入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「夏」(25)

2021年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝はしばらく無粋なカラスの声がしていた。そのうちウグイスと郭公の声がするようになると、どこかへと退散していったようで、ようやくいつもの穏やかな朝になった。先程まで青空も見えていたが、今はゆっくりと霧が流れ、日が射すまでのひとしきり、目の前の森や草地をしめやかに清めてくれているようだ。

 きょうで6月も終わり、今年も半分が過ぎた。COVID-19の猛威は依然として変わらず、五輪の開催にも疑問や不安を抱く人が多い。20代や30代の若者が中心になって感染を広げるという構図は相変わらずのようで、巷の動揺や不安はまだまだ治まりそうもない。
 昨日、NHKの支局がワクチンの副反応について何か調査結果を報道していた。見ているうちに、しかしあれは単に不安を煽るような効果しかないのではと思い、途中で切った。注射の跡が痛むとか、倦怠感を感じるとか、発熱があるとか、そんなことは当然のことで、それを接種が急がれる若い人にその傾向が強く出る、などと報じることに果たしてどれほどの意味があるのだろう。
 結果について専門家の意見もきちんと伝えるべきだし、現在の段階ではワクチン接種がこの感染症の重篤化を防止する有効な対策手段であり、少しでもその点について視聴者の理解を促すべきではないのか。最後まで見なかったが、そもそも一地方の支局が取り上げるに相応しい主題とは思えず、あれでは風評を助長するだけだと案じた。
 また、ワクチン接種には「希望者は」という言葉が枕詞のように付くが、国の本音はそうではないだろう。一人でも多くの人にお願いし、接種を進め(勧め)たいはずだ。
 ところがこういう時、あまり根拠のない不安から「薬は嫌い」などと言って、接種を回避しようとする人が必ずいる。それに対し少しでも批判的なことを言うと、こんどは「同調圧力」などというおかしな言葉が返ってくる。
 国民にマスクを着用し、三密を避け、不要不急の外出は控えることが要請できて、飲食店などの営業に制限をかけことができても、なぜワクチン接種を要請できないのか。もちろんこれは、アナフィラキシー症候群などに陥りやすいなど、身体的な理由のある人のことではない。そのために接種の現場には医師が控え、相談にも応じている。接種は自分のためでもあるが他人のためでもある。
 
 きょうはキャンプ場に1名、小屋にも一組の年配の夫婦の予約が入っている。小屋に泊まるご夫婦は鳥取県から遠路夜をついで走り、早朝に着くのだとか(後にキャンセルになった)。
 こんなところで若者を批判すると、自分の過激な若い時代が思い出され後ろめたい気持ちになる。控えよう。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(24)

2021年06月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨が降っている。それもかなり強い。ウグイスがすぐ近くのコナシの木に来ているらしく、こんな天気でも歌うのを止めない。それに今朝は、しばらく森の舞台から遠ざかっていた郭公の声も、遠くからだが聞こえてくる。あれはどこへ行っていたのだろうか。
 すっかり上での暮らしに慣れてしまい、どうやら現住所は入笠牧場になってしまった。たまには里のことも気にはなるが、あの距離をこれまで14年以上も毎日往復していたのは、自分のことでありながら他人事のように感じてしまう。
 それで少しは身体は楽になったが、相変わらず体力を酷使する日々が続き、その上ここですることは毎日同じような仕事ばかりで、あまり代わり映えしない。それでも、目にする自然はここに暮らす上で充分に、親しい友人の代わりになってくれている。
 
 9時過ぎ、雨が止んだので、きょうもいつものように電牧の点検や、牛の頭数確認を普段よりか少し丹念に行い、その後、電牧下の大分伸びた草を刈った。あんな細い草でも、束にすればそれなりの量になるから、それが漏電の原因となる。きょうは通電したままで草刈りをしたから、感電してはたまらないとそれなりに神経も使い、かなり疲れた。汗もかいた。燃料が尽きたので車まで下りてきたら、それを待っていたようにまたしても雨が降り出した。あの草刈りはもう半日もあれば終わるだろう。

 夕暮れとともにまた霧が降りてきて、その中からウグイスの声が今もしている。権兵衛山もすっかり霧の中で、囲いの中の3頭の牛たちは寝る前の腹ごしらえに余念がない。草を食む牛ばかり見ていないで人間も、そろそろ夕餉の準備でもしよう。まだ今夜は何を作るか決めてないが、ビールと日本酒だけは変わらず、それらを飲みながら考えることにする。
 それにしてもこんな山の中で、仕事以外にも炊事、洗濯、掃除までやる。それで格別不満などないが、アレが見たらどう思うだろう。
 1年前のきょうがHALがいなくなった日で、それに関しては長いながい1年だった。

 本日はこの辺で。

 
 

 



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     ’21年「夏」(23)

2021年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 いい天気だ。気温16度、これからまだ上がるだろう。午後になれば崩れるようだが、梅雨のこの時期に譬え半日でも澄んだ爽やかな青空を眺められるのは有難い。いい声で鳴くウグイスが今朝の主役だ。

 昨日は牛の頭数確認と電牧の点検に小入笠の頭まで登り、のんびりと草を食む牛たちの牧歌的な風景をしばらく見てから山を下った。まだ警戒心を露骨なまでに見せるのもいれば、こっちの姿を見て近寄ってくる牛もいる。どの牛たちも大分、高原の牧場に慣れてきたようだ。
 今使っている国産の電牧は、下で漏電計を見ればおよその状況は分かるのだが、出力が外国製と比べ低く、最終の小入笠の頭で計ると4000ボルト以下になってしまう。それでも、牛たちはあのアルミの線に触れたらかなりの衝撃を喰らうことを学習しつつあるようで、断線事故は減った。
 もっとも、仮にもっと電圧が高くても、実際の電牧の敵であり、事故の犯人である鹿にはそれほど影響しないだろう。敵は跳躍できるからで、断線の原因も多くはそこにある。

 その後、思い付いて、テイ沢の入り口に置いてある4本の丸太をどうするか考えた。悪天が予報されていたから、日曜日であってもヒルデエラ(大阿原)やテイ沢へ行く登山者は少ないだろうと考え、そうであれば、人の目に触れないうちに1本でも2本でも現場に運んでしまおうと、またしてもせっかちな性分にそそのかされた。
 ヒルデエラの木道には一組の登山者がいただけで、テイ沢の入り口付近には誰もいなかった。一番軽いので小手調べをするか、それとも逆に一番重いのを片付けるかなどと思案したが、結局は一番重いのを選んだ。1本だけで済ませるつもりが欲が出て、さらに次に重い丸太も運んだ。前日に5人の女性に運んでもらった2本は(有難うございました)、それらと比べたら軽いはずだから安気に構えることにした。
 かつてはクマササで消えかけた頼りない山道も、TDS君と何年も草刈りをして、今ではそんなことは嘘のようになった。昨年は夥しいまでの倒木に泣き、また別の年は何度か大水で丸太橋が流れるなど、それなりに苦労を重ねてきた沢だった。
 肩の荷を感じつつ、そんなことを思い出しながら現場まで行ってみて、なぜ2本があれほど簡単に折れてしまったのか、その原因がよく分からなかった。そこだけは丸太を4本でなく3本にしたから、そのせいかも知れないが、他の8か所の丸太橋についてはこんなふうに折れてしまった橋はなかったはずだ。しかし今後は、それらの橋にもより注意が要るだろう。
 それと、そもそもここばかりかテイ沢に、丸太橋が必要なのかという、思いがけない根本的な疑問までが湧いてきた。
 M田さん、たまには出掛けてください、本日はこの辺で。


 
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     ’21年「夏」(22)

2021年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今までテイ沢やそこに至る途中で、何をしているのかと聞かれたことはあっても、手伝ってあげると言ってくれた人はいなかった。Kさんのように、丸太を抱きしめてくれると言った人も初めてで、それに期待しながらも昨日、思いがけずも5名のご婦人・女傑がテイ沢の入り口まで細い方の丸太2本を運んでくれた。
 この人たちはその日の朝、乗ってきた車の駐車を引き受けた、地元伊那の某山岳会の会員たちだった。小黒川林道を下ってテイ沢からヒルデエラ(大阿原)を一周する計画のようだったが、その時にそういう話まで聞いたのか、後で知ったのかはもう覚えていない。
 それからしばらくして、ヒルデエラの入り口で前日に仮置きしておいた丸太を一輪車で運搬する準備をしていたら、賑やかな笑い声とともにその5名が現れた。そして親切な申し出をしてくれたのだった。その時は、重いのと軽いのと2本を欲張って一度に運ぼうとして、そんなことなど到底無理だと分かり、4往復を覚悟しなければと少々気落ちしていた。だから余計に有難かった。

 丸太1本を積んだ扱いにくい一輪車を押して何とかテイ沢の入り口まで着いて安堵していると、この人たちも程なく丸太2本を持って到着した。たくさんお礼を述べ、1枚写真を撮らせてもらい、そこで別れた。
 


 それにしても思いもしなかった手助けだった。ただ、朝少し話をしていたからで、そうでなかったらいくら親切な人であっても、何をしているのか分からない見知らぬ男に手伝いを申し出ることはなどはあるまい。まあ、知人でも知らぬ存ぜぬを決めて、いつになったら修復するのだろうと気を揉んでいる人もいるらしいが、これまでTDS君を始め限られた少数の友人知人で守り続けたテイ沢である。それだけに、あの沢や丸太橋には思い入れが強い。

 一輪車のフネを外して丸太を運ぶ方法は、知人のやまつくも君の助言だったが、あれは思ったほどの効果はなく、2本目は肩で担いだ。どちらも楽な運搬ではなかった。何年前になるのか、あの距離に加え1番目、2番目の橋まで6往復もしたことは、今となってはとても信じられないことだ。
 沢の入り口から最初の橋まではヒルデエラの距離と比べれば少し短い。500㍍くらいだから4本とも担いで下る。それしか方法はない。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

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     ’21年「夏」(21)

2021年06月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝もまだ明けぬうちから鳥の声で目が覚めた。どうも新顔らしく、しかも2種類の鳥がいて「リュウ」という声に合わせるように「チュチュッ」と別の声がしていた。7時間の睡眠ではもの足りなくて、さらに3時間以上も寝てしまった。今はホトトギスが上手に鳴いている。
 午前8時曇天、気温13度。さっき大型トラックが2台たくさんの材木を積んで下っていった後は静まった谷に、鳥の声だけがしている。土鍋で炊いている朝飯のいい匂いがしてきた。

 確かに、寝過ぎではないか思うほどよく眠る。身体がそれを求めているのだと思うから、構わずにそうするのだが、ただ茶を飲みながら最低でも3時間くらいのゆっくりと過ごす朝はお預けとなる。大体、8時間寝た次の日は9時間以上になるが、そうでないと爽やかな朝を迎えられないというおかしな身体になってしまった。
 その一方、たまには夜中に目覚めてしばらく起きていることもある。そういう時はそれを気にかけず、眠くなるまで強いアルコールをちょびちょびとすすりながら呆けている。つい人生の来し方などを考えてしまうが、気力が落ちているからつい悲観的になる。だから努めてそういうややこしいことは考えないようにして、闇のつくる静寂を布団代わりにして過ごす。クク。
 今年、これまでの1日の平均歩行歩数は約8000歩になった。冬の夜の散歩から、牧場の仕事をやるようになっても大体は日に1万歩以上を歩いているから、そのくらいにはなるだろう。歩くこと、それがここの仕事の大半と言える。
 
 昨日の夕方、ヒルデエラ(大阿原)まで丸太4本を運んできた。きょう暇を見て、雨の来ないうちにテイ沢の入り口まで何本かを運ぶつもりでいるが、牛たち次第でどうなるかまだ分からない。
 その帰り、第4牧区の塩場に牛に混じって10頭以上の鹿がいた。普段、ここまで鹿が大胆な行動に出ることはない。鹿はどうして牛が仲間だと思うのか、また牛はなぜそれを許すのか、同じ偶蹄類とはいえ、それは人間がした分類に過ぎないのに、まるで親戚のように双方が接している。不思議だ。

 Kさん、丸太に抱き付くよりもっと面白いことを考えておきます。6日ぶりに、きょうは里へ下る。本日はこの辺で。
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