食道楽は国境をこえて。

フランス・パリでの生活
おいしいものと、楽しいことに囲まれて…

Tremblement de Terre 地震

2011年03月20日 | ごあいさつ
今回、初めて日本の災害を海外からみた。

1度だけ、ここに書いておこうと思う。



毎朝6:00(日本は14:00)、起きてネットのニュースなんかを見てから支度をして仕事に行く私。

8:00から仕事開始で、30分も経たないうちに、

『どうらく人よ、日本で大地震だって』

というシェフ。

今度はどんな冗談??

なんて、笑おうとしたら、お菓子を作るアトリエには、有線が流れていて、日本の地震速報が流れて来た。

“トウキョウ”、“カマクラ”と、流れてくる地域名。

“マグニチュード8以上”

なんて言ってるから、関東大震災がとうとう起ったんだと思った。

今思えば、フランス人が分かる場所だけ、言ってたのか。



10年住んでいた東京。

ビルの高い所で仕事をしている元上司、友人達の顔が最初に浮かび、我が家も、関東のどこで起きたのか、場所によっては影響あるよなぁ…。

なんて思いながら、お昼休みに自宅へ帰り(12:00過ぎ・日本は20:00)、スーさんのMacを開きながら、実家に電話すると、

つながらない。

何度試しても、

つながらない。



そのうち、ネットがつながって、ヤフーのトップ画面を見てみたら、

震源地、宮城沖、M8.8…。

そして、津波…。

私の実家は福島。

妹は、自宅から海まで歩いて30分とか言ってなかった?

あれ? それは引越し前??

と、若干パニックになった私。



気持ちを取り直して、最初に安否の気になった東京の元上司に電話をかけると、つながった。

『フランスから掛けてるのぉ!?』

なんて言いながら、ご自身が分かる限りの情報を話して下さって。

もちろん、ご本人も無事で。

一安心、と、思いつつ、再度実家に掛けてもつながらない電話。

流れて来る映像は、ひどいものばかりで…。



そしたら、実家から、電話がかかって来た。

家族全員、無事との事。

安否が分からないのは、母方の祖母の家だけ。

私が、祖母の安否を確認出来たのは2日後だった。

断続的につながらなくなる電話。

それでなくても、時差があったりで、なかなか連絡が取れないのに。



休憩が終わってお店に戻った頃には、お客さんの中にも日本の地震の事を知っている方達が。

常連さん達はもちろん、馴染みのない方にも、お見舞いの言葉をかけて頂いた。

かと思えば、毎日来て下さっていたのに、週をまたいだ水曜日、私が他のお客さんに家族の無事を伝えていると、

『よかったね!!

本当は、毎日聞きたかったんだけど、連絡取れてなかったり、もしもの事があったら、なんて思ったら聞けなくて…』

と、おっしゃってくださる方まで…。



サルコジ大統領は、地震後、1時間も経たないうちに支援表明を出してくれて。

日本に住んでいたスーさんの元には、月曜日に、在日フランス大使館から、各県でのフランス人の被害状況が送られて来た。

土日返上で、所在確認をされていたみたい。

スーさんの友人達も、みんな無事。

現在、フランス政府は、日本に住んでいるフランス人全て(西側に住んでいらっしゃる方は分からないのですが…)に、日本国外退避を促しているそう。

費用はフランス政府持ち。

ご本人と、その家族分も。

私達の友人も、フランスに帰って来たり、韓国やら近隣諸国に行ったり。




災害から数日後、被災状況だけじゃなく、

“日本人は秩序を乱さない”

“被災下でも暴動とは無縁”

という、日本人のマナーが取り上げられたり。

一方で、原子力発電所を多数持つフランスでは、

“日本の技術力を持ってすら…”とかで、原発の反対運動が起きたり…。




友人のフランス人のお医者様や、お店のお客様のお医者様や、スーさんが健康診断に行った所のお医者様まで、

『日本で、薬が必要ならいつでも言って。

どんな事をしても都合つけるから』

と、言ってくださったり。

“自分が出来る事を”考えてくださっている方が多くて。



“La croix rouge-ラ・クロワ・ルージュ”、赤十字のフランス語。

今回、初めて知った言葉。

私も行って来た。




普段通りのブログを再開するのは、もう少しだけ、待ってください。

もう少し、落ち着いたら、再開します。

ご報告

2011年03月20日 | ごあいさつ
少し長い間、ブログの更新が出来ませんでした。

無事に、壊れたPCは復活しました。



その間に、たくさんの事が起こりました。

東北地方から関東までを襲った地震。

津波、原発の問題…。



ブログ上で、私の出身地が東北だと書いていた事を覚えていて下さって、ご心配のメッセージを送って下さった皆様、

本当にありがとうございました。

私の家族、親戚一同の無事が確認されました。

たくさんの方が亡くなり、

いまだ、多くの方の安否が分からない状況ですが、

それでも、ほっとしてしまった自分がいました。



東北にお住まいとの事で、ご自身の状況を教えて下さった皆さん、

とてもうれしかったです。

私が見る事の出来るネットやテレビ等の情報は、一番悲惨な地域のもので。

その映像に、家族の状況を重ねてしまい…。

“東北でも、大丈夫な地域はある” とのお言葉、

何も出来ない自分を慰める事が出来ました。



自分の楽しみで始めたブログでした。

知らない方達とコミュニケーションがとれ、情報が交換出来て。

はじめて良かったな、と思っていました。

こんなに、助けて頂けるなんて、思ってもいませんでした。



まだまだ、たくさんの方達が大変な状況です。

地震が収まっても、生きていても、

その先の生活が出来るのか。

家に戻れない妹夫婦。

父、弟、義弟が無期限の自宅待機です。

60歳を超えた母が、唯一、仕事に行っています。

“私は大丈夫だし”

介護職の母は、仕事を続けています。

『車のガソリンが無くなったら、自転車通勤だわ』

最後に連絡を取った時に、母は言っていました。

『何か送った方がいい?』

と聞いた私に、

『郵便局の人も大変だし、ガソリンも無駄にさせたくないし』

と、返す母。

『スーさんは、日本に帰っても、って言ってるけど』

と言った私に、

『フランスの方が安全だから』

って。



本当に、何も出来ない無力さだけが残ります。

でも、みんな、生きていてくれた。

それだけが救いです。