入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(47)

2020年12月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、夕暮れ時外に出たら、いつの間に降ったのか雪が5センチほど積もっていた。そのころから気温は下がり出し、8時ごろには零下10度まで落ちた。日本列島は「数年に一度」の強い寒波に覆われると予報していた気象庁の面目はきっと立っただろう。ただ、大雪に見舞われた人たちはもちろん、そんなどころの話ではない。
 長野県は南北に長く、「大雪、大雪」と出る警戒予報は、県庁所在地の長野市がある北部を中心とした気象予報で、中、南部の天気はそれとは大分違う。この地域は南部に属し、概ね東海地方の気象に近いということは以前にも呟いたが、昨夜も北信濃の大雪の報を聞きながらそんなことを思った。
 なにしろ、寒気で引き締まった晴夜の中天には、不気味とまで言いたくなるような月の光が浩々と輝き、照りつけていたのだ。降ったばかりの雪の上には月の光を受けてコナシの樹々が黒々とした影を落とし、森閑とした放牧地やその向こうの落葉松の林は、あたかも月光に洗われているかのように見えていた。恐らくは満月か、さもなければ月齢は1日程度のずれでしかなかっただろう。昨夜だけは、その「凍れる月」の独壇場を何よりかも喜んだ。
 
 今朝8時の気温は零下15度、晴天。昨日の湿った雪は凍り付き、その上に柔らかい新雪が覆っていた。招かれでもしたように羽毛服を着て長靴を履き、雪の上を歩いた。顔と素手に感じる冷気に思わず緊張したが、新鮮な日の光と、射すような寒気を浴びていたら、次第に深い感動と満足感が湧いてきた。昨夜の月、そして今朝の清浄な雪の世界と、やはり来て良かったと思った。
 こうして、誰もいない山の中の小屋で、1秒を1分、1分を1時間のように感じながら、今だけを意識して過ごす、寂しさなど全くない。あの人は、寂しさが、倦むことを忘れさせてくれると詠ったが、そういう気持ちがあれば、またこの感慨は変わるかも知れないし、深まるかも分からない。しかしこれで充分、不足など何もない。

 今年もこの独り言に付き合ってくださり、大変ありがとうございました。どうか、covid-19などに負けず、新しい年を迎えてください。来年もよろしくお願いいたします。
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     ’20年「冬」(46)

2020年12月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 今朝、8時ごろだったか、室内の気温が7度もあった。西山(中ア)の上部は雲の中だったが、中腹から山裾にかけて昨夜は雨のようだった。
 荊口を過ぎても、さらに芝平に来ても、冬の殺気などは全く感じられず、むしろ雪融けが始まった春先のような緩んだ雰囲気に驚いたほどだった。途中、漁労長山奥氏の隠れ家に立ち寄り、期待通りの釣果を確認してきた。人の好い氏は、上では不便だろうからサクにして、明日持って来てくれるという。有難いやら、申し訳ないやら。
 雪は枯れ木橋を過ぎても走行に支障となるような量はなく、オオダオ(芝平峠)を過ぎてようやく雪道になった。しかし、その量は前回よりか少なく、どうやら下で案じていたほどの降雪はしばらくなかったようだ。シャーベットのような雪に車輪を滑らせないように上がってきたが、いつも冬期に手を焼かされるド日陰の大曲がりも難無く過ぎることができた。ただ、気温が急激に落ちれば、この水分を多量に含んだ雪は牙となるだろう。さらにその上に雪でも積もると、ますます気は抜けない。何しろ、「何年かに一度の寒気」とやらの来襲が予報されているのだから。
 牧場へは正午過ぎに到着。天気は曇りで、霧は権兵衛山を隠してかなり下の方まで降りてきている。気温は零度だったから、100㍍当り0.7度の温度変化という目安はぴったりと合致した。時折、突風がうなりを上げて吹いたりするも、概して静かだ。雨は止んで、羽毛のような雪が思い出したように舞う。そんな外の様子を眺めながら、きょうはもう何もしないでいよう。

 3時過ぎ、青空が拡がってきた。にもかかわらず、気温は上がらず逆に氷点下3度まで下がった。そのせいであろうか、不気味な突風の音を聞く頻度が高まって、気温はまだ下がりそうだ。これが遅れた寒気の予兆であるなら、この思いがけない青空の出現は不気味だが納得できる。周囲の落ち着いた渋い灰色の雰囲気に、まるで招かざる客が割り込んできたようだ。
 気温が高かったためウイスキーはドロドロにはならない。だからというわけでもあるまいに、珍しく今アルコールを欲していない。ビールすらも、不思議だ。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’20年「冬」(45)

2020年12月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 昨日あんなことを呟いたら、神棚が妙に気になる。小さな供え餅を用意したが、どうも中途半端な思いは拭えない。小太郎とHALの眠る林に松が植わっていたはずだと行ってみたが、それは昔の記憶に過ぎず、松飾にできるような木はなく諦めた。ただ、氏神様の正月用の飾り付けは済んだから、それだけでも良しとした。

 その日も夜の9時ごろ、いつもの散歩に出掛けた。広々とした開田に出ると中天に半月がかかり、仙丈岳がその薄い闇の奥からこっちを向いて、一言か二言もの言いたげに見えていた。新月のころなら、冬の銀河が夜空をもっと賑やかにしてくれたはずだが、月光に負けてすっかり消沈してしまっているようだった。
 いつもなら開田の端を北へと進み、1キロくらい歩いてから林の中に入っていくのだが、その日は反対の南に進んだ。その理由が嗤うしかないが、栗饅頭を急に食べたくなったのだ。
 何枚かの用済みの田を通り、果樹園も過ぎた。さらに100㍍も歩くと林に突き当たる。その辺りまでは、小太郎が生きていたころはよく連れてきた場所だった。夜目には、目の前の林をどれほど下ることになるかは分からなかったが、無理して下れば道路があって、そこを1キロも歩けば、近くの県道沿いに夜も営業している店があると分かっていた。
 林と言うよりか長いこと放置された灌木帯を闇雲に下っていった。思っていたよりも斜面は急で、灌木ばかりか棘のある木やツルが進行の邪魔をしてきた。着ていた値段だけは一丁前の羽毛服には、もうそれほど気遣いをする気は失せてしまっていたから、構わずに木々の間を縫うように、あるいは足場を拾うようにして歩き続けた。
 ようやく木の間から眼下に、街灯や舗装された道路が見えてきたと思ったら、傾斜はさらに強まった。それまでも小癪な抵抗にかなり苛立っていたが、最後の最期でまたしても太いツルに胴の辺りを絡みつかれた。苛立ち紛れにこの野郎とばかり、その障害物を思い切り引っ張った。と、まるでその通せん坊していたツルが呆気のないほどに抵抗を止め、引っこ抜け、その勢いで身体が前方に持っていかれた。こらえきれずに倒れ、そのまま3㍍ほどの高さのコンクリートの擁壁から側溝へ転落した。
 怪我を覚悟したが、毛糸の帽子と不信の羽毛服が身を守ってくれたようだった。栗饅頭は売っていなかったが、家に帰って破れた羽毛服から出てきた上質な羽毛を見て今までの不信感が消えた、気が変わった。すっかり見放していた相手だったが、もう一度気を取り直しこれからは懇ろにするからと、破れた箇所をガムテープで貼りながら言って詫びた。
 きょうも他愛のない話で、本日はここまでとします。

 
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     ’20年「冬」(44)

2020年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨が降っている。たまにはこんな天気も悪くない。それに、午後には回復するようだ。気になるのは上の様子で、雪が降っているかも知れない。天気予報によれば、30日の降雪は100㌫だと!
 まだ何の準備もしていないが、午後になれば当家なので、地類(一つの土地を分け合ったという伝承をもち、共同で神仏をまつる家々/大辞林)の小さな氏神に正月の飾り付けをしなければならない。こういう当番が何年かに一度は回ってくる。いつまで続くのか分からない風習だが、絶えてしまうよりかいいと思っているから、面倒な役目ながら不平、文句を言わずに従っている。
 しかし自分の家の正月の準備は、この家の最後の住人となるのに、昨年は何もしなかった。床の間の掃除も、神棚の煤払いもせず、供え餅は一体いつの物か記憶にすらない。門松もしめ縄も、こうした古き良き時代の習いに従う気がなくなってしまったらしい。今年はまだ間に合うがどうしたものか・・・。
 日頃は、郷土史がどうたれなどと柄にもないことを言っている割合にはこの体たらく、それでいて入笠へは雪の中、越年のため誰も来なくとも行こうとする。この方が、年末年始の欠かさない行事になってしまったというのも、他人からは理解されまい。
 
   新年が冬来るのはいい/(略)ねがはくは新しい世代というふに値する/清潔な風を天から吸はう。(略)
   ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。

 本当に高村光太郎が言うように「新年が冬来るのはいい」。まっさらで、輝かしい光、新鮮、希望、そういう思いが自然と湧いてくる。そのすべてが一新されたような清潔な冬の朝を、畏まって寿いだことも遠い昔にはあった。それが段々と面倒になり、旧年と新年の境が曖昧になってきて、世の中から仲間外れを食らったような気分で正月に"耐える"、そんなへそ曲がりになってしまった。
 いやいや、上に行けば今年こそは「わたしは又無一物の目あたらしさと/すべての初一歩の放つ芳ばしさとに囲まれ」雑煮も用意すれば、正月らしい料理だって作るつもりだ。できれば餅つきだってやりたいくらいだが、さすがにそれは抑えるにしても、下にいては人並みのことができなくなったということのようだ。とにかく「精神にたまる襤褸をもう一度かき集め/一切をアルカリ性の昨日に投げこむ」、そんなつもりで、この年末は上に行こう。(省略並びに順不同ながら、鉤括弧内はすべて高村光太郎の詩より)。
 年の暮れにはいつもこの詩を思い出す。

 かんとさん、あれはいいPHでした。ウン百年後が楽しみです(笑)。番長様、裏番長様、承知いたしました。何もかもcovid-19のせいです。本日はこの辺で。

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     ’20年「冬」(43)

2020年12月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

           Photo by Ume氏

 昨日はTDS君を誘って松本まで映画を観に行った。例の映画「約束のネバーランド」で、それについてはこれから観ようとしている人もいるだろうから、敢えて呟かないでおく。

 二人で昼飯を食べようと、映画館の近くにある食堂、庶民的なステーキレストランへ行った。奥まった日当たりの良いテーブル席へ案内されると、TDS君に運転はしないでいいからビールを飲めと言われ、素直にそうした。そうこうしていると、3人だかのご婦人方がやって来て、さらにもう1席ある奥に座った。60代と思しきが2名、もう1名は40代ぐらいか。若い女性は生ビールを注文し、思った通り、料理が運ばれてくるのを大人しく待てず、大声で会話が始まった。
 一応、飲んだり食べている間はマスクを外すから、われわれは話すのを控えていたが、その人たちは久しぶりに会ったらしく、お構いなしに大声で会話に興じ、料理を食べ始めると今度は取り寄せたステーキの肉やその味付けについての講釈が始まった。そしてついには、それぞれが切り分けて味比べまで始めた。微笑ましいと言えばそうだが、このご時世、最も慎まなければならないとされる行為である。
 今や世界中の人たちがcovid-19の脅威を知っている。あのご婦人方も充分にそのことは承知のようで、それに関連した話題も交わしていた。誰でもがする、うっかりと言うことだろう。この「うっかり」を、この人たちばかりでなく日常生活の中でついやってしまっている。安心した生活が送れるようになる日がいつ来るのかは分からないが、この災厄から逃れるためには、余程の覚悟が要る。そればかりか、運も要る。
 われわれが映画を観に行くなどということも、相当気を遣ってはいたが、批判される行為かも知れない。館内には15名ほど、それこそ充分な間隔があり、咳をする人もいなくて会話も聞こえてこなかった。これで万一「うっかり」のことがあればと、そう思えば落ち着かなくなる。特にTDS君は付き合わされたのだから。
 やはり、いくら義理とはいえ、こうした外出は不要な部類に入るのかも知れない。年末年始は予定通り上で過ごすが、一般の人を対象とした営業は控えることにした。冷え切った山の小屋で何を思い1年を送り、何を思い新しい年を迎えるのか、ムー。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。「爆音機」は「爆音器」だとTDS君から指摘された。それには気付いていたが、あれはやはり「器」とするにはどうしても抵抗がある。立派で複雑な「機械」だ。かんとさん、ありがとう。
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