goo blog サービス終了のお知らせ 

ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その9)

2013-11-15 01:42:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
こうして日暮れが迫り、雲も切れ間が多く、なんだか幻想的な雰囲気に。

陸前高田の「奇跡の一本松」は、ご存じの通り震災前には2kmに渡って7万本のクロマツが生えていた「高田松原」の中にあります。震災に遭いながら、その中で倒壊を免れた たった1本の松。それは、その松よりも海側に建っていたユースホステルが防波堤となって、その背後にあった松を守ったのでした。もともと一本松は高田松原の中では海から見ると最も奥まったところにありまして、その位置関係とユースホステルの存在が、まさに「奇跡」を呼んだのでしょう。

もとよりここには一本の松がひっそりと立っていたわけではなく、ユースホステルも松林の中に建っている、という様子だったようです。だからユースホステルが津波を遮ったと言っても、周囲には何百本の松は立っていたわけで、その中で倒壊しなかった一本の松は、まさに奇跡としか言いようがありません。

しかしながら、一本松は倒壊は免れたけれども、潮はかぶってしまったわけで。。こうして震災から1年を経た昨年5月に、とうとう枯死が確認されました。一方、震災直後からこの一本松を保存する「奇跡の一本松保存プロジェクト」が発足し、延命のための処置が施されていましたが、枯死の事実を受けて一本松の再現が試みられることになりました。昨年9月から一本松の伐採が始まり、幹は中をくりぬいて防腐処置が施され、上部の枝や葉はレプリカを作って。。こうして再現工事が完了したのは今年の6月です。

詳しくは→l陸前高田市HP

約2年ぶりに当地を訪れた ぬえとしては、生きている頃の一本松と、それから再現された松と、その両方の完全な姿を、間の伐採された姿は知らずに見ることになりました。

そうして二度目に見た一本松の印象は、まったく生前の姿と変わらなかったです。いや実際のところ、正直に言わせて頂ければ、もっとニセモノっぽいものになっているのかと思っていました。ここまで生き生きと再現できるとは。。やはりこの一本松を残したい、という市民の、それだけでなく全国の人々の熱い思いが結集した形だと思います。その意味で、この松には能舞台の陽向の松のように、人々の思いによって神が宿りましたね。

なお松の向こう側には破壊されたユースホステルがそのまま残されています。陸前高田市では一本松と一緒ににこのユースホステルも保存する意向とのこと。ユースホステルには人的被害はなかったようですし、震災遺構の消滅が進むいま、破壊と再生の両方が見えるこの場所の保存は何としても実現してほしい、と ぬえは願っております。

さて、そんな一本松の前での奉納ですが、日暮れの頃に行われました。気仙沼の「ともしびプロジェクト」さんの協力を頂いたというキャンドルを並べて舞台の形に区切って。下は砂利でしたけれども、もう ぬえは砂利の上での上演は慣れてしまっていて、あまり問題はありませんでした。砂利の上でハコビが出来るようになるとは、2年前には考えもつかなかった。

。。そう言えば ぬえの師匠も以前こんなことを言っておられました。「若い頃、海外公演で美術学校でワークショップをやる事になって。。カチカチに固まった油絵の具がびっしり こびりついた画板をつなぎ合わせた”舞台”で舞わされて。。あれから どこででも舞えるようになったな」。。で、これと全く同じ状況で師匠が舞う場面を、ぬえはミラノで拝見した事があります。軽々と、不安もなさげに舞われる師匠を見たその時の衝撃と言ったら。。 まさか ぬえも同じような経験をするとは思いませんでしたが、ぬえにとっては東北での活動が、舞台人としての経験値を増す絶好の機会に、知らず知らずなっていた、ということですかね。。

「ともしびプロジェクト」さんが並べてくださったキャンドルは そよ風に揺らめいて。。視界が限られているとはいえ ぬえの目からもその美しさは心に響きます。この日上演したのは『羽衣』。太鼓のSさんもこの日のために駆けつけてくださいました。







ぬえの目からは、正面の目安としていた山が。。日暮れとともに見えなくなり、それじゃ、と次に目標にした被災ビルも、これも見えなくなって。。最後は狭い視野の中でキャンドルの灯りを頼りに舞うことになりました。。と、工事現場の方も協力頂いて、投光器を運び込んでくださり。これは終演後、撤収まで照らして頂きました。もとより野天での着替えも致し方ない状況で、これは本当にありがたかったです。

そうして、前述のようにこの日は朝日新聞の記者さんが同行してくださっていました。終演後、一ノ関駅までこの記者さんと太鼓のSさんをお届けしたのですが、駅前に停めた車の中で ちょっとしたインタビューをされまして。そのあと ぬえらは車で東京に帰ったのですが、翌日(10月22日)の朝日新聞夕刊に写真入りで報道されたほか、後日「朝日新聞デジタル」に、このインタビューも含めた動画が、上手に編集されてアップされました。



この動画が、あまりに美しくて ぬえはビックリ。ぬえの視界からは限られた様子しか見通せませんでしたが、まさかこんなに美しい舞台になっているとは。。

。。こうして今回の活動は、あまりに美しい動画という果実を得ることができました。2日間という短い時間に、たった2回の公演ではありましたが、東松島も陸前高田も、どちらも満足のいく活動になったと思います。

l朝日新聞デジタル「奇跡の一本松で能奉納 復興支援NPO、文化庁に提案」

。。これでいつもなら「ミッション・コンプリート」のはずなのですが。。
この数日後に、ぬえらは再び陸前高田での活動を行いました。間にいっぺん東京に帰っているので、ふたつの活動は別にカウントした方が良いかもしれませんが、後者の活動がやはり陸前高田市でのものだったし、それも たった1回だけの活動でしたので、引き続き第17次支援活動の一環として、次回にご報告させて頂きたいと考えております。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする