今はまだ霧が目の前の林の上部半分から動かないでいる。権兵衛山も完全に霧の中だが、きょうの日中は10時ごろから晴れるはずで、そろそろ太陽を拝められると期待して待っている。囲いの中の牛たちは横臥して反芻を始めたようだが、そこにも霧が被さるように流れていく。ポカンとして、何を思い、何を考えているのか、いつ見てもその姿は長閑で滑稽である。親近感が湧いてくる。
ようやく青空が現れてきた。牛もまた草を食べ出した。その中で2頭の和牛が固まってしまって、時折尻尾を動かす以外一切の動きを見せない。まだそのままの状態が続いている。本当に、あの牛たちの頭の中を覗けたら、どれほど愉快だろうとよく思う。しかし実際は、今朝の深い霧のように、何も明確な姿も形もそこにはないのかも分からない。それでもあの2頭はまだ哲学者のように黙考を続けている。
「おい、わしらはこんな所へ連れてこられ、一体いつまでこんな暮らしを続けるのだい」
「ムー、それが難題で、誰も分からんのだ」
ここにいる牛はホルスも和牛も全頭が雌だが、こんなふうに牛たちの会話を想像すると、つい男言葉になってしまう。どう見ても、人間の女性が使う言葉は似合いそうもない。
「わたしたち、こんな所へ連れてこられて、一体いつまでこんな暮らしが続くのかしら」
「本当よね、でも誰に聞いても分からないの」
どうだろう。そうでもないか。
「あの時々塩を持ってくる人間、あれなら分かるかも知れないわ」
「駄目よ、あんな男はわたしたちの頭数を数えて喜んでいる、単なる使い走りだから」
なんて・・・。
奴らに人間界のことなど、分かるわけがない。もうすぐ中間検査になり、牧区の移動が始まれば、牛守様の実力を知るだろう。そして、いつの間にか「単なる使いっ走り」に見えた男の後を、ゾロゾロと付いてくるようになるはずだ。
残り2ヶ月、今年は長梅雨に祟れて、牛たちは前半、大分苦労した。給塩すらも思うようにいかない日が続いた。それでも短い一生の中では、ここでの毎日は自由で呑気だったはずだ。いくら頭の中は霧も同然かも知れないが、好き嫌いくらいの感覚はある。狭い畜舎に戻され不自由な毎日が始めれば、ここでの4か月は天国だったと分るだろう。
2頭の哲学者は、今度は横臥したまま思索を続けている。権兵衛山も姿を見せ、その上空には待望の青空も見えてきた。
本日はこの辺で、また明日。