入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「秋」(67)

2022年10月31日 | 入笠牧場からの星空

   Photo by かんと氏

 きょうのPH、このオリオン座の大星雲にするか、それとも木星とガリレオ衛星の組み合わせにするかで迷った。それでやはり、撮影者のこの星雲に注ぐ入魂の度合いを推し量り、こちらを先に選ばせてもらった。余計な言葉を添える必要などない。
 
 午前4時40分、K君がまだ一人で頑張っている。素晴らしい星空、入笠牧場の実力!「冬のダイヤモンド」の中に赤い惑星、火星が目を惹いた。

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     ’22年「秋」(66)

2022年10月30日 | 入笠牧場からの星空

 Photo by かんと氏

 この夥しい数の星の棲み処であるアンドロメダ銀河、われわれ人類と似た生命体が存在するだろうか。約1兆個もの恒星を有しているとされ、そうであれば、その可能性は高いと考えたくなる。
 しかし、あまりにも遠い。250万光年、遠過ぎる。アンドロメダから発せられた光が地球に到達するまでの時間は、ホモエレクトスが出アフリカを果たし、それ以降今に至るまでの時間を軽く越えてしまう。仮に高度な文明を花開かせた知性が今存在していたとしても、われわれがそれを知るのは早くても250万年先のことになる。そんな遠い未来までわれわれの方こそ、存続できるとは考えられない。
 
 今夜また一人、星の狩人が来た。到着が遅かったのであまり愛想よく迎えなかったが、彼が星を目当ての来訪だと知り機嫌は直った。かんとさん他何人かしか、ここが星空観測にすぐれている所であることを知らない。やはり、知って欲しい人たちにここへ来て貰えたならば、もちろん素直に喜びたい。
 これから幾日か、ここでもかんとさんが寒気に耐え、睡魔と闘った労作を紹介するつもりでいるからご期待を。さらに牧場の星空に関心のある人は、カテゴリー別の「入笠牧場からの星空」を検索して頂きたい。
 いや、もちろん単純に美しい夜空に声を上げて喜ぶ人たちを歓迎しないわけではない。そんなことは露天風呂「星見の湯」の開設当時から伝えてある。あの人も、あの人も、多くの人たちがそれを大いに喜んでくれたのだから。



 あなたの好きなプレアデス星団です。
        In the vastness of space and the immensity of time,
        it is my joy to share a planet and an epoch with Anney.
            Carl Sagan

「三沢さん、三沢さんのために頑張ってガリレオ衛星を撮っているのですよ」、かんとさんの声で夢から覚める。本当に、勝手なことばかり言って申し訳ない。どうか犬のような者(犬が星を見るの意)のことなど気にせず、今夜は存分に星の狩猟を楽しんでください。

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     ’22年「秋」(65)

2022年10月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜は冷えた。そのせいもあってか、期待通り清く澄んだ星空が出現した。「雨男」の異名もある星の狩人のかんとさんも面目を施し、久しぶりに入笠の晴れわったった夜空に望遠鏡を向けた。
 それにしてもいつも感ずることながらその準備、大変である。三脚、赤道儀、望遠鏡を組み立て、電源を入れるだけでもかなり面倒な思いをするが、氏のから見ればそんなことは自転車に乗る程度のことだろう。それに比べ、かんとさんがやることは大型の複雑な重機を点検準備したり、操作するようなものだ。昨日も、その準備だけで3時間以上をかけていた。





 全ての準備が終わり、懸念していたPCも順調なことが確認されてから狩人の銃・望遠鏡を向けた先はアンドロメダ銀河。250万光年先の距離にある、われわれの銀河とは別の銀河だ。それを初めて明確にしたのは、現在も宇宙に浮かぶハッブル望遠鏡の名前の由来や、火の玉宇宙論を唱えたことで知られるエドウイン・ハッブルである。
 PCに写し出されたその銀河とは、実に250万年前に発した光が今ようやくにして地球に届き、それを見ていることになる。われわれの銀河と最も近いとされ、遥か遠い未来にはわれわれの銀河と衝突する(すり抜ける)と言われているアンドロメダ銀河でもこれほどの距離、宇宙はまさしく「無窮の遠(おち)」である。

 これまでも宇宙に関して何事かを呟く際は決まって「無窮の遠」という言葉を借用してきた。果てしない宇宙の広大さを表現する意味で、これほど適切な言葉はないと思う。これからも使わせてもらうつもりでいる。
 人類が出現してきてからずっと魅せられ、同時に謎でもあった夜空、羊飼いの少年も、大海原を行く大航海時代の船乗りも、頭上に散りばめられた無数の光を同じような思いで眺めたに違いない。
 
 厳寒の夜に耐えて、狩人はさらに昴、オリオン星雲にも銃の筒先を向けたようだ。その成果を、画像処理が済めばここでも紹介することができると思う。楽しみだ。
 なお、今回使用した望遠鏡は、ここで半ば宝の持ち腐れになっていたタカハシ製の100ミリ屈折望遠鏡で、その他はカメラ、赤道儀、三脚、PCなどすべてかんとさん所有の機器に頼った。

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     ’22年「秋」(64)

2022年10月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また深夜起きている。外の気温零下5度、室内気温零下1度、吐く息が白い。ここまでくれば、この独り言の題名を「冬」にすべきかと思いつつ、もう少しこのまま今年の残り少ない秋を続けたいと思う。

 昨日も追い上げ坂の草刈り中、何本ものメギという全体がトゲだらけの灌木、と言えばいいのか、を相手に四苦八苦していた。すべて根元から切りたいのだがそれが難しく、ならば牛にも分かるように少し根っこを残すべきかと思案の末、とりあえず10センチほどの長さを残して切っておいた。もしかして牛が足をつっかけてはまずいから、やり直すことになるかも知れない。
 この木は、台湾からその先アジアまで健気、長駆の旅をするかのアサギマダラが卵を産み付けることでも知られている。愛すべき蝶、アサギマダラの子孫繁栄を願わないわけではないが、場所が悪すぎる。それにしても、有刺鉄線で防御された敵陣を進むようなものだ。

 そんなこんなの作業に手を焼いていたら、汗をかいて身体がやたらに痒くなってきた。綿ではなく冬用の化繊の肌着を着ていたから、そのせいだったと思う。昼、小屋まで帰ってきてから、風呂は凍結防止のため使えなくなっているため、行水をした。幸い痒みは取れた。
 しかしそれだけでは気が治まらず、午後の仕事は少し早目に切り上げ、風呂へ入るため富士見へ下った。途中、紅葉した樹々の合間に八ヶ岳が燃えていた。

 昨日は食物と酒の話をして、きょうは温泉とくれば、まるで「帰還を忘れた」遊子・旅人のようだが、そう思われても一向に構わない。これは今、この時季になってようやくたどり着き、手にした平安である。ささやかなどとは言わない、過ぎたる平安だと言いたいくらいだ。
 今年も残り2ヶ月、終わりの予兆を感ずるようになって、だから余計にそう思うのかも知れないが、懐かしい人たちの顔が浮かぶ。去った人もいれば、逝った人もいる。その中には、済まなかったと詫びたい人の顔もいる。

 寒さに耐えるために飲んだウイスキーが効いてきた。これ以上続けると、独り言に抑制が効かなくなりそうだ。止めよう。
 きょうは半年ぶりに星の狩人、かんとさんが来る。極寒に耐える彼のために、願わくば期待通りの華麗な星の一夜を。

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     ’22年「秋」(63)

2022年10月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日の朝の雪も夕暮れが近付いてきたら、ミズナラの根元に白い影のように残るだけになった。紅葉と雪の景色を何枚も撮っては見たが、やはり実際に眺めた景色には及びもつかず諦めた。
 都会では朝の気温が10度以下になったという。例のごとくテレビはマフラーやコート姿で通勤する人たちの様子を伝えていたが、子供の擦り傷程度の怪我を大騒ぎする母親のよう、極北の荒海で働く人もいれば、熱砂の荒野に暮らす人もいる。
 かく言う自分もつい叫んでしまったが、その分修行不足を反省しつつ冬空を思わす曇天の下、刈れば刈るほど執拗に生えてくるカヤだかススキだかと一日を闘った。

 きょうはまた快晴の秋空が戻ってきた。午前7時半で気温は丁度零度になっていて、夜の間はそれ以下だったのだろう、流し台のスポンジが凍っていた。
 水道は何とか復活させた。それ以降、小屋の内外、10数個のカランの殆どは今も終日水を流しぱなしにしている。これで、少しぐらい気温が下がったとしても大丈夫だろう。冷たい水を使っての炊事ぐらいは我慢できるから、せいぜいエンゲル係数を上げて美味い物を食べることにする。
 
 ここの自然の美しさがここで暮らす最大の魅力だが、やはり仕事を終えて酒を飲むこと、食べることはその次に来る。人は死ぬまで食欲と性欲は消えないということだが、後者は肉体の衰えとともに次第に観念的になっていく。その分、かどうかは分からないが、食べることは衰えを知らないようで、このごろは米の消費が増えた。
 
 昨日ヘマをして、作り置いた鍋一杯の豚汁をひっくり返してしまった。まな板を床に叩き付け自らを叱ったが「覆水盆に返らず」、気を取り直しチゲ鍋に挑戦し、それを食した。今度はカキも忘れなかったし、キノコも入れた。酒は熱燗1合半とビール500㏄1本、それにウイスキーのお湯割りを飲んだ。

 暖かい家庭があり、一日の労働を労ってくれる家族がいるわけではない。しかも、人気のない山の中。そうであれば、夕餉を愉しむ孤独な団欒における女房や娘の代わりは、適度の疲労感と安堵、それに幾らかの酒と食物である。
 中でも適度の疲労は快感を高めるために絶対必要で、そのために肉体労働をしているようなもの、趣味に近いと言っても差し支えない。
 古来稀なる年齢を過ぎた身、もう何も変えない。

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