入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(10)

2024年02月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 そろそろ庭の梅の花が咲き出すかと期待して行ってみたが、まだだった。昨年と同じ枝に、きょう花を開いてもおかしくないような大きな蕾が一つある。
 
 今は風呂に入りたいときに入り、空腹になれば食べる。車に乗る用事がなければ、時には明るい時でも遠慮しながらビールを飲む、こともある。
 その中で、昼寝だけは、夜の睡眠時間を狂わせるからしない。上でもこのことは守っている。これを赦してしまうと昼夜の境が曖昧になって、しまいにはとんでもないことになってしまう。
 ただし、2,3時間のブレは赦していて、昨夜は寝るのが少々遅かったが、それでも9時間近く、一気通貫で眠れた。
 
 こうして冬ごもりをしながら日々を過ごしていれば、もう机に座り、退屈極まりない書類と格闘したり、苦手な相手に電話で無理な依頼ごとをしようとしたり、納得のできない支持を受けたり、ということも遠いとおい昔の話だ。
 雨の日に混雑した通勤列車に乗ることもないし、酔っ払って下車駅を乗り過ごすこともない。何よりかも、ややこしい人間関係を気にせず、気楽であるのが一番だ。

 ところが、今横になっていて、先程呟いたような生活はもう来ないのだなということに気付き、ふと、あんなころを懐かしむというか、そんな時代に頭が戻っているのに気付いた。
 平坦な生き方を求めたつもりはなかったし、時代もそういうふうではなかった。「モーレツ」から「ビューティフル」の時代だと言われたりしたが、1970年代前後の混乱がまだまだくすぶり続けていた。

 昔を懐かしんだり、昔話に耽るようになると終わりだと聞いてはいる。多分そうだろう。以前に、乏しくなった残り金を慎重に使おうとするように、普段は過ぎたことよりか先のことを考える方が多くなってきたと呟いた。
 それは確かだが、あの時代に起きたある事件に関する本を読んでいて、いつになく、半世紀前に連れ戻された。

 あれから日本は、世界は良くなったのだろうか。夫婦別姓だとかLGBTQとか、やれパワハラだ、セクハラだとか喧しいが、ウクライナはあの状態、パレスチナも無辜の人々が日々苦しめられている。
 少数の権力者の個人的な欲望、動機、理由でなぜあれほど多くの人々が、いつまであんな目に遭わなければならないのか。この国の政治も混乱しているが、冬ごもりのつれづれに、後期高齢者がこんなことを呟いていられる。まだましだと言っておこう。
 本日はこの辺で。
 
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     ’24年「春」(9)

2024年02月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

         H君、A子、このPHどこか分かるか?
  
 また季節は冬へ戻ってしまったようだ。今朝もかなり寒い。こういうことを繰り返しながら、それでも少しづつ、確実に冬は終わり春が来る。「朝の来ない夜はない」という言い方を真似れば「春の来ない冬はない」、焦る気持ちを抑え、もう少しの辛抱である。
 今週末、上に行く予定をまだ変えずにいるが、このまま寒い日が続き、さらに金曜日、予報通り雨になれば、計画を変更する可能性が高くなる。一応、車で行ける所までいくつもりだが、焼き合わせ、もしくは池の平まで行けなければ引き返すことにし、今回は法華道を選択肢には入れないつもりだ。

 先日テレビを見ていたら細いステンレスの棒を吹いて火を熾している人がいた。牧場のキャンプ場でもそういう光景を目にすることがあり、今やキャンプには必携の道具であるようだ。名前は何というのだろう。
 昔、囲炉裏があったころは、その端のどこかには決まって「火吹き竹(だけ)」という竹の棒があった。竹の節をくりぬき、一番端の節だけは残し、そこをキリでもんで小さな穴を開けてある。
 これで、頬を一杯に膨らませて燃えにくい薪に空気を吹きかけるのだが、時には部屋中を煙や煤だらけにしたこともある。あのステンの棒はその現代版だろう。使用者は、そんなことを知らずに使っているはずだが、今度は火吹竹を作って上に持って行こうかと考えている。

 団扇(うちわ)、これは読めない人も多いだろう、火吹き竹、どれも姿を消したかつての懐かしい生活道具だ。われわれは「火代(ひじろ)」と呼んでいた囲炉裏も、とっくに普段の生活から消えてしまって久しい。
 同様に、キャンプの様子も変わりつつある。便利な道具が増えて、値段もそれなりに高価な物が多い。環境は自然の中でも、生活の仕方はいつもの便利な暮らしを変えたくないのだろう。それも分かる。
 
 キャンプ用品や登山用品を製作したり販売する会社も、ひと頃のように業績を上げられないところが出ていると聞いた。製品の信頼性においては名の知れた会社の物は安心できるが、右を向いても左を向いても同じ商標の製品ばかりではやがて人は離れていく。
 信頼よりか、個性とか、新規な物、独創性を求める心理が働くのだろう。そこに道具とは違う厄介な面があるのだと思うが、時計や車、洋服やバッグなどのように、高級化を狙い消費者の間口を細める方法で独自性を維持しようとするような製品も現れ始めている。

 仕事には無雪期用の登山靴を何足も履いたが、その寿命についてはあまりにも違いが多すぎる。これまでの経験であり、感想であります。
 本日はこの辺で。
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     24年「春」(8)

2024年02月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

        奥に僅かに見えているのは仙丈岳
 
 1936年の2月26日、つまり88年前の昨日、後に言う「2.26事件」が起きた。日本軍という体制内で起こった反乱であり、クーデターである。「上がる軍旗に手向かうな」というアドバルーンの写真は日本史の教科書にも載っていた。
 そのことを昨日の散歩中に突然思い出し、中心人物になった軍人の名前を何人か思い出そうとして、錆び付いた頭に苦労をかけてしまった。
 
 歩いていて、誰かが言ったことを脈略もなく思い出して、さてその人が誰だったかと頭を悩ます、そういうことが最近とみに増えた。記憶が衰えつつあることを意識させるために本人の承諾もなく、脳がこういう注意喚起の信号を送っているのだろうか。もしそうだとしても、今さら手の施しようはないのだが。

 そんなことを思いながら長い坂を下り、畑中の道を折り返し掛けたら、前方から犬を連れて同じく散歩中の人が見え、次第に近付いてきた(今日の写真の辺り)。犬は白い大型のハスキーで、見覚えがあった。その時は20台前後の男の人だったが、以前に2回ほど出会った時は、その人の妹さんか姉さんか、女性だった。
 その時も、この時も、犬に軽く合図を送って、犬の引率者にも挨拶した。すると昨日は、犬がクーンという甘えた鳴き声をして、近寄ろうとしてきた。
 初めて会った時は何の反応も見せなかったのに、その時も含めればたった3回の出会いで、しかも大分日が経っていたのに、覚えてくれていたようだった。

 飼い主がこちらに警戒心を持てば、それが犬にも伝わる。時には吠えてくるが、しかし、その犬はそういう態度を見せなかった。
 今の時季、まだ野良に出る人などいない。あんな人の通らない場所でも有難いことに飼い主は二人とも、こちらを単に通りすがりの人と見て、特によそよそしいふうを見せなかった。だから、犬も安心していた。


 
 ハスキー犬を見ると、「アラスカのメメ」を思い出す。調べたら、あれから35年も経っている。
 彼女の連れていた大きなハスキー犬が、小さな村の駅前にある広場で、山を目指すドイツ隊にからかわれていたのを庇ってやって知り合った。それがキッカケで彼女の通う学校まで一緒に散歩をしたことも覚えている。
 その後にもこの村を訪れる機会はあったが、会えなかった。今ごろは結婚してきっといい母親になっているだろう。Nよ、覚えているか。

 光陰矢の如し、本日はこの辺で。

 
 

 
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     ’24年「春」(7)

2024年02月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 2月24日、久しぶりに散歩に出た。歩数約1万1000歩、距離8キロ、所要時間1時間20分くらいで、何年か前、できるだけ交通量の少ない、人とも出会わない道を選ぼうとした結果がこうなった。一カ所300㍍くらい畑中を通る迂回路(バイパス路)の脇を歩かなければならないが、殆どは田圃、畑、里山などを通り、伊那谷や南、西の山(アルプス)を眺めながら歩く。最後は天竜川の堤防を5~600㍍歩いて終わる。
 実に気分が良かった。体内に溜まっていた怠惰、もの憂さ、無聊がすっかり排出された気がした。

 昨日の雪は里では舞う程度で、それでもうっすらと積もる所もあれば、たちまち黒い地肌が現れたりして、冬と春の綱引きをしているような天気が終日続いた。今朝経ヶ岳の山腹を見ると、さすがに山はしっかりと雪が降ったことが遠目にもよく分かった。

 2月もきょうを含めて後4日で終わる。早い。毎年のように今ごろになると、日の経つ速さが少しづつ加速し始めたような気になってくる。
 今朝見ると、梅の花の蕾が大分膨らんでいた。これは自分の勝手な思いだが、昨日の冬に逆戻りしたような寒い日でも、花によっては一度開花の勢いがつくと、多少の気温の変化などでもその速度を落とさないように見える。いや梅ばかりか、桜もそうだし、きょうはまだ鳴き声を聞いていないヤマバトにしても、あのように霙の降る中を飛んできたくらいで、それぞれの季節への対応の仕方には独自の基準があるのかも分からない。
 
 梅の花は一輪二輪咲き始めたころがよく、花数が増えるとあの独特の品位が薄れてしまう・・・、なんて言うのは、これから咲き出そうとする折角の花への不当な評価か。
 そう言えば、「梅の花」も「観梅」も春の季語ながら、「探梅」は冬の季語だと。「春に先がけて咲く梅を探して山野に入る(角川 俳句歳時記)」からだという。あの世界では2月は春だから、1月に梅の花を探しに行くんだ。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とかいうらしいが、今春はどうしたものかと大分徒長した枝を見ながら思案している。剪定は花が散るのを待ってからでもいいとして、切った枝の始末にも手がかかる。その後の梅の実を欲しがる者もいる。
 ユキワリソウらしき花、よく見たら小さな蕾を付けていた。痛々しくも見えれば、健気にも思える。
 本日はこの辺で。
 
 
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     24年「春」(6)

2024年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       上はまたこんな風景に戻ってしまったかも知れない
 
 今朝もヤマバトが鳴いている。きょうはまだしも、何もよりによって今年初めて里へ来る日を、昨日のようなあんな霙混じりの寒い日でなくてもよかっただろうに、その判断は、きっかけは、何だったのだろう。
 逆にコハクチョウが、また北へ帰っていくようになったらしい。白波の立つ日本海の上空はまだ寒いだろうに、あの鳥たちもその時季をどうやって知るのだろう。
 気温は低いが晴れ間が見える。椋鳥ではなく、別のもっと小さい鳥の鳴き声がしている。あのヤマバトに誘われでもして、どこか近くの里山から飛んできたのだろうか。

 北信濃の無人の駅で列車を待つ間、同じくらいの年齢の男が思いを歌に託すように歌っていたいたのを思い出した。彼もスキーに一人できていたのだろう、同じく都会へ帰っていくように見えた。
 吹きさらしの駅にいたのは歌手の彼と、少し離れた場所に立ち、その歌を聞く二人だけだったが、「別れの朝」という哀調のある歌を上手く歌い、それを聞きながらこっちは、卒業を半ば以上諦めていた。
 
 あのころは、やがて確実に来る春よりか、去っていく冬の方に思いが残り、それを惜しむ気持ちの方が強かった。しかし、いつの間にかそんな未練などなくなってしまったと言っていい。
 懐かしむ過去、もちろんいろいろなことがたくさんあるし、その年月の方が遥かに長いのに、今は逆に、残されたあまり長くない未来へと関心が向かう。
 いつそんな転換が起こったのか、それほど昔のことではないような気がする。持ち金が少なくなったから、その使い方が気になるようなものだろうか。

 今冬も、また「みすみす」スキーに行く機会を逸した。山スキーを別にすれば、もう、3年くらい滑ったことがない。
 不思議なもので、3時間以上かけて雪の法華道を登る気にはなるのに、車で行けば30分くらいの市内の人工雪のスキー場にさえ行くのが億劫になってしまう。権兵衛トンネルを抜けていけば、木曽には1時間少々でそこよりももっと本格的なスキー場があり、70歳を過ぎても行った記憶がある。誰かに誘われれば多分行くだろうが、一人で行くには今ひとつ湿った薪のように燃えてこない。
 オートバイにスキーを積んで白馬へ向かおうとして、大町の辺りで警官に停められたという経験を持つ彼なども、今ではスキーをやろうと言えばグラスを持ってくるだろう。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。


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