入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(70)

2021年01月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

              Photo by Ume氏

 牧場へ通う時もそうだが、今の夜の散歩も開田に上がる前には「洞口(ほらぐち)」という坂を登る。「洞」と言うのは沢のことで、この坂はそういう意味から来た名前だが、沢そのものは水量は少なく狭くて名前はない。ただ「洞口の坂はきつい」というような言い方をして、名前のように使われているし、坂の名前だと思っている人も多いと思う。
 子供のころはよくこの坂を荷車を押して登ったもので、思い出すだに恥ずかしく、それでも今となっては懐かしい。荷車だからゴムのタイヤのリヤカーとは違う。木製の車輪が擦り減らないよう外側に厚い鉄の板が巻かれていて、空荷でも結構重く、動きもよくない。あんな古い、壊れかけたような荷車を使う家など当時でさえ他では見掛けなかった。
 ところが引手たる父親は、そんな手伝いを一種の躾だと信じ、また、専業農家ではなかったから、あの荷車で充分だと思っていたらしい。まだこのころはその後何年かして常態化することになる反抗はできなかった。
 今はもちろんそんな"不幸"な子供などいない。それどころか、機械化のお蔭で家族総出で野良に出るなどということもなくなった。だから、若い人たちの多くはもちろん米の作り方など知らないだろう。彼らの親たちといえば60代以上だが、農業を子供に教えず、頼らず、せいぜい老夫婦が元気にその役を務めている。そういう家ばかりだ。
 農業の集約化などということは、お上が考えなくても自然とそうなる。たとえ仮に、先祖から引き継いだ土地を守るため、嫌がる息子に農業を継がせようとするような殊勝な親がいたとしても、肝心なその跡取りが減るばかりで、あと一世代も待てばこんな田舎はわが家も含めて、空き家ばかりが増えていく。
 
 これまでの人生を振り返って、ふる里に帰って過ごした60代が一番平安だったと思っている。それは都会の暮らしがあったからかも知れないが、いつも正しい選択のできなかった人生において、都落ち、これだけは当たったと思っている。だからまだ「あと千回の晩飯」のあの人のように、70歳になったかそこらで、老いをとくとくと語り出す気にはならない。昨夜の散歩の歩幅は平均81cm、歩行速度は5.9㎞/hとある。
 作家を目指しながら、いつしか栄養学やそれに基づく料理を語るようになった名著「システムキッチン学」の丸元淑生は、皮肉にもガンを宣告され、余命7ヶ月を言い渡された。病院からの帰りの電車の中で気落ちしている息子に「まだ7か月もあるじゃないか、みんなで楽しく暮らそう」と言ったそうである。

 また寒くなるようで、夜からは雪の心配が必要らしい。赤羽さん、「三条の湯」という手もあります。本日はこの辺で。

 
 


 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする