入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(68)

2021年01月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(1月25日撮影)

 この呟きも「夜の散歩その日その時」になりつつあると思っていたら、Ume氏から貴重な5枚の写真が送られてきた。思いがけないことで大変に有難かった。昨日の朝、氏の場合は乗用車だが、それを駆ってオオダオ(芝平峠)まで強行し、そこで撮影したと聞いた。きょうから順次紹介するPHは、お蔭でこの独り言にも大いに色を添えてくれるはずだが、それにしても雪は結構深い。よく行けたものだ。
 
 さてまた例の散歩だが、昨夜は妙なことを思い付いた。前々から考えていながら果たせないでいる旅のことだが、それをもしも実行するとなれば途中で野宿をしながら旅を続けるのも一興かと考えたのだ。それで、この林の中なら、いやこの土手の横は、などなどとすっかりそんな寝場所の想定をしながら歩いていたら、さらに北へ足をのばして福与城まで行ってしまった。
 いや、何も野宿で宿代を節約しようと思っているわけではない。というのも、思い描いている古道は辺鄙な山の中が続き、宿が限定され、そのためどうしても行動が束縛されてしまう恐れがある。それが、山の中でも畑の脇でもどこでもと考えれば余程気が楽になりはしないかと、この旅に思いを巡らせていたらついそんなことを考えたのだ。だから、野宿一本で行くつもりではない。たまには風呂にも入りたくなるだろうし、人並みの物を食べて酒も飲みたい。それも旅だ。
 ウーン、確かに、夜間にそんな人気のない山の中で過ごすなど気味が悪くないかと思われそうだが、それよりかも、もし誰かがそんな風体の怪しい者を見付けたら、相手の方が余程不気味に思うだろう。乞食とでも間違えられて石でも投げらるかも知れないと、そっちの方が余計に心配になる。よく分からないが夜の山の中だろうが、墓地だろうが、殆どそれは景色、環境程度にしか感じない。久しく使ってなかった言葉だが、これも知らないうちに少しづつ野生化が進んだということだろう。若いころの単独の山行では、寝る場所には多少の拘りがあったと思うから。
 
 小学校性のころ、この福与の古城へ遠足に来て絵を描いた記憶がまだ残っている。信州へ帰ってきてから、春などはこの城跡へ桜を見に来たりすることもあるが、昨夜はその時に使う道でなく、小学生以来一度も通ったことのない急な山道を下ると決めていた。暗くて少し迷ったが、恐らくその細い急な道こそが小学生の時に歩いた急坂だろうと思った。60年以上も前の記憶だが、子供の足にはきつかったことを覚えている。
 そこからはまた天竜川の土手に出た。ここでもまたあれこれの思い出に耽りながら歩き、帰ってきた。7.4キロ、1万2千歩。本日はこの辺で。


 

 
コメント
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