今朝はしばらく無粋なカラスの声がしていた。そのうちウグイスと郭公の声がするようになると、どこかへと退散していったようで、ようやくいつもの穏やかな朝になった。先程まで青空も見えていたが、今はゆっくりと霧が流れ、日が射すまでのひとしきり、目の前の森や草地をしめやかに清めてくれているようだ。
きょうで6月も終わり、今年も半分が過ぎた。COVID-19の猛威は依然として変わらず、五輪の開催にも疑問や不安を抱く人が多い。20代や30代の若者が中心になって感染を広げるという構図は相変わらずのようで、巷の動揺や不安はまだまだ治まりそうもない。
昨日、NHKの支局がワクチンの副反応について何か調査結果を報道していた。見ているうちに、しかしあれは単に不安を煽るような効果しかないのではと思い、途中で切った。注射の跡が痛むとか、倦怠感を感じるとか、発熱があるとか、そんなことは当然のことで、それを接種が急がれる若い人にその傾向が強く出る、などと報じることに果たしてどれほどの意味があるのだろう。
結果について専門家の意見もきちんと伝えるべきだし、現在の段階ではワクチン接種がこの感染症の重篤化を防止する有効な対策手段であり、少しでもその点について視聴者の理解を促すべきではないのか。最後まで見なかったが、そもそも一地方の支局が取り上げるに相応しい主題とは思えず、あれでは風評を助長するだけだと案じた。
また、ワクチン接種には「希望者は」という言葉が枕詞のように付くが、国の本音はそうではないだろう。一人でも多くの人にお願いし、接種を進め(勧め)たいはずだ。
ところがこういう時、あまり根拠のない不安から「薬は嫌い」などと言って、接種を回避しようとする人が必ずいる。それに対し少しでも批判的なことを言うと、こんどは「同調圧力」などというおかしな言葉が返ってくる。
国民にマスクを着用し、三密を避け、不要不急の外出は控えることが要請できて、飲食店などの営業に制限をかけことができても、なぜワクチン接種を要請できないのか。もちろんこれは、アナフィラキシー症候群などに陥りやすいなど、身体的な理由のある人のことではない。そのために接種の現場には医師が控え、相談にも応じている。接種は自分のためでもあるが他人のためでもある。
きょうはキャンプ場に1名、小屋にも一組の年配の夫婦の予約が入っている。小屋に泊まるご夫婦は鳥取県から遠路夜をついで走り、早朝に着くのだとか(後にキャンセルになった)。
こんなところで若者を批判すると、自分の過激な若い時代が思い出され後ろめたい気持ちになる。控えよう。本日はこの辺で。