ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その7)

2013-11-08 20:29:32 | 能楽の心と癒しプロジェクト
急いでいる、という割にはあちこち定点観測とご挨拶をしながら、ようやく陸前高田へ。JIN'S PROJECTの仁さんは ただいま市役所で打合せ中というので、早速にそこへ。

陸前高田市役所は小山の上に建つプレハブの仮庁舎でした。もとはもっと海に近い低地にあったものが。。街並みとともに津波によって破壊されてしまい、いまは現在の場所に仮住まいをしているのです。



。。考えてみれば、ぬえたちが初めて陸前高田を訪れたのは、震災の年の年末。。12月27日のことでした。そして、それも視察をしただけで、ここに一人の知人もいない ぬえたちにとってはその後も活動を行う足がかりはなく、陸前高田を訪れたのは、なんとそれ以来約1年10ヶ月ぶりのことでした。気仙沼からはたった30分の距離ですのに。。

しかし、約2年ぶりだというのに、高田の印象はあまり変わりませんでした。というのも、2年前から高田は見渡す限りの平原、という有様だったのです。こちらがその時の画像。



当時、瓦礫というものはほとんど高田では見かけませんでした。。これは後日気仙沼の人に聞いたのですが、このあたりは木造の家が多かったのだそうで、重機で取り壊すしかない鉄筋造りの建物が少なかったため瓦礫の撤去も早いうちに行われたのだそうです。そのため2年前から高田はどこまでも続く平原に、ぬえの目には映りました。いまはあちこちで かさ上げのための工事が行われていて、さながら街中が工事現場のよう。

こちらは2年前の「一本松」で、まだ枯れる前で、「希望の一本松」という呼び方がされていたように思います。保護のためか幹の下の方が緑色に塗られていて、周囲には少数でしたが建物の残骸も残っていました(現在でもこの近くに「道の駅 高田松原」が被災した状態のまま残されていて、やはり震災遺構として保存するかどうか検討されているほか、敷地内に慰霊碑を含む小さな追悼施設が建てられました)。







さて仁さんと合流してから向かった「奇跡の一本松」。いつの間にか呼称も「奇跡」で統一されたようですが、それより驚いたのは、2年前には大きな土盛りがあって、それをぐるっと迂回しないと見えなかった「一本松」が、市内のどこからでも眺められるほど、松の周囲が整理されてしまったこと。そのうえなにやら巨大な建造物が、気仙川をまたいで建てられていました。橋? 鉄道のための陸橋? それにしちゃ壮大すぎるかも。だいたい、わざわざこんな大きな橋を通す必要がいまあるのだろうか。。?

どうやら正解は一帯のかさ上げをするため付近の山を削って、その土砂を運ぶ巨大なベルトコンベアを作っているんですって(!)。。これはプロジェクトの事情通、笛のTさんがすでに情報を取得済みだったのですが、なんでも後ろの山を削って、そこは高台の宅地とし、土砂は平地部分のかさ上げに使うのだそうです。そうしてそのその土砂を運ぶのにダンプを使う代わりに考え出されたのがベルトコンベア。土砂を山からダンプで平地に運ぶには間に気仙川があって交通の妨げにもなり、交通事故の恐れも高まる。それを回避する作戦ですが、どうやらこれほど大がかりな装置を建設しても、ダンプより経費のうえでは有利、ということもあるらしいです。

この事情がわからず、巨大建造物の画像は撮っていないのですが、周囲の工事現場の様子から察してくだされ。この状態の中で装束を車から降ろして上演準備をするのはかなりの慎重さと覚悟が同時に必要。。





かさ上げ工事 ダンプ200万台分の土を運ぶ計画 - UR都市機構