入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (75)

2020年02月29日 | 入笠牧場からの星空

    「冬の終わり」           Photo by かんと氏(タイトルも)

 きょうで2月も終わる。それでかんとさんのこのPHを使わせてもらうことにした。物置の一部が見えるように、管理小屋の前のいつもの場所からオリオン座やシリウス、プロキオンなどを入れた「冬のダイヤモンド」の一部を撮ったものだ。

   あまりうまく撮れませんでした。
   全ての写真で雲が入り、かつ、ほんの少しブレていて、合成でごまかしました。
   ブレた原因は、手ぶれ防止が働きブレたか、または三脚が氷の上で少しずつすべったか。

 以上が、写真に添えたかんとさんの伝言。肉眼では分からなくても、撮影対象になった星々がかなり西に傾いていたから、露光時間が長いとこの場所でも伊那の街の光が入っているのが分かる。最近は、松本城や善光寺まで夜間照明が施されているようだが、個人的には老婆の厚化粧のような必要のない飾りのように思える。天然の星空を真似るのはプラネタリウムに任せておけばいいのではないだろうか。
 昨夏、PV撮影に来た人たちの中で何人もが初めて天の川を見たと言い感動していて、そのことに驚いた。普段の都会暮らしでは夜空の美しさなど気付かないから、入笠牧場へ来てそれを知ったのだろう。織姫や彦星、白鳥座の名前ぐらいは耳にしたことがあるだろうが、そういう星座や星を覚える前に、それまでは関心のなかった星空の美しさや、魅力が分かってもらえて良かった。
 望遠鏡を使っての星空観察では、一番人気の高いのは土星だろうか。あの輪を誰でもが見たいと言う。月もクレイターの中の影までが見えたりすると、やはり子供も大人も感動の声を上げる。ただし、いろいろ見せて上げたいのは山々ながら、星や望遠鏡についての知識がそれほどあるわけではなく、望遠鏡に関しては取扱説明書すら読んだことがないという有様で、お寒い限り。
 若いころに北米を旅していて、ミネソタの飛行場で友人と待ち合わせたことがあった。その時の時間つぶしに空港内の書店で星の本を見付けて眺めていたら、初心者は望遠鏡よりか双眼鏡の方がいいと勧めていた。それがなぜか頭にこびりついてしまって、だから牧場で働くようになってまず双眼鏡を手に入れた。そして、望遠鏡になったわけだが、今でも双眼鏡は身内ぐらいの親しさがあっても、望遠鏡は知り合い程度でまだまだ友人の仲にはなっていない。
 極軸望遠鏡を曲軸望遠鏡とやってしまったり、赤道儀を赤道義とやってしまい、かんとさんから教育的指導を受けた。もう、ほぼ諦めているが、野鳥、草花、天体はまた今年の課題になるのだろうか。それぞれに権威ある人はいるのだが。

 以上、本日のお粗末な呟き。
 
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     「冬ごもり」 (74)

2020年02月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 安曇野の犀川白鳥湖で越冬したコハクチョウが、シベリアへ向かって4千キロに及ぶ"北帰行”を始めたという。この鳥の場合はそれほど大きな群れをつくらず、三々五々北の空へ向かって飛んでいく。先日その様子をテレビで見たが、長旅を前にしても、近くの沼へでも行くようにまるで普段と同じように飛び立っていく。中には長旅に疲れて波間に姿を消す白鳥もいるだろうし、ようやく辿り着いた陸地で力尽き果てるものだっているだろうに、生きている限りそれを習性として毎年のように繰り返す。健気と言うしか他の言葉が見付からない。
 そんな姿を見ていると、もしも極寒のシベリヤの寒さに耐えられるように進化できていたなら、こんな過酷な旅を生涯にわたって繰り返えすこともなかっただろうにと思ってしまう。
 
 夏季をモンゴルで過ごしたツルの一種アネハヅルも、やはり冬が近づくとV字の編隊を組みながら数千メートルの高空を飛び、ヒマラヤ山脈を超えてインドへ向かうという話は前から知っている。確か、ダウラギリだったか、日本の登山隊も確認し、撮影したはずだ。
 チョウの仲間のアサギマダラも秋になればあのか弱な羽の力で、2千キロにも及ぶ距離を飛んで台湾にまで達するのだと、チョウの撮影に熱心な京都のKさんから教えてもらった。なぜそれまでしてという思い、そしてその生命の力に打たれ、感心する。
 鳥もチョウも、何の不満もなく当然のこととしてその習性を受け入れているのだろうか。コハクチョウの場合は日本で留鳥になってもやっていけそうに思えるし、アネハヅルやアサギマダラはインドや台湾を生活圏にして、一所と言わずも定住できないのだろうか。そうすれば、ヒマラヤ山脈を越えるために上昇気流に乗り損なうこともないし、海上の一陣の風にも吹き飛ばされかねないような危うい長距離飛行をしないでも済むようになる。
 
 ある条件さえ整えば生命は誕生するとはいえ、時々、どうしてこんな生命までがこの惑星に生息しているのかと不思議に思うことがある。しかも、大方の生き物はわれわれの先住者であり、人間は新顔でしかない。700万年をかけて人類が現在の姿に至ったように、今も地球のどこかで進化の道をトボトボと歩いている生き物がいるのだろうか。いつかイルカが陸に上がり手と足を持ち、オランウータンがパンツをはきゴリラが化粧する日が来るとは、とても思えないが。

 以上、本日もお粗末な独り言。
 *訂正:「救う」は「掬う」の誤りでした。
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     「冬ごもり」 (73)

2020年02月27日 | 入笠牧場からの星空

      「冬の大三角」    Photo by かんと氏

 こうしてかんとさんのPHを見ると、確かに「冬の大三角」を構成するオリオン座のベテルギウスの光が弱々しく見える。ひところは超新星爆発を起こす前触れではないかと言う人がいたり、すでにそれが起きている可能性さえ語る人もいた。最近では、表面温度が低くなった結果であるとか、塵が放出されて光が遮られているからといった見方の方がより有力になっているらしいが、ここでこれ以上の知ったかぶりは止めておいた方が無難だと思う。かに星雲のように実際に超新星爆発(1024年)が起きれば、昼間でも見える明るい星がひとしきり出現し、やがては輝きを失い、そうなれば冬の大三角の一画を構成できなくなる心配だってある。(2月26日記)
 *きょう(2月27日)の報道では、ベテルギウスはその光の明るさをかなり回復しつつあるとか。いつまでかは分からないが、冬の大三角はまだまだ輝き続けるだろう。
 
 昨夜、あれ以上星に関連した独り言を続けることに窮して、天竜川の土手に行ってみた。北に向かって歩き出すと北斗七星がすぐ目に入ってくる。先週の金曜日、入笠でかんとさんと一緒に眺めた時よりかやはり大きく、堂々として見えて、あの大きな柄杓でもしも頭上の闇を掬うことができれば夜空は明けてしまうだろうと、ついそんな他愛のないことを考えたほどだった。折しも東の空に昇り始めたわが牛飼座のアルクトゥールスも、赤味を帯びた光の点が以前よりかよく見えるようになっていた。

 30代のころに、あるきっかけで宇宙のことに関心を持ち、ブルーバックスを始めあれこれの本を読んだ。映画「2001年宇宙の旅」を見て、それまでは読まなかったSFも、クラークの本はかなり読んだ。「コスモス」がTVで放映され、番組の原作者になるセーガンの本は読んだと言うよりか、英和にわたり集めた。それがホーキングあたりからついていけなくなり、複数の宇宙の存在が論じられるにいたっては理解、想像力が及ばなくなって万歳した。
 牧場で働くようになってから、そこから眺める星空に感動して無理をして双眼鏡や望遠鏡を買い、別に1台は寄贈してもらい、それらは今も入笠牧場に置いてある。たまに開く観望会にも役立つようになり、遅ればせながら関心のなかった星座も少しは覚えようとしてみたが、野鳥、草花と同じように門前の小僧にはなれそうもない。諦めている。
 
 昨夜の帰りはまたいつものように多数の星々を眺めながら、その中でも特にオリオン座、おうし座のアルデバラン、さらに西に仄かな光の粒々、散開星団プレアデス(「昴」、M45) などなどにまつわる軽いこと、重いこと、いろいろな記憶を甦らせ、考えさせられながら帰ってきた。
 
 以上本日もお粗末な独り言。
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     「冬ごもり」 (72)

2020年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 二月如月は足早に過ぎ去ろうとしているこの時季、風は強いが日射しは明るく、部屋の中から外を見ていれば春の到来を感ずる。家の4本の梅の木はまだ蕾のままだと思っていたら、昨夜近くの友人宅の庭で咲いたばかりの梅の花を目にした。例年よりか早い気がするが、そのことを言ってみても普段ここにいない家主は知らない。
 温暖化のせいで、2月はまだ冬の中という認識が少しづつ狂ってきて、冬と春、どちらの季節に気持を合わせたら良いのか、季節もこの頃になると迷う。3ヶ月の冬ごもりもが過ぎ、「もう」かと思えば、「まだ」かとも思う。前者の気持ちはいつもながら無為に過ぎた時への感慨であり、後者は新たな季節への期待のようなものだろうか。これも今はどちらとも言えずに揺れる。ただし季節は巡ってきても、過ぎ去った時間は戻らないから、あとどのくら残りの回数や時間があるかも、最近では自然と意識するようになってきた。特に、今のような季節の変わり目には。

 今年になって、入笠へは幾度行ったのだろう。その度に雪のことを気にしたが、今冬は車が使えて、一度も歩いて行くことがなかった。このまま冬が終わってしまえば、13年にして初めて、今まで冬の行事として続けてきたことが途切れてしまう。
 そういえば、昨冬も林道を山スキーで行った記憶はあるが、果たして法華道を歩いたことがあったのかどうか思い返しても記憶はあやふやだ。いや待て、いつもなら見回りを兼ねて御所平から牧場内を通過するのに、そのまま進んで本家・御所平峠を通ったのは昨冬のことだったような気がする。そして、その方が楽だと知ったのもその時のことだったはずだと。
 ところで昨冬、そしてこの冬で思ったことは、もう、冬の営業など止めにしようということであった。冬の古道・法華道を歩く魅力や良さをこれまでせっせと伝え、勧めてきたつもりだったが、ついに徒労の極みだと感じた。今後は不特定多数の登山者ではなくて、友人や馴染の人を対象にして、しかもこちらの都合を優先して、それでやっていくことにしたい。

 かんとさん、先日のPH早速にありがとうございました。あのPHに相応しい呟きができるか、難しいですよね。努力します。
 以上本日もお粗末な独り言。

 





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     「冬ごもり」 (71)

2020年02月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日久しぶりに上に行き、1泊して帰ってきた。雪道に不慣れなかんとさんは道中大分緊張したようだったが、2台の車は何事もなく昼少しすぎに小屋へ着くことができた。予想はしていたものの、あまりの雪の少なさに驚くばかりだった。かんとさんが撮影の準備をしている間に、第2から第1牧区まで歩いて登って、その時に写したのがきょうの写真で、ご覧のようなありさま。
 第1、第3、第4の各牧区は、冬の間に斜面に積もった雪で電気牧柵の支柱が折れないようにかなりの本数を抜き、その穴に木の杭を埋めるという手間のかかる作業をしておいたが、どうやら無駄な苦労になったようだった。仕事が始まれば、まず電気牧柵の立ち上げをすることになるが、その距離は4キロとか5キロに及ぶ。こんなふうに牧場の風景には、根気の要る作業が決まって重なるが、それをさほど苦にしているわけではない。むしろ、鳥の声などを聞きながら、初夏の日を浴びて一人で黙々とこなす日の来ることを待ち遠しくさえ思う。
 夜はオリオンも北斗七星も見えたが薄い雲が出て、入笠牧場のもっと素晴らしい星夜を知る者には不満が残った。今回もかんとさんは望遠鏡を使わずに、長時間露光にしてカメラだけでオリオン座を狙ったようだった。

 今朝起きた時部屋の中に射し込む光には春を思わせるような新鮮で明るい光だった。ところが外に出てみたら南の空には灰色の雲があって、そのうちに雪が舞い、ついには吹雪いてきた。11時ごろには小屋の前を通るはずの3名が姿を見せず、朝方の強風のせいでゴンドラが運休した可能性もあり、昼まで待ってみたが諦めて来る時と同じようにかんと車を先導して山を下りた。
 忘れ物をしないように気を付けたつもりだったのに、F破氏が越年で来て撮った写真と英文原稿をかんとさんに頼んでUSBと取り込んでもらっておきながら、置いてきてしまった。携帯と財布の傍に用意しておきながら、何ということか。昨日の朝はちゃんと食事をしたが、それ以外はまたしても食べずに、加えて二日続きの寝不足が祟ったということがあったかも知れない。こういう失敗を年齢のせいにはしないつもりでいても、やはり、ということか。
 以上お粗末な独り言。
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