昨日、夕暮れ時外に出たら、いつの間に降ったのか雪が5センチほど積もっていた。そのころから気温は下がり出し、8時ごろには零下10度まで落ちた。日本列島は「数年に一度」の強い寒波に覆われると予報していた気象庁の面目はきっと立っただろう。ただ、大雪に見舞われた人たちはもちろん、そんなどころの話ではない。
長野県は南北に長く、「大雪、大雪」と出る警戒予報は、県庁所在地の長野市がある北部を中心とした気象予報で、中、南部の天気はそれとは大分違う。この地域は南部に属し、概ね東海地方の気象に近いということは以前にも呟いたが、昨夜も北信濃の大雪の報を聞きながらそんなことを思った。
なにしろ、寒気で引き締まった晴夜の中天には、不気味とまで言いたくなるような月の光が浩々と輝き、照りつけていたのだ。降ったばかりの雪の上には月の光を受けてコナシの樹々が黒々とした影を落とし、森閑とした放牧地やその向こうの落葉松の林は、あたかも月光に洗われているかのように見えていた。恐らくは満月か、さもなければ月齢は1日程度のずれでしかなかっただろう。昨夜だけは、その「凍れる月」の独壇場を何よりかも喜んだ。
今朝8時の気温は零下15度、晴天。昨日の湿った雪は凍り付き、その上に柔らかい新雪が覆っていた。招かれでもしたように羽毛服を着て長靴を履き、雪の上を歩いた。顔と素手に感じる冷気に思わず緊張したが、新鮮な日の光と、射すような寒気を浴びていたら、次第に深い感動と満足感が湧いてきた。昨夜の月、そして今朝の清浄な雪の世界と、やはり来て良かったと思った。
こうして、誰もいない山の中の小屋で、1秒を1分、1分を1時間のように感じながら、今だけを意識して過ごす、寂しさなど全くない。あの人は、寂しさが、倦むことを忘れさせてくれると詠ったが、そういう気持ちがあれば、またこの感慨は変わるかも知れないし、深まるかも分からない。しかしこれで充分、不足など何もない。
今年もこの独り言に付き合ってくださり、大変ありがとうございました。どうか、covid-19などに負けず、新しい年を迎えてください。来年もよろしくお願いいたします。