入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「夏」(52)

2020年07月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 今はまだ霧が目の前の林の上部半分から動かないでいる。権兵衛山も完全に霧の中だが、きょうの日中は10時ごろから晴れるはずで、そろそろ太陽を拝められると期待して待っている。囲いの中の牛たちは横臥して反芻を始めたようだが、そこにも霧が被さるように流れていく。ポカンとして、何を思い、何を考えているのか、いつ見てもその姿は長閑で滑稽である。親近感が湧いてくる。
 ようやく青空が現れてきた。牛もまた草を食べ出した。その中で2頭の和牛が固まってしまって、時折尻尾を動かす以外一切の動きを見せない。まだそのままの状態が続いている。本当に、あの牛たちの頭の中を覗けたら、どれほど愉快だろうとよく思う。しかし実際は、今朝の深い霧のように、何も明確な姿も形もそこにはないのかも分からない。それでもあの2頭はまだ哲学者のように黙考を続けている。
「おい、わしらはこんな所へ連れてこられ、一体いつまでこんな暮らしを続けるのだい」
「ムー、それが難題で、誰も分からんのだ」
 ここにいる牛はホルスも和牛も全頭が雌だが、こんなふうに牛たちの会話を想像すると、つい男言葉になってしまう。どう見ても、人間の女性が使う言葉は似合いそうもない。
「わたしたち、こんな所へ連れてこられて、一体いつまでこんな暮らしが続くのかしら」
「本当よね、でも誰に聞いても分からないの」
 どうだろう。そうでもないか。
「あの時々塩を持ってくる人間、あれなら分かるかも知れないわ」
「駄目よ、あんな男はわたしたちの頭数を数えて喜んでいる、単なる使い走りだから」
 なんて・・・。
 奴らに人間界のことなど、分かるわけがない。もうすぐ中間検査になり、牧区の移動が始まれば、牛守様の実力を知るだろう。そして、いつの間にか「単なる使いっ走り」に見えた男の後を、ゾロゾロと付いてくるようになるはずだ。
 残り2ヶ月、今年は長梅雨に祟れて、牛たちは前半、大分苦労した。給塩すらも思うようにいかない日が続いた。それでも短い一生の中では、ここでの毎日は自由で呑気だったはずだ。いくら頭の中は霧も同然かも知れないが、好き嫌いくらいの感覚はある。狭い畜舎に戻され不自由な毎日が始めれば、ここでの4か月は天国だったと分るだろう。
 2頭の哲学者は、今度は横臥したまま思索を続けている。権兵衛山も姿を見せ、その上空には待望の青空も見えてきた。

 本日はこの辺で、また明日。

 
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     ’20年「夏」(51)

2020年07月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 夜が明けようとしている。この頃はこんな時間に目が覚め、新聞が配達されるのを待ちながら、この詮ない独り言を始めたり、朝風呂の準備や朝飯、昼弁当の用意をする日がある。昨夜は9時半ごろに寝たが、日によっては8時を待てずに寝てしまうこともある。「嗜眠癖」などという言葉があるのかどうか知らないが、目下はそういう状態で、充分過ぎるほど眠ることができた時は、鬱積していた疲労感が一度に消えたような爽快感に浸れる。考えてみれば山でもそうだったが、湿度の高い梅雨時期のせいかも知れない。



 一昨日、迷ったが結局、久しぶりにヒルデエラ(大阿原)経由で、テイ沢へ下った。小雨交じりのあんな天気だったし、午後も大分過ぎていたから、湿原に人の姿はなかった。だからかも知れないが、たまさか訪れた湿原は侘しさがあって、それが懐かしく、風雨さえも心地よく、厚い雲の下の視界は時折靄の中に隠れてしまうこともあったが、それさえも縹緲としたあの湿原の趣に合っていた。
 沢の入り口で少し草を刈った。あまり思うようにいかなかったが、そこに拘っていると先の仕事ができなくなることを案じてほどほどにして、草刈り機をその場に残しチェーンソーだけ首にぶら下げて沢を下った。
 とりあえず、最初の丸太橋の先にあった、道を横切って倒れていたモミの木を片付けた。水に浸かったあの木の枝は相変わらず重く、手を焼いた。少し戻って他に2本、これらの木は迂回できたがついでとばかりに処理した。
 ダケカンバだったか、写真の弓状にしなったまま倒れた木には手を出さないでおいた。乏しい時間のせいもあったが、当面通行には支障なく、他にも沢の流れの中に倒れ込んだモミの木が2,3本とあって、出直す必要があったからだ。
 また、ここに架かっている丸太橋は3本の組み合わせのためいかにも貧弱で、前からこのことは気になっていた。しかし、この場所は丸太を担いでは下から上がっても、湿原から下っても一番遠くて、3本の丸太を運ぶでさえも苦労したから、簡単にはいかない。
 帰路の湿原の木道を歩きながら、ささやかな自己満足で気が済んだ。
 

 HALが死んで、もう1ヶ月が過ぎた。とてもそれほどの日数が経ったとは思えない。しかしその間にHALは小太郎、キク、そして幼い一人の女の子と一緒に、記憶の中のそれなりの所を得て落ち着いてくれた。それでいい。

 本日はこの辺で、雨は止まず天が嗤っているが、まあ悪あがきだ。
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     ’20年「夏」(50)

2020年07月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 きょう、一日の仕事が終わるころになって、薄日が射してきた。どうやら、長引いた梅雨もようやく終わりを迎えたようだ。
 カラスが鳴き出した。その喧しい声を久しぶりに聞いたが、この天気の回復と関係があるのかどうか。その声に促されるかのように、今度はホトトギスの声もする。ただ、いつもの鳴き声とは違う。



 きょうは、東部支所の最後の農業実習の日で、金融関係を担当する2名の男性職員が上がってきた。いつもなら、実習の相場は草刈りと決まっているがそれをしいないで、第4牧区で毎日やっている頭数確認に付き合ってもらった。
 これまでのように彼ら、彼女らが、不得手であったり、慣れない草刈りを体験してもらうよりか、JA上伊那がこんな素晴らしい環境に、長年公共牧場を経営していることを知って、それを納得、実感してもらうことの方が大切だと考えたからだった。そして、それには牧場を案内がてら、実際の仕事の様子、実態を見てもらうのが良いだろうということで、幸いその結果は概ね好評だったと思う。
 8月4日には中間検査があり、その後は囲いの11頭も含め、全頭39頭を第4牧区に移動させることになっている。その前には当然、電牧や通常の牧柵の点検や補修をしなければならず、実習として両牧柵の不良個所の点検はどうかと考えてもみたが、そういうことをきょうの二人に任せて終わるわけにはいかないから、思い留まった。
 その他に、営業するかどうかまだ迷っているが、露天風呂の立ち上げを手伝ってもらった。これを実習と言うのも何だが、このキャンプ場に、こういう施設があることを知らない職員もいたからで、湯船の中から眺める天の川はここの自慢だということをしっかりと話しておいた。また同時に、キャンプ場としての今後の課題を伝えておいた。
 この牧場を使って実習した彼ら彼女らが、将来どんな立場に就くかは分からないが、「来年も楽しみです」と言ってくれた女性職員もいたくらいだから、きっと無駄にはならなかっただろう。少なくとも、自分たちが働くJA上伊那には入笠牧場があるのだと、些かの親しみと関心を持ってもらえたと、そういう意味においてだけでも。

 Mさん、確かに屋根ができれば何よりですが、鉄骨にしなければ倒されてしまいます。なかなかのことです。また気付いたことがあったら是非伝えてください。
 本日はこの辺で、明日また。

 


 

 

 

 
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     ’20年「夏」(49)

2020年07月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨は止もうとしない。今朝はここに着く少し手前、10頭ほどのホルスの一群が塩場の隣の放牧地に来ていて、そうなると着いたばかりでも、耳標確認をしないではいられなくなる。とるものもとりあえず、雨支度だけはして放牧地へ向かおうとしたら、その群れが塩場へ移動してくるところだった。それで急いで今度は、管理棟へ塩を取りに戻り、雨は降っていたが、その雨のせいで給塩が思うようにできない日が続いていたから、多少の無駄は仕方ないとして牛たちに塩を与えることにした。雨に溶けた塩は鉢から流れ出て、鹿へのおこぼれとなってしまうだろうが、この際これは目をつぶるしかなかった。
 とにかく、来る日もくるひも、雨が降ろうが槍が降ろうが、全頭の牛の無事を確認しておかなければ何事も始まらない。13頭を確認して、そのまま中段で和牛を3頭確認してからいつものように小入笠の頭まで登り、さらに下って、塩鉢に集まっていた群れの1段上の放牧地で10頭を確認。塩場へそのまま誘導した。
 迷ったがこの後、電牧のリボンワイヤーの一部取り換えを行う。水道管に詰まった水のように、1メートル足らずの間で電圧が何千ボルトも落ちてしまう状態が1日前から続いていた。原因をいろいろ考えた結果、結線に問題があると分かり、これは解決した。午後は大雨の中、急遽ロケハンが入り、その対応をする。なお、この日予定されていた収録は、またしても延期となった。(7月27日記)

 雨は今少し治まっている。霧が深い。こんな天気でも、広い放牧地の濡れた草の上を歩くのは気持ちがスッキリとしてくる。小入笠の頭の手前は急登になり、ここでは歩幅を狭めてゆっくりと歩く。噛めばかむほど味の出る良質のスルメ、というほどの域には達していないが、それでもこの斜面の小刻みの登行はそれなりの味がある。それにきょうは風もあまり強くないのに奔放な霧の流れ、しめやかな大気が味方になって、ささやかな労を励ましてくれる。
 この小さな頂きに一体これまで幾度登ったことになるのだろう。ここを目指して三角形の2辺、右は通常の牧柵、左は電気牧柵、を幾日もかけて全て張り直したこともあった。たまにはここで、牧場管理人としての悲喜こもごもの感慨に更けることもある。

 先日、TDS君に手伝ってもらい行った草刈りの取っ掛かりのクマササと、下から9番目の丸太橋近くの倒木が気になる。雨は降り止まず、霧はさらに深くなってきたが、行くべきか・・・。
 本日はこの辺で。

 
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     ’20年「夏」(48)

2020年07月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 昨日、呟きを終えるに当たり、つい「また明日」などとやってしまった。きょうが日曜日であること、独り言を控える日であることを、うっかりして忘れていた。考えてみたら明日、月曜日は例の収録というややこしい仕事が入り忙しいことにりそうなので、そこできょうと明日を振り返えとすることにした。単に牛守の独り言に過ぎないのだから、そこまでしても詮無いと思いつつも。

 昨日は午後になってもう一度、未確認だった牛5頭を確認することにした。雨は止まなかったが、熱いウイスキーコーヒーの効果と、別の雨具のお蔭でそんな気になった。一応牛に大事はないと思ってはいても、これは牛守の沽券にかかわることでもあり、意地のようなものだろう。もっとも意地ということであれば、14年の経歴を持つ牛守よりか、歳を取ってしまってもやはり山に対する、「こんな程度で」といった気負いが、古着の汚れのように残っているのかも知れない。
 三角形の底辺の真ん中から小入笠の頭を目指して登り、その日は頭には3度行ったことになった。そして中心からあまり大きく逸れない範囲を降りてきてまず和牛2頭を、さらに下って、放牧地の散らばった牛たちの群れの中に当のホルス3頭を見付け、耳に付けた牧場の管理番号で確認した。
「終わった!」という快い満足感が、雨の中の1万数千歩の対価だった。

 その日の帰り、枯れ木橋を過ぎた所で、1匹の犬に出会った。一見して、4年前の冬の夜、入笠へ来る途中で姿を消したHALの妹キクかと驚いた。それほど似ていた。しかし、川上犬の特徴である背中の茶色の毛に混じって、黒い毛のTの字の模様が無かった。それに、首に発信機を付けていた。明らかに猟犬である。
 それでも窓から顔を出し、大きな声で「キク」と呼ぶと、その声に怯えたのか踵を返し、元来た方へ歩き出した。キクと違い、結構神経質そうだった。速度を落としゆっくりと後を追っていくと、その犬もこちらを振り返りながらしばらく走った。そして立ち止まったので、車から降りて近付こうとしたら、山室川の土手を下り、さらに今度は上流向かって走り、間もなく姿をくらました。
 HALが死んで、もう犬は飼わないことにしたが、それでも身元が判明するまで家に置いてやってもいいと思った。それにしても猟犬がこんな時期にどうしたというのだろう。猟期からずっと野生化して生きてき可能性も考えたが、それにしては黄色の首輪が新しかった。今朝も注意しながら来たが、もう会うことはなかった。

 本日はこの辺で。そういうわけで明日は沈黙します。
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