入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(22)

2024年08月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前中は上で早朝から天気を気にしつつ忙しい思いをした。それを済ませて、明日は大事な用事があるので、午後になってまた里へ帰ってきた。いや、やたら暑い、驚くほどだ。これもあの台風のせいだというのだろうか。
 雑草に埋もれた陋屋の草を刈ろうと始めたら汗は流れるだか、血に飢えたやぶ蚊には刺されるだか、上とはエライ違いで面食らった。たまらず中断して、途中で投げ出した仕事の跡を眺めながら、自分の家のことには甘いなと自嘲した。

 今、風呂から出て、ビールを飲んでいるといい風が入ってくる。ここも、本来ならもう秋だ。いまさら、晩夏の抗いなど「老人の元気」と同じようなものと、老人という自覚の乏しい老人が思っている。
 蚊に刺された箇所がやたらと痒い。薬箱から怪しい軟膏を取り出し塗ってはみたが果たして効果があるのか、というよりかあれは痒み止めの薬だったか否かもよくとは分からない。
 そんなものだ。これも自分の身体だからいい加減とは言え、それで誰かに怒られることもあるまい。もう一度風呂に入れば治るだろうか。それにしても里の方が住みにくくはないか。

 天気予報によれば、台風10号の影響で来月の2日まではいやな天気が続き、ようやく3日の火曜日ごろから天気は回復するらしい。この台風が発生してから幾日になるのか、「低い土地の浸水、河川の氾濫、土砂崩れ」への注意喚起が毎日繰り返され、ストレスがずっと続いている。
 
 この地域、伊那谷は幸いなことに比較的自然災害が少なく、その理由の一つとしては、木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)の両方に守られているということが言われてきた。
 記憶にある大きな被害は、昭和36年(1961年)に起きたいわゆる「三六災害(さぶろくさいがい)」で、この時は信州の南部に大きな被害が出た。入笠の麓の集落、芝平はこれが引き金となって集団離村のやむなきに至ったと以前にも呟いた。
 だから、安心していてよいというわけではないことを、この災害を経験した人はみな知っている。半世紀以上も前のことだが、もちろん忘れてはいない。(8月30日記)

 台風10号奴はどこで何をしているのか、まだ近畿地方で暴れているのか。依然「記録的な大雨に厳重警戒」とあるも、これは昨日30日の予報で最新のものは分からない。この辺りの予報は午後から雨のようだが、確率は35㌫とそれほど高くなく、「厳重な警戒」にも対応が難しい。
 先程までヤマバトの鳴く声がしていた。今はもう虫の声がするだけだ。秋。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 
 
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      ’24年「秋」(21)

2024年08月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      3頭目が猛女の51番、前の2頭は場所を譲ることに
 
 伊那盆地は雲に埋まり、松本平までは手前の山々に遮られ視界は及ばずも、その上空には灰色の空を背景いにした槍や穂高の峰々が雲上に浮かぶように見えている。「嵐の前の静けさ」、何かが襲ってくる前の緊張が生む静けさ、誰が言った言葉だろう。確かに今朝は、いつになくそんな不気味な静けさが空全体、そして眼下の広大な領域を覆っている。

「史上最高クラス」、「これまでに経験のない災害の恐れ」、いろいろな言葉が飛び交い、日本国中の人々の不安はいや増すようだ。
 牧守とてその一人、とりあえず雨が降り出すのと競うように第1牧区の和牛の様子を見に行けば、御所平にはそれぞれ50頭くらいの鹿の群がふたつ、計100頭ほどが逃げようか逃げまいかと逡巡しながら待っていた。そして結局は、きれいな弧を描きながら柵を飛び越えて、1頭残らず背後の広く深い落葉松林の中に消えていった。
 
 鹿を追いやるため脅しに警笛を鳴らしたから、その音につられて、今度は目当ての和牛が水でも飲んでいたのだろう渓の中からゾロゾロと現れ、やがてこっちに向かって犬ころのように走ってきた。やはり先頭は5番で、他の牛たちが車に近付くと威嚇して寄せ付けようとさせない。
 この牛は徐角されているからいいが、もしこれにそれが付いていたら、牛だけでなく人間も気を付ける必要がある。相手に悪気がないにしても、下手をするとその角で痛い目に合う。

 約4,500㍍、ゆっくりと車を走らせ、いつものように塩場まで牛の先導役を果たす。きょうは気温が低い分、彼女らの動きは活発で、車に追いつこうとするのもいる。
 しかし、やはり一番先に塩にありつくのは5番で、しかも2個ある鉢を独占しようとする。もうひとつの方に他の牛が近寄ると今度はそっちへ行って追い払う。相当性格の悪いクセのある牛だが、役には立つので大目に見ている。
 もちろん、いい気はしない。あれほど露骨ではないにしても、あの雌牛が彷彿させるような恐ろしい女性が人間界にもいた。今は愛想よく笑っているけれど。クク。

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      ’24年「秋」(20)

2024年08月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 ここを訪れる人の大半は週末で、週の半ばであるきょうは台風10号の影響もあって予約は入っていない。牛と管理人1名、それと鹿などの野生動物が雨空の下で思いおもい勝手に過ごすわけだが、今朝はもう、牛たちはどこぞかに出勤したようで、囲いの中は空っぽになっている。と思ったら、何頭かの牛が残っていた。
 この頃は群れが割れて、囲いに残留する牛がいるようになった。当番制で留守居役を仰せつかっているのかも知れない。

 昨日は午前中は雨で、キャンプ場のトイレの掃除や不調なチェーンソーの修理、研磨、小屋の掃除などをして短い半日を過ごした。午後は第1牧区に上がって、気になっていた汚れたビニールシートを雨水で洗い流せるように杭で固定し、その後はまた小入笠の頭まで電気柵の点検と、牛の確認を済ませた。
 迷ったが、まだ時間があったので登山口の伊那側にある「開道記念の碑」の周囲の草刈りと、刈り置いた草を片付け、しっかり雨に濡れた。
 
 一人でいることの自由、同じくここでの作業の内容、その計画を立てる自由、こういう環境の中にいて、それがこれほど長くなると、社会に戻るのが段々苦痛になって来そうで案じている。
 よく使う言葉「野生化」の進行で、里に暮らすようになっても周囲と上手く付き合いができるか、率直に言ってあまり自信がない。残った時間で、この偏屈はまず治らないだろう。
 敗戦を知らずにグアムやフィリピンのジャングルに暮らしたあの元兵士らは、もっと何倍も苦労しただろうが、あの人たちは幸い良き伴侶が持てた。アレ、話が逸れた。

 そのついで、続けよう。昨日、熟年離婚などということを朝の番組でチラッと見て、気分が悪くなりすぐに消した。結婚もしたことのない者や、恵まれた境遇にいる者が、分かったふうなことを言い、時流におもねる、へつらう。まぁ、それもあの人たちの仕事だと言えばそうだ。
 夫婦喧嘩を繰り返しながらも腰を曲げ、汗を流し農作業に励む老夫婦の姿、結び付きを見ている者からすれば、大人の会話に子供が口をはさむように思えたりしたものだ。Poop(雲固)。

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      ’24年「秋」(19)

2024年08月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 それほど強い風が吹いたわけでもないのに、人気のないキャンプ場にはコナシの枯れ枝が幾本も散乱して、たった二日が過ぎただけだというのにあの人たち、JALNECの祭りの名残はほぼ消えてしまっていた。それでも、管理棟の風呂、同じく電話、そして外の水回りと、彼らの残してくれた数々の好意は見えないところに残っている。
 午前7時、曇り、気温16度、半袖シャツで外へ出たら肌寒さを感じた。台風10号のことも気になる。

 台所へ行ったら、冷蔵庫へ入れておくべき食材が外に出ていた。中には生ものもあって、それらは昨日、高遠へ下った折に入手した物の一部である。
 他人の犯した過ちには寛大であろうと、少なくも努力はしても、自身の犯した過ちにそうすることは難しく、怒り、怒鳴り、そして情けなくなり消沈する。
 
 自分の食べるものは、一度だけでなく次の日も食べようと多めに作るようにしてきた。しかし、一日経つとてきめんに味が落ちてしまう。このごろは、それを止めようと考えるようになったが、疲れているときは結構きついことになる。
 また、食材の購入時にはなるべく野菜と、短気を起こさないようカルシュームの豊富なヨーグルトを買うのを忘れないようにしているが、しかし、それらがすべて体内に入るかというとそうはならず、かなりの物を罪深くも無駄にしている。
 
 毎日、自分の食べたい物を作って食べて、こうして生きている。自炊するようになってもう、何年になるのだろう。あんな物が、なんて言ってはいけないが、この身の血となり肉となるのだから不思議な気がする。牛たちはもっと不思議で、草だけ食べてあの体を維持できている。
 太陽の光と水の惑星であったお蔭でか、はたまた誰かが作ったのかは知らなが、生物は、とりわけわれわれはよくできているとつくづく思う。
 
 テレビで70歳代の人を見て「オレも他人さまが見れば、あのように老けまくっているのだろう」と、その風体と自分を重ね、自分の歳をいまさらながら意識させられる。それでも、実際はどうかは別にして、ほとんどの人が自分よりか年上に見えてしまうから、その楽観的な自分の目を笑う。
 とにかく、日常における意識だけはあまり歳を取らず、進歩とも老成とも縁がない。

 突然ながらこのPC、新しくしたら調子が悪い。車を新品に換えてこんなことになれば問題になるのに、きょうはもう、これ以上続ける気をなくした。
 相変わらず、とりとめのないことばかり勝手に呟いて、悪しからず。

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      ’24年「秋」(18)

2024年08月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   1年にこの日だけは、混雑させないキャンプ場が変わる
 
 5時少し前、激しい雨音で目が覚めた。昨夜、思いがけず天気が回復し、みんなで星空を眺めて別れたというのに、驚くやら、呆れるやら。それに、予報ではきょうは天気は良かったはずだ。

 突然飛び込んできた撮影の企画があって、「みんな」というのはその居残りメンバーたちで、中には天の川を初めて見たと歓声を上げる人もいた。最初は急なことで対応に戸惑ったが、結果は上出来、最後は気持ちよく和やかに終わることができた。
「JALNEC」の面々が帰り、そしてたった1日の縁でしかないであろう撮影隊の人々もいなくなった。それぞれがそれぞれの生活、仕事へと帰っていったのだ。幾たび繰り返してきただろうか、こういうことを。また一時の喪失と空洞。

 今回も、撮影に関しては詳しいことを呟くのは避けたい。関心のある人もいるだろうが、現在の牧場の状況を考えるとここへの誘客に、こういうことを利用することは避けたいと思っている。
 たまにどこで知ったのか、「撮影地巡り」とかいう人たちの問い合わせもあるが、気持ちは理解できるものの希望には添えないことを伝えている。それに、そういうことを抜きにしてもここには、充分に楽しんでもらえる環境、訪れた人が主役になれる「舞台」があるのだから。
 各種の撮影の受け入れは、つまるところは牧場の維持、存続のため、それがひいてはここの環境、景観を守ることにつながると考えているので、ご理解いただきたい。
 
 7時半には下から牧場担当のO君がトラックを案内してやって来ることになっている。1頭の和牛を里へ降ろさねばならないが、この雨だ、果たして現場の第1牧区までトラックを上げることができるだろうか。
 確かに幾日もかけて、砕石2立米を入れて整備をしたことはした。しかし、あのくらいの量ではとても足りない。当然ながら作業道はぬかるんでいる。
 別の日も考えて天気予報を見れば、「大雨の予想です」だと。今週は台風10号の影響もあって週末までいやな天気が続く。
 
 7時、もうトラックが来た。O君はまだだ。
 結局、途中からトラックはタイヤチェーンを履き、それで何とか上まで行き、目的を果たした。良かったが、道はまた整備し直さねば。

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