入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「春」(24)

2023年04月01日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日はこんな風景を眺めながら、久しぶりに8キロばかりの散歩をした。青空に映える残雪の山々も陽光の明るさや強さによるのだろうすっかり春の景色の中におさまり、薄赤い桜の花と真っ白なコブシの花の色をそこかしこに散りばめた景色全体からは、清新な緑の色がさらに増えたようだった。
 
 自然は長い冬を越せばまたあんなふうに生まれ変わって活気な姿を見せてくれるが、しかし人はそうはいかない。光り溢れる空の下で自然が次から次へと再生していく様子を目にすれば、元気な子供らに追い抜かれていくような気持にさせられて、老いた身にとっては少々酷な季節でもあるのだ。
 
 たった1時間30分ほどの散歩の影響が出た。情けなくも足に若干の違和感がある。筋肉は年齢に関係なく、鍛えればそれだけの効果があると聞くが、逆に鍛えなければ忽ち劣化する。そういう見本であることを身に沁みて感じている。
 2,3日散歩を続ければ元に戻ると思うから心配してないが、それでも完全復活とはならず、その度に筋力の低下が進んでいくだろう。と言って、それに抗うだけの気力や体力があるかと聞かれれば否ということになる、受け入れていくしかない。
 
 それに、老夫婦が腰をかばいつ農作業をする姿なら絵にもなろうが、健康のためと称して老いた身が、元気を装い歩く姿など人の目に晒したくないという個人的な思いもある。それこそ、「年寄りの元気春の雪」だ。
 すっかり散歩の回数が減ってしまったのも、その時間を夜から昼に変えてしまったせいだと勝手な理屈付けをして済ませているが、上に行けば当然その報いを受けると覚悟している。例年、身体が牧の仕事に馴染むまでにはまず1ヶ月くらいは必要だが、今年はきっともっとかかるだろう。

 きょうから新年度、牧場の仕事の他に、山小屋やキャンプ場の営業についてもそろそろ考えなければならない。基本的には、covid-19が下火になっても今までの方針、やり方を大きく変えることはないと思う。これまで通り混雑を避け、人数は一定に抑えるべく予約制として、その上で自然の環境を存分に楽しんでもらいたいと思っている。
 
 本年度もよろしくお願いいたします。明日は沈黙いたします。
 

 

 

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     ’23年「春」(23)

2023年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 少しづつ暖かくなると、戸外の活動が知らず知らずのうちに増えていく。冬の間、山野草を保護してくれていた枯れ葉を掻き集め、その下から生え出した小さな芽がさらにもっと自由に伸びるようにしてやった。そして、やがては雑草に埋もれてしまう我が陋屋の庭であるのを承知で、今のうちだけでもと少しだけ草を毟る。
 滅多にしないこんな作業を興に任せてした挙句に、草毟り用の鎌を2丁もどこかに置き忘れ、なくしてしまった。これもまた気紛れの結果である。

 用事があって高遠まで行ったら、驚いたことに、途中にある笠原の堤の周囲はすでに桜が咲いていた。そればかりか背後の山にも、まだ芽吹く前の雑木林の中に桃色の灯りでも点したような桜の花がポツンポツンと見えていた。花の開花は例年よりか10日くらい早いのではないか。桜目当てだろう、県外車も大分目に付くようになってきた。
 肝心の高遠城の花は別のことに気を取られていてよく覚えていない。別のこととは、春の日を浴びて輝く中アと南アの残雪の山々のことで、それらにばかり目を奪われ、花のことをすっかり忘れてしまっていた。特に中アの空木から西駒に至るゴツゴツとした山稜の眩いばかりの雪の白さ、この峻として美しい山嶺が花の背景として存在しなければ、「天下一」とか言って自慢するタカトウコヒガンザクラも、鯱鉾(しゃちほこ)のない天守閣のようなものだろう。(3月30日記)





 きょうで3月も終わる。車検、付保、そして後期高齢者の運転講習、免許の更新、2件の福島村騒動に加えて2回の入笠行、結構いろいろあって忙しかった。だからなのか、この1か月は長かったような気がする。
 そんな中、散歩の回数はすっかり減ってしまったが、心のラジオ体操は続けている。もっとも、covid-19騒ぎの時には、検査方法がよく分からずについ苛ついて、その様子を目にしたTDS君からは「いくら座っても、あまり効果はねえな」と、白い目で見られるような段階に、未だあるのだが。
 カタクリ峠には2日、入笠の除雪は3日、そして4日か5日には撮影の下見、中旬には1泊の温泉行、そしていよいよ20日には牧を開く。
 木々の芽吹きが始まり、鳥の囀りを聞く。牧は明るい光を浴びて草が萌え、渓を流れる水音も快い声で歌い出す。牧に山桜が咲くころには、きっと生活の中心も上に移るだろう。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(22)

2023年03月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今週末か来週早々には、この雪を除去するために上に行く。今年こそは除雪車を入れてくれるように要請したが行政の重い腰は上がらず、農協が支援してくれるところまで話は進んだが結局、いつもの年と同じように他人の手を借りず除雪は自分ですることにした。
 開山祭の前には林道の缶拾いに多数の職員を動員し、農協にも声がかかる。廃土板を装置したトラックを走らせて除去した土を路肩へ盛り上げ、結果的にはその土が排水路に流れるはずの雨水を塞ぐという、素人には理解に苦しむことならしてくれる。しかし、それだけだ。



 きょうもいい天気だ。こんな陽気ならカタクリの蕾が花を開くかも知れない。ようやく、わが家の土に慣れてくれ、さらに仲間を増やしてくれるなら、どれほど喜ばしいことかと思う。それにしてもここ何年も、こんな野の花にこれほど一喜一憂するとは思わなかった。
 
 いや、しかし、あの訪れる人も稀な峠の灌木林の中で、あのカタクリはその姿を誰にも知られず、野生のままで終わる方が良かったのか、とも思う。あの場所も年々環境が変わり、悪化し、もしや花を咲かせることができなくなったとしても、だ。
 確かに花はあの元の環境が合ったからささやかな生を得ることができ、仲間を増やせたということだろう。仮にここへ移植したことで多少寿命が延びたとしても、人が考えるように花が喜ぶわけではない。あくまでもそれは人の妄想であって、自然は人のためにあるのではなく、自然は自然のためにある。余計なことをしたのかも知れない。

 昔し、「ガイア仮説」などという言葉を耳にした。地球を自己調整機能を持ったひとつの生命体と見做す考え方で、「ガイア」とは大地の女神のことだったと記憶している。
 46億年の歴史を持つ地球は、たったの20万年かそこら以前に登場したホモサピエンスのせいで、われらも属する生命体・ガイアが、本来備えていた調整機能を上手く働かせることができなくなってきたと主張するのが、この「ガイア仮説」のあらましだ。近年加速する温暖化などはその典型的な例になるだろう。
 となれば、その機能回復のためにもしも女神が、人間は地球にとってcovid-19のようなウイルス的存在だと判断を下したならどうなるか。人類は存続できても、その未来はかなり悲観的になるのだが、そうなるかも分からない。
 
 いや、カタクリから話が飛躍し過ぎた。本日はこの辺で。
 

 
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     ’23年「春」(21)

2023年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ボケの木が白い花を咲かせた。オオウチワ、イカリソウも芽を出したし、諦めかけていたカタクリもひと株だけ蕾を抱いて土の中から顔を出した。昨日の朝は気付かなかったから、草花は勢いが付けば、こんなふうに一気に成長するものなのだろうか。
 
 そろそろ毎年恒例にしているカタクリ峠へ行かねば。青い空、快い風、明るい光の中を幾つもの渓や尾根を繋ぐ1本の林道を、山深くまで車を頼りに上っていく。
 これまた毎春同じことを呟くが、初めてここを訪れた時の目を見張るような花の群落が目に浮かぶ。林道の斜面10㍍ほどに渡って、誰かの手で植えられたのかと思うほど整然とカタクリが花を咲かせていた。草花などにはおよそ関心のなかった者が、初めて目にした印象深い光景であった。
 
 それにしても、あの花がカタクリだとどうやって知ったのか、思い返しても分からない。もしかすれば一緒にいたT君のお蔭だったかも知れないが、その彼は世を去り、尋ねようにも今は術がない。
 それから何年もして久しぶりに行ってみたら、すっかり灌木が斜面を含めて辺りを覆い尽くし、様子は一変してしまっていた。それでもカタクリは、斜面の上の灌木の間に場所を移したのか、人の目から隠れるようにして花のない葉だけが確認できた。以来毎年、ここを訪れるようになった。
 
 峠を越すと、視界の大方を占めるのは山また山、芽吹きを控えた乾いた山腹がどこまで行っても次々と現れて続く。頭上の空を省けば、それ以外は何も見えない。しかし、そこがいいのだ。早春の日を浴びて山々がようやく暖かく見えるようになったここの風景は、カタクリと並ぶ主役になりつつある。
 林道はやがて清冽な流れに沿って狭い谷を麓の集落へと下っていく。やがて現れるまだ営業前の人気のない釣り堀も懐かしい風景である。

「福島村カレー騒動」にも触れておかねばと思いつつ、もうあれは大分遠い日のことのような気がする。何事もそのように足早に去っていこうとする。

 3年間赤字を続けたかつての「CAMP ONE」時代も、煮込み料理、中でもカレーには自信があったし、評判も良かった(赤字の大半の理由は原価管理がいい加減だったせい)。今回も、寸胴鍋1杯、20人分くらいを作った。口うるさい面々が大人しく食べていて、大騒動にはならずに済んでヤレヤレということに。
 本日はこの辺で。
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     ’23年「春」(20)

2023年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 14日以来、約2週間ぶりに、また上に雪の状況を見に行く。気になっていたド日陰には相変わらず軽トラックが放置されていたが、今回はその横を通過することができた。林道の雪は驚くほど融けていて、1,2カ所緊張するところもあったが、小屋までほぼ難なく行くことができた。
 
 下の写真は初の沢の大曲りを過ぎた所で前方に倒木が道を塞いでいたので処理した際に撮った1枚。この先は第2検査場まで緩やかな登りとなり、結構長くまで雪が融けずに残っている。下から歩いてくるとこの辺りで先が見えてきて、早く登行を終えたくていつも気の急く辺りだ。



 しかし、牧場内にはもう1カ所、入笠山の登山口へ行くまでに残雪の気になる場所、「上の大曲り」があり、車を走らせ行ってみたら案の定そこは凍結した雪が多量に残っていて、先に進むのは無理だった。



 やむなく引き返し、ひとまずは牧場から出て、北門から約3キロ下った焼き合わせまで戻り、そこから今度は右折して大沢山の北側を巻く未舗装の急な山道を鐘打平、入笠湿原経由で登山口まで上った。そこからなら下りとなり、通行を阻んでいた「大曲り」まで行けるだろうと思ったが、融け始めた重い雪に阻まれ、無理して車が”カメ”になれば厄介だと諦めた。
「入笠ヒュッテ(旧マナスル山荘本館)」に立ち寄り、少し情報交換をしてから帰ってきた。

 帰路はオオダオ(芝平峠)から芝平へ下らず、そのまま「枯木の頭」、「千代田湖」経由で道路の様子を見ながら来たが、雪も凍結した箇所もなく、通行には何の支障はなかった。ただ、千代田湖から少し下ると、3月28日から4月15日まで工事のため通行止めになると看板が出ていた。
 たった2,30㍍の除雪は渋るくせに、小豆坂トンネル、芝平の村中、そして今の千代田湖などなどと、この時季はそこらじゅうで道路工事が盛んになる。

 上ではかなりの頭数の鹿を目にした。ようやく永い眠りから覚めたばかりの山だが、これだけ雪が少なくなれば彼らの活動の場所は当然牧場へと移ってくる。牧草が気になる。
 雪の融け方が1ヶ月近く速いと言っていいだろう。里でも高遠の花はそろそろ咲き出し、週末には見頃を迎えるのではないだろうか。温暖化が予想外の早さで進んでいるようで、今回もそのことを気にしながら帰ってきた。
 本日はこの辺で。
 


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     ’23年「春」(19)

2023年03月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など




 毎春同じことを呟くが、梅や桜のように木に咲く花の方が地べたに咲く草花よりか好きだ。中でも花と言えば桜のことで、桜と言えば山桜のことだと思っている。今年は、いつもよりかこの辺りでも花の咲き出すのが早い。

 朝起きて早々に、昨日目にした「策立て」の桜の花を見に行ってきた。この辺りでは此処ともう1本、ある会社の庭に植わっている木が最も開花が早く、どちらも古木ではなく若い木である。それだけ生命力が強いのだと、昨日駒ケ根へ夕飯を食べに行く途中、食通の元製材会社の社長が蘊蓄を傾けるように言っていた。
「柵立て」というのは、その昔も江戸のころ「暴れ天竜」の異名を持つ天竜川の護岸工事に用いられた工法「柵立木工沈床工事」から来ている地名だとか。文化年間には1万7千を超える人がこの作業に駆り出されたと、新道路が建設された際に設けられた近くの案内板に記されている。(3月24日記)

 段階を踏むようにして季節は進み、野山に生気が戻ってきつつある。陽気に促されて、田や畑に人の姿を目にするようになってきた。
 
 山の雪のことが気になるから、来週になったらまた林道の様子を見にいくつもりでいる。すでに牧場へは撮影のための下見、いわゆるロケハンの依頼が幾つも来ているが、除雪に関しては今年もはっきりとしたことは皆目分からず、すでに1件は撮影そのものを断わざるを得なかった。
 除雪といっても大した費用がかかるわけではないのに、行政が重い腰を上げようとしないのは例年のことだ。いくら腹立たしい思いをしても、それすら伝わるべきところへ伝わっていかない。実にもどかしい。熱が冷める。
 
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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     ’23年「春」(18)

2023年03月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 早春の朝の風が陋屋の中に入ってくる。長らく人工的な暖房の助けを借りて暮らしていたから、やはり、新鮮な大気が快く感じられる。山鳩もそれを喜ぶのか今朝も、ボウボウとあのくぐもった声をしばらく遠くから聞かせてくれていた。

「福島村コロナ騒動記」もたった1日で終息し、ほぼ普段の暮らしに戻りつつある。それはいいが、いったんは中止と決まったカレーライスの会もやはり復活決行することになり、この会の仕切り役を務める面々は、決断と翻意を軽業師のように見せて、病み上がりの料理役を翻弄させてくれている。
 やはりカレーについてはそれぞれに一家言があり、しかも仕切り役が複数人いる上に、味についても勝手な思い込みが激しいから、簡単なことではないとは分かっている。
 
 最初、エビを使うつもりでいたら、意外にも早々に候補から落ちて秘かに安堵した。エビはやたら手がかかるのだ。残るトリ、ウシ、ブタの3択からはブタに落ち着きヨシヨシと思ったら、ブロックは駄目だと言い出す者が出る始末。さらにはジャガイモが入らないカレーはカレーにあらずと固く信ずる者もいて、プロは使わないと拒否しようとしたら収拾がつかず、妥協案として茹でた芋を添えることにした。また、カレー用の皿という物は洋食器にはないと話したら、危うく嗤い殺されそうになる、と言った調子で、果たしてこの先どういう事になるのやら。
 会の開催は明後日だが、明日のうちに準備から仕上げまで済ませて、作り置きにするつもりでいたがこの分ではそんな予定通りにいけるのか、熱がまた出てきそうだ。大半がすでに古来稀なる年齢を過ぎているはずなのに、クク。
 
 きょうは来年度の仕事の契約をすることになっている。招かざる客covid-19に気を揉んでいる間に、牧を開く日もいつの間にか残り1ヶ月を切ってしまった。今年も、5か月の冬ごもりから、これから先の新たな日々へと気持ちを切り替えていかねばならないが、まだ遠ざかりつつある列車の後ろ姿の方が気になるといったところか。
 
 待ち遠しかったボケの白い花がようやく咲いた。今年も一輪だけが先行したが、昨年のようにそれほど後続を待つことなく開花しそうだ。それと、先程用事で出掛ける途中で雨の中、1本の桜の花が開花した様子も目にした。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(17)

2023年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 好事魔多しとはこういうことを言うのだろうか。自らの健康を喜び、軽トラのように生きていきたいと呟いた途端に、何とcovid-19に感染したのではないかという疑念に襲われた。鼻水がやたらに出て、2,3日前からはのどの痛みを感ずるようになり、となればてっきりこれは、忘れかけていたアレかと思ったのだ。「福島村騒動記」の始まりである。
 
 万一、それこそ万一罹ったとしても、ワクチンは5回受けているし、重篤化するとまでは考えていなかった。気になったのは、他人に感染させてはいけないということで、過去に会った友人知人を一応簡単なメモを基に調べてみたら、中に基礎疾患を持った友人がいた。加えて、きょうから帰郷した友人にも配慮する必要があった。
 この週末には、その帰郷した友人の家で10数人が集まり、カレーライスの会を開くことになっていた。しかも、その料理を担当することになっていたが、ひとまず中止と決まった。

 入笠へ行った13日を含め、過去10日間の間には合計で4名としか会っていない。その後、この人物らと電話での会話はあったが、誰からも特段の異常を訴えるような話はなかった。体温はいつもと変わらず、鼻水もおさまり、のどの痛みは市販の風邪薬で治まっていた。
 きょう、いろいろと工面してくれる友人たちのお蔭で、簡易検査2種類を使って調べてみると、両方の結果はやはり陰性であった。
 もしも普通の風邪なら、今春はズボンの下に履いていた肌着を脱ぐのが早過ぎたせいだろう。

 そのことに気付いて、実はこの1週間ほど、厳冬期の入笠並みの身支度に変えていた。居間の温度は常に20度以上に保ち、山用の肌着2枚に高所用の羽毛服を着て、寝る時も、敢えて分厚い羽毛服を着たままで布団に入っていた。
 これは風邪を引いた際、熱目の風呂に入ってから羽毛服のまま布団に潜り込み、強制的に汗をかきながら次々に肌着を取り換えて体温を下げるという、いつもの対処療法とほぼ同じである。
 しかしこの荒療法は、相当に体力を消耗する。それに、もしcovid-19ならこの手は通用しないはずだと考えて、前半の入浴及び強制発汗は行わないことにしていた。

 清貧独居禁欲を守り生活してきた身で、これがcovid-19なら、理由は分からないが天罰だと思うしかなかった。今は窓を開け、暖房を切って、春のそよ風の快さを身に沁みて感じている。ただ、まだしばらくは安心せず、人との接見は極力慎むつもりでいる。

 WBCに優勝できたのは大いに結構だが、相手選手が神聖なグランドでやたらに唾を吐き散らすのは、風貌は措いても、さながら未開の人のように思えた。日本選手の行儀の良さが光った。
 本日はこの辺で。

 
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     ’23年「春」(16)

2023年03月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「わたしは軽トラのようになりたい」という話をどのように続けるか、と迷う。「わたしは貝になりたい」のように、敗戦後の連合軍がやったことを思うと、話をそっちへ持って行きたくなる。堪えるのが難しい。
 今ウクライナで起きてることを善人面して批判する西側のお歴々だが、かつて自分たちがしてきたことを思い起こせば、少しは気が引けないかと言いたくなる。日本軍も蛮行をしたし、彼らも間違いなくしたのである。同じ人間同士が、まさしくあらゆる手段を尽くして殺し合ったのだ。
 
 軽トラは全く機能本位で作られたもので、見栄えはせず不細工で、乗り心地はあまり褒められたものではない。その上に車重がないから惰力が使えず、意識的に加速し続けなければ一定の速度を保てない。乗用車の感覚とは大分違い、長距離走行にも不向きだろう。
 それでも、あの600㏄そこらのエンジンで山を登り、丘を駆け、4駆であれば泥道、雪道にも対応する。登坂力もあり、それなりなりの荷物を運ぶことができる。扱いが容易で小回りが利くし、故障は少なく燃費もよくて価格も高くない。税金も安い。あれは車と言うよりか何だろう、まるで気の利く助手のようなものだ。

 もちろん、自らをそんな有能な軽トラと同じとは思っていないし、また豪華な高級車など望むべくもないが、身の丈に合った車を求めれば軽トラになるし、自分の性にも合っていると思う。そもそもが、出世・栄達についても、あるいは快適な家にも車にも、関心がなかった。
 いや、正しく言えば早くから、そういう可能性については縁のないものと思っていたような気がする。

 なぜ「わたしは軽トラのようになりたい」などという突飛な願いが突然ひらめいたのか。恐らくそれは、軽トラが、自分にとってかくありたいと願う理想だったからだ。単純な構造だから故障も少なく燃費が安い、先代は20万キロも走った。人間なら病気をしない、長生きだということである。
 清貧であったかは知らないが、豊かではなかった。しかし、それゆえに過剰なことを期待したり、求めてはこなかった。野心なぞ燃やさず、分相応に生きてきて、ようやく入笠牧場へ辿り着いたと思っている。
 
 先のことなど分からないが、今のところは健康であり身体に苦痛はない。日々の暮らしに不満なぞない。この年齢まで来ればそれで充分である。
「軽トラのようになりたい」、これは自身へ送る声援、yellである。
 
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(15)

2023年03月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
「後期高齢者」などというあまり有難くない肩書を背負って以来、ご同輩諸氏と顔を会わせるとどうしても身体の不調が話題になる。また、何もしてやれないとはいえ、現に患っている者のことが当然ながら気になる。そして、いつの間にかそういう年齢になったのだと、慰めにもならないことを言って終わる。
 
 有難いことに、頭、心、血圧、それともう一カ所の他、いまのところ格別に何か不具合を自覚することはない。身体にメスを入れたことも、久しく病のために床に就いた記憶もなく、時に友人諸氏の間ではわが不気味な健康状態が話題になるらしい。ある時「まるで元気であることが悪いみたいじゃないか」と言ったら、「そうだ」だと。
 いやはやこれには二の句が継げなかった。彼は高級車中の高級車に乗っているのに腰が不具合で、医者からは軽トラに乗れと言われたらしい。実に正しい診断だ。

 常々「清貧独居禁欲」を守って、地味に生きてきた。シートベルトをするのも面倒、covid-19のマスク対策もよく忘れて注意されたり、何をとっても完璧とは程遠かった。それが不思議なことに"信州に下って”20年近く、炊事、洗濯、家事、身の回りのことを何とかこなしてここまで来た。
 亡妻の庇護下にあった時には何もしなかった。家のことはもちろん、はては背広や靴、ネクタイに至るまで任せっぱなしにしていた。彼女の口癖は、いつか山で死んだ夫の妻になる、だったはずなのに、先に逝ってしまった。

 昨夜、いつものように独酌をしていて、ふと、「わたしは軽トラになりたい」と思った。この意外な思い付きは、名作「わたしは貝になりたい」という題名の古いテレビ映画と繋がる。
 
 終戦後、除隊して故郷に帰り、夫婦二人で理髪店を経営しながら曲がりなりにも平和に暮らしていた。そこへ突然進駐軍がやって来て、彼は身柄を拘束されてしまう。容疑は、戦時中に撃墜されて捕虜になったB29の乗員に対し、上官から刺殺を命じられながらも、気の小さな彼には傷を負わせる程度のことしかできなかった。しかしそれが捕虜虐待の疑いをかけられ、結果BC級戦犯として死刑が確定してしまうのだ。
 この不運な男がその執行前に、今度生まれて来るなら人間でなく、深い海の底で誰にも邪魔されることなく静かに暮らせる貝になりたいと遺書にしたためたのだ。
 映画はある元陸軍中尉の手記に基いて作られたようだが、この映画と似たような事が戦後の日本ばかりか、日本軍が侵攻した国、島、各地であったようだ。
 
 米軍側は、一夜にして300機を超すB29を毎夜のように東京へ出撃させ、10万人を超す無辜なる市民を殺戮したのに、これについては一切の責任が不問にされた。原爆投下もそうだ。細菌兵器による攻撃も考えていたようだが、使用する前に戦争が終わった。

 軽トラは生き物ではないから、正確には「わたしは軽トラのようになりたい」だろう。(続く)
 本日はこの辺で。

 

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