およそ一畳台と同じほどまで正ヘ出たシテは、作物に向いて下から上まで見上げて、それから台に乗ります。
着座しながら枕を見て
シテ「さてはこれなるが聞き及びにし邯鄲の枕なるかや(と謡い)、これは身を知る門出の(と正を見)。世の試みに夢の告げ。天の与ふる事なるべし(と枕を見)。
シテ「一村雨の雨やどり(と正を見)。
地「一村雨の雨やどり。日はまだ残る中宿に(と右の方を見)。仮寝の夢を見るやと(と枕を見)邯鄲の枕に臥しにけり邯鄲の枕に臥しにけり(と伏す)
いよいよシテが夢の中に入っていくシーンですね。シテは安座をするように左の腰を一畳台の床に下ろし、左手、右手の順に袖をかかえるようにして左を下にして横になり、唐団扇で顔を隠すようにします。シテが横になるのは本当に珍しい型ですね。『邯鄲』に固有の型のようにも思えますが、じつは観世流以外の他流では『大江山』に例があります。ぬえは実見しましたが、演者の工夫かもしれませんが。。
そういえば『邯鄲』の作品研究の中で、この場面について古文書にシテが目をふさぐ指示があることから、古くは直面で勤めることがあったのではないか? という指摘がされていたように思います。が、ぬえの師家の形付けにもここで「目はふさぐこと」と注記がありました。
面の中での演技なのでお客さまにはわからない事なのですが、形付けというものは、その場面を演じる演者の心得を喚起するための、こういう注記はしばしばあるものなのです。このへん、一般に流布する仕舞の形付けとは大きく違うところです。「ちょっと小首をかしげて考える心」とか、実演上は無理だったり、実際にやってしまっては滑稽な注記も往々にしてあります。
『邯鄲』のこの場面も、「目をふさぐ」という注記は、これが型としてどうお客さまにアピールするか、という事よりも、「本当に眠ってしまうつもりで演じろ」という意味に解するべきでしょう。実際のところ、時間のうえでは横になるや否やワキが扇で台を2回打ってシテを起こすので、目をふさいでじっくりと眠る演技をする暇はありませんので、稽古段階では ぬえはまだ目をふさぐところまで行っていません。。
ワキは輿舁二人を伴って、地謡の「一村雨の雨宿り」の返シから幕より登場し、輿舁は後方に控え、ワキは地謡「邯鄲の枕に臥しにけり」いっぱいに台の前に着座して扇で台の縁を2つ打ちます。
シテは、ここはガバッと起きあがって安座し、その間にワキは下がって下居、両手をついて謡います。
ワキ「いかに廬生に申すべき事の候。
シテ「そもいかなる者ぞ。(とワキへ少し向き)
ワキ「楚国の帝の御位を。廬生に譲り申さんとの。勅使これまで参りたり。(と直し)
シテ「思ひよらずや王位には。そも何故にそなはるべき。(と再びワキの方へ少し向き)
ワキ「是非をばいかで量るべき。御身代をもち給ふべき。其瑞相こそましますらめ。はやはや輿に召さるべし。(と直し)
シテ「こはそも何と夕露の。(とワキヘ向き)光り輝く玉の輿(と輿舁の方を見)。乗りも習はぬ身の行方。
ワキ「かゝるべきとは思はずして。
シテ「天にも上がる。(と直しながら思わず数珠を捨て)
ワキ「心地して。
ワキに誘われて、訳も分からぬまま輿に乗る廬生。
地謡「玉の御輿にのりの道。
ここでシテは舞台中央に行き、これを見て輿舁二人は輿を持ってシテの後ろにつきます。
地謡「玉の御輿にのりの道。栄花の花も一時の。夢とは白雲の上人となるぞ不思議なる。
この地謡の間にシテはほんの3足正ヘ出、少し下がりながら下居ます。シテが下居ると輿舁はすぐに立ち去り、舞台の後ろ、鏡板に輿を立てかけて切戸口から退場します。
結局、輿舁がシテの上に天子の天蓋を差し翳している時間は20秒くらいではないかと思いますが、これにてシテは(夢の中で)皇帝へと変貌することになります。
着座しながら枕を見て
シテ「さてはこれなるが聞き及びにし邯鄲の枕なるかや(と謡い)、これは身を知る門出の(と正を見)。世の試みに夢の告げ。天の与ふる事なるべし(と枕を見)。
シテ「一村雨の雨やどり(と正を見)。
地「一村雨の雨やどり。日はまだ残る中宿に(と右の方を見)。仮寝の夢を見るやと(と枕を見)邯鄲の枕に臥しにけり邯鄲の枕に臥しにけり(と伏す)
いよいよシテが夢の中に入っていくシーンですね。シテは安座をするように左の腰を一畳台の床に下ろし、左手、右手の順に袖をかかえるようにして左を下にして横になり、唐団扇で顔を隠すようにします。シテが横になるのは本当に珍しい型ですね。『邯鄲』に固有の型のようにも思えますが、じつは観世流以外の他流では『大江山』に例があります。ぬえは実見しましたが、演者の工夫かもしれませんが。。
そういえば『邯鄲』の作品研究の中で、この場面について古文書にシテが目をふさぐ指示があることから、古くは直面で勤めることがあったのではないか? という指摘がされていたように思います。が、ぬえの師家の形付けにもここで「目はふさぐこと」と注記がありました。
面の中での演技なのでお客さまにはわからない事なのですが、形付けというものは、その場面を演じる演者の心得を喚起するための、こういう注記はしばしばあるものなのです。このへん、一般に流布する仕舞の形付けとは大きく違うところです。「ちょっと小首をかしげて考える心」とか、実演上は無理だったり、実際にやってしまっては滑稽な注記も往々にしてあります。
『邯鄲』のこの場面も、「目をふさぐ」という注記は、これが型としてどうお客さまにアピールするか、という事よりも、「本当に眠ってしまうつもりで演じろ」という意味に解するべきでしょう。実際のところ、時間のうえでは横になるや否やワキが扇で台を2回打ってシテを起こすので、目をふさいでじっくりと眠る演技をする暇はありませんので、稽古段階では ぬえはまだ目をふさぐところまで行っていません。。
ワキは輿舁二人を伴って、地謡の「一村雨の雨宿り」の返シから幕より登場し、輿舁は後方に控え、ワキは地謡「邯鄲の枕に臥しにけり」いっぱいに台の前に着座して扇で台の縁を2つ打ちます。
シテは、ここはガバッと起きあがって安座し、その間にワキは下がって下居、両手をついて謡います。
ワキ「いかに廬生に申すべき事の候。
シテ「そもいかなる者ぞ。(とワキへ少し向き)
ワキ「楚国の帝の御位を。廬生に譲り申さんとの。勅使これまで参りたり。(と直し)
シテ「思ひよらずや王位には。そも何故にそなはるべき。(と再びワキの方へ少し向き)
ワキ「是非をばいかで量るべき。御身代をもち給ふべき。其瑞相こそましますらめ。はやはや輿に召さるべし。(と直し)
シテ「こはそも何と夕露の。(とワキヘ向き)光り輝く玉の輿(と輿舁の方を見)。乗りも習はぬ身の行方。
ワキ「かゝるべきとは思はずして。
シテ「天にも上がる。(と直しながら思わず数珠を捨て)
ワキ「心地して。
ワキに誘われて、訳も分からぬまま輿に乗る廬生。
地謡「玉の御輿にのりの道。
ここでシテは舞台中央に行き、これを見て輿舁二人は輿を持ってシテの後ろにつきます。
地謡「玉の御輿にのりの道。栄花の花も一時の。夢とは白雲の上人となるぞ不思議なる。
この地謡の間にシテはほんの3足正ヘ出、少し下がりながら下居ます。シテが下居ると輿舁はすぐに立ち去り、舞台の後ろ、鏡板に輿を立てかけて切戸口から退場します。
結局、輿舁がシテの上に天子の天蓋を差し翳している時間は20秒くらいではないかと思いますが、これにてシテは(夢の中で)皇帝へと変貌することになります。