、一人暮らしの後期高齢者の日常などに関心があるわけもなかろう。まあ、呟く側も、そうそう見苦しい"風景"なぞを晒す勇気もないのだが、それでも分からない

 この独り言を始めたのが2013年の6月だというから、既に10年以上にもなる。しかし、格別の感慨はない。
 それどころか、代わり映えのしないことを肯定したり否定したり、躊躇ったり、言い過ぎたり、首尾一貫しないことを繰り返し、自分のことながら当惑するくらいだ。
 この独り言に付き合ってくれてる多くの友人知人、そして牧場の山小屋やキャンプ場へ来てくれた人やそうでない人にも、たくさんの雑音をお届けした。何卒、変な残響のないようにと願いたい。
 
 そう言いつつ、なぜまだ続けているのかとなるのだが、自らに問うても確たる返事が聞こえてこない。惰性、暇つぶし、まあそんなところだと思ってもらって構わない。
 考え、主張は極力控えるのがこの独り言を続ける秘訣だと承知はしていても、ズボンの下から股引を引きずるような無様な風景がつい洩れてしまうもの。その辺はこれからもご容赦を。
 
 里の電気釜の正しい使い方が分からず、コンセントを抜いたり入れたり。PCも上と下では機種が違うので間違えてばかりいる。
 本日はこの辺で、明日は沈黙いたします。




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     ’23年「冬」(16)

2023年11月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 上は雪かも知れない、などと独り言(ご)ちる。曇天、不愛想極まりない冬の空で、里でも白いものが舞いかねない天気だ。などと思ったら、気温は意外に高く、陋屋の室内気温は暖房無しでも只今(午前8時)13度である。
 11月の半ばに雪が降り、それが融けもしない山道を下ってきたのが昨日のこと、ところがきょうは炬燵も要らないほどの里の暖かさ、一体この惑星はどうなってしまったのだろう。

 いつの間にか青空が拡がっている。今まで田中淳夫著「獣害列島」(イースト・プレス)を読んでいた。まだ読了してないがこの本では、有害動物が増えた理由としてよく言われる狩猟者の高齢化と減少、オオカミという天敵の絶滅、などに対して、日頃から漠然と抱いていた疑念だったが、やはりいい加減な俗説、こじつけであったと納得できるように分かりやすく説明している。
 また野生動物がここまで人里へ出没するようになった理由として、実は里にある多量の餌、つまり商品化できずに放棄された野菜や果実が、かれらの活動域を拡げた理由として挙げていてこれにも納得させられた。
 それだけでなく、奥山や里山の荒廃が動物たちにとってはより棲みやすい環境になっている例も挙げていて、これにも同意できる説明がなされていた。
 鹿の駆除に関しては、静岡県農林技術研究所が開発した硝酸塩入りの餌を紹介していたが、これを食べると酸素欠乏症に陥り、結果死ぬのだと。しかし、殺すまでのことはないと思うし、動物愛護団体がまた騒ぎ出しそうだ。避妊薬で充分対応できる。
 
 里へ出没するクマに関しても、鹿と同じような対応の遅れ、誤りを繰り返せば、そのうち人を怖れなくなるクマが増えてくることが懸念される。強いつよいと思っていたら、人間は存外臆病で弱いと知れば、もっとゾロゾロと里へやってくるのではないだろうか。そうなれば鹿どころの騒ぎではない。
 それにしても、いま行われている学習放獣など、どれほどの効果があるのだろうか。クマの行動範囲の広さからすれば、人にとっては奥山でも、クマにしたら裏山程度でしかない。
 以前に学習放獣に立ち会ったことがあったが、罠にかかったクマを麻酔銃で眠らせ、車まで運び、細密な個体調査の資料作りにも協力したが、役所の担当者は放獣をどこで行うかは明かさなかった。入笠周辺の国有林だろうと想像したが、その場所が伊那側であろうと富士見側であろうと、クマにとっては多分散歩の範囲内に過ぎないだろう。

 本日はこの辺で。
 
 
 
 
 

 

 
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