食道楽は国境をこえて。

フランス・パリでの生活
おいしいものと、楽しいことに囲まれて…

FOUR SEASONS HOTEL George V フォーシーズン・ホテル・ジョルジュ・サンク

2012年05月09日 | おいしい歴史


FOUR SEASONS HOTEL George V フォーシーズン・ホテル・ジョルジュ・サンクさん




で、





アフラヌーンティー




お目当ては、モチロン、



コレー

女性なら、この銀器に憧れる方も多いのでは?




アフタヌーンティーは、イギリスのベッドフォード州で、ヴィクトリア女王の時代に生まれたもの。

その当時、イギリスの貴族社会では、1日2食、朝と夜にしっかりお食事。

お昼は軽~くしか食べない習慣が。

3時のお茶の時間、なんて、無かったから。

晩ご飯、つまり、イギリスでは、21時とか22時まで、空腹を我慢しなくちゃいけなかった



労働階級と違い、上流階級のご婦人達は、仕事なんてしないし、それでいいんじゃない?

みたいな?



この頃のイギリスのご婦人達は、

朝、子供やご主人を学校や仕事に送り出し、

一息ついて、お昼。

午後は、ご近所のご婦人達とのおしゃべりタイム。

そして夕方、コンサートや観劇、そしてオペラ鑑賞。

その後、晩ご飯、と。



そんな生活を繰り返していたベッドフォード公爵夫人、アンナ・マリアさんが、

『あー、もう

お腹が空いて、やってられないわー

と、(言ったかどうかは分からないが)、おしゃベリタイムを欠席



そして、

『お上品に盛り付ければ、おしゃべりタイム中に、何か食べても、お下品にはならないんじゃな~い?』

なんて、考えちゃって?



で、豪華な“ティー・セレモニー”を考案



なんていうのもね。

当時のイギリスは、厳格な作法&道徳観なんてモノが上流階級に根付いていて。

未婚の男女が1対1で会う事もNGで

人前で

『お腹空いた~』

なんて言ったら、品位を疑われ…



まぁ、そんな事言いながら、

フランス出張した殿方は、そっちでハメをはずしたり、なんて事もよくあったらしいから。

その辺は、いつの時代も、どこに行っても、同じなのかもね



そんなワケで、

他のご婦人方と一緒に、品位を保ちつつ、堂々とおやつが食べられるようにと、出来たティー・セレモニーは、ヴィクトリア女王の耳にも入り。

イギリス全土に広がって。



アンナ・マリアさんの洗練された“おもてなし力”が、そのまま、ティー・セレモニー = アフタヌーン・ティーの作法になったそうな



さて、

ジョルジュ・サンクさんのアフタヌーンティーは、


一番下に、



塩モノ



真ん中に、



ケーキ類


そして、

一番上に、



あったかスコーン達



スーさんと2人で、あっという間に完食



イヤ、予想以上においしかった



が、しかし。

2人で半分こ…、

じゃ、

お腹が満たされない



そして、

私の視界に、ずっと入っていた、



デザートワゴン




私のタルトと、




スーさんのカップケーキ



お互い、おいしかったんだけど

お互いのケーキを味見したら、

2人とも、

『そっちの方が、おいしい』

って



私、

この、





ラグジュアリーな雰囲気でカップケーキなんて…、

って思っていたけれど。

コレ、おいしかった




あ、

ケーキを取り分けている間に、




『これ、どうぞ

って、サービスのお姉さんが

こういう心配りって、良いなぁ




ケーキを食べ終わって。



『でもね~

と、スーさん。







『ここのスペシャリテ(得意なもの)は、アシェット・デセール(皿盛りデザート)なんだよ







なんで早く言わないの~



『イヤ、最初に言ってたし




ワゴンデザートっていうのは、ケーキ屋さんにあるみたいな、単品ケーキ。

アシェット・デザートっていうのは、レストランで食べるような、お持ち帰り出来ないデザートの事。




そんなワケで、



1つ頼んでみた



スーさんは、

『もう、お腹いっぱい

って事で、ナシ。



これね、

器の下の部分、真っ白でしょ?



最初は、コーヒー豆と、氷砂糖みたいなのが入っていて。

そこに、お湯を入れて。

氷砂糖みたいなものは、実は、ドライアイスで

食べている間、器から、ケムリがモクモク~

モチロン、とってもおいしい1品だったんだけど。

演出が、

“さすが、ジョルジュサンク~”

と、もう、感激&感動



と、いうことで、皆さんにおススメ

ワゴンデザートにも、心惹かれるでしょうが…、

アシェットデザートに、試す価値アリ

Chandeleur シャンドルール

2012年02月02日 | おいしい歴史
さて、今日は“Chandeleur シャンドルール”の日。

皆さん、クレープの準備は出来ているかな? 





なんでって?

今日は、クリスマスから数えて40日目。

“Chandeleur シャンドルール”の日



去年、シャンドルールが何かは、もう書いたので(←ここを見てね

今年は、



ゆっくり、クレープを食べようじゃないか



え?

去年の写真よりもクレープがふっくらしてる??



そう

今年は、当店、マロンクリームと、シャンティークリーム入り



そんなワケで。

今日も、楽しく、シアワセに、肥えていく私



『ダイエット、する気無いんじゃないの~?』

とか、言わないで…



あ、関係ないんだけど、



今シーズン、初の0℃

パリにもやっと、冬が来た。

で、そんな日には、雨が降らないから、雪が降らない(なんのこっちゃ

今まで、毎日雨が降ってたのに。

今日降ってたら、雪になったのになぁ。。

やっと、膝丈コート、出動

Pannettone パネトーネ

2011年12月21日 | おいしい歴史
今日は、



Pannettone パネトーネのお話



パネトーネは、イタリアのクリスマス用菓子パン。

クリスマスに、パネトーネをカップルで食べると、愛が実る

なんて言われている。



時を遡る事14世紀後半から15世紀の初め。

イタリアのミラノで、パン職人の見習いとして働いていたウゲットさん。

彼は、領主に、自分の焼いたパンを献上し、領主に気に入ってもらえたら、

オーナーの一人娘との結婚を許して欲しいとお願いして。

見事、望みを叶えた と、いうお話。



このパンのレシピは、オーナーの物だったから。

“パーネ・デ・トーニ トニー(オーナーの名前)のパン”という名前がついて。



パネトーネは、最初の写真にあるような“鐘”の形をした、中が黄色みを帯びたパン。

形、大きさ、色合いが、当時、経済成長上昇ムードのミラノで好評で。

ミラノ中に広まった。


っていうのは、もう皆さんご存知なお話?

有名だからね



で、このパネトーネ。

実は、年月とともに、少しずつ、平らなパンに姿を変えてしまって



20世紀の初め、ヨーロッパの産業革命が始まると、パネトーネも、工場生産されるようになった。

その時に、昔ながらの“鐘型”のパネトーネを再現したのが“アンジェロ・モラッタ”。

その時から、イタリア全土、そして、ヨーロッパにファンを広げていったパネトーネ。


この、ゴージャスな味わい

好きにならない理由は無いね



あ、中を切ってみると、



私が買ったのは、500gサイズ。

スーさんと2人で、朝食1回で食べきっちゃった

この生地がね、美味し過ぎて、クセになる






私達が食べたのは、左の小さい方。

右の大きい方は、あまりにも美味しかったので、私の実家に送る予定



ちなみに、ドライフルーツが入っていない、プレーンなパネトーネは、“Pandoro パンドーロ”。

こっちも、時間と胃袋にゆとりがあれば、ぜひ食べてみたい

Raoul Maeder ラウル・マデール

2011年12月20日 | おいしい歴史


先日、シュトーレンを買いに行ったのに、売っていなかったラウル・マデールさんに再訪



そして購入



Stollenーシュトーレン(奥)と、Beraweckaーベラウェッカ(手前)

シュトーレンは、もとはドイツの菓子パン。

毎日1切れずつ食べながら、クリスマスが来るのを待つお楽しみアイテム


このシュトーレンの始まりは、1474年

当時は、バターの使用が禁止されていて。

このパンは、精進料理の1つだった。


それが、バターを使えるように教皇に申請した40年後(

許可が下りたのを契機に、今の形に姿&レシピが変わっていって。

当時は、シュトーレンに、税金が掛けられていたそうな


ドイツのお隣、アルザスに伝えられてから、

アルザス出身のパティシエさん&ブーランジェさんが、フランスのあちこちに広めて。

アルザス出身のラウル・マデールさんでも、“激ウマ・シュトーレン”販売中



で、Beraweckaーベラウェッカ。

これは、フランス、アルザス地方の伝統菓子パン。

言ってしまえば、シュトーレンのフランス・オリジナルバージョン

アルザスの方言(?)で、“洋梨のパン”を意味するこのパン(お菓子?)は、





ぎっしり

な、ドライフルーツ

個人的に、ダメだった


見えにくい写真で申し訳ないんだけど

“生地”ってモノが、見当たらない

なんとも、不思議なパン(お菓子?)だね。



ちなみに、シュトーレンも、ベラウェッカも

クリスマスの4週間前から食べ始めるんだって。

我が家では、2日もあれば無くなっちゃうけどね



あとは、



Linzer ーリンザー(右奥)と、もう1つ(手前)、名前忘れちゃった

リンザーは、シナモンのサブレ生地に、木イチゴのコンフィチュールの組み合わせ。

もう1つは、リンゴとアーモンド


この2つ、とっても美味しくて

シュトーレンが無い季節でも、この焼き菓子の為に、このお店に来ても良いな



と、いうことで

シュトーレンが確実に欲しかったら、週末を狙う事をおススメします

FORTNUM & MASON フォートナム・アンド・メイソン

2011年10月15日 | おいしい歴史
ロンドンに行ったスーさんに、私がお土産を頼んだお店。

デパートって書いたけど、正確には、

“高級食料品店”

の、



FORTNUM & MASON フォートナム・アンド・メイソンさん

イギリスの、王室御用達店のひとつ。

(今は、食料品以外にもいろいろ置いているから、ほぼ、デパートだよね



日本でいう、宮内庁御用達(今は廃止されちゃった制度だけど)みたいなもの。

イギリスの王室が認定している御用達店は、約800店。

“ロイヤルワラント”って、呼ばれてる。

洋服、くつ、帽子に、チョコに、ドレッシングに…。

あらゆる、王室で必要な商品の購入先で、かつ、基準をクリアーしたお店だけが、申請資格を得て。

申請してから、認証た企業(か、個人)しか名乗る事が出来ない。

しかも、5年ごとに、見直しが入る。



この、800店ある、ロイヤルワラントの中で最古の老舗1707年にオープンしたお店が、

FORTNUM & MASON フォートナム・アンド・メイソンさん。

日本にも、コンセプトショップを出店しているから、知ってる人は、多いかもね。



で、私がスーさんにお願いした、125g、180ポンドの紅茶っていうのが、

“TREGOTHNAN ESTATE”。

イギリス、コーンウォール地方で作られた、単一農園のシングルエステートティー。

数あるフォートナム・アンド・メイソンさんの店舗でも、ロンドンのピカデリーサーカスでしか買えない

生産量的にも、希少価値の高い紅茶。




フォートナム・アンド・メイソンさんは、エリザベス女王と、チャールズ皇太子から、ロイヤルワラントを受けている。



う~ん…。

見えにくい

HPを拝借しちゃえ

(ロイヤルワラントは、現在、3種類ある。

エリザベス女王認定、エディンバラ公認定、そして、チャールズ皇太子認定。

3人それぞれのマークもある)

環境問題やエコ問題、ビオに関心のあるチャールズ皇太子のオーガニック農園の食品ブランド関連も扱っていて。



紅茶の他にも、有名所な商品がたくさん

来年は、イギリス&スコットランド旅行、決定だね

GUIDE MICHELIN ミシュラン・ガイド

2011年10月07日 | おいしい歴史
“GUIDE MICHELIN ギド・ミシュラン”。

ミシュラン・ガイドは、食に興味のある人なら、無い人も?

多分知ってる、レストランガイド



タイヤメーカーのミシュランが、毎年発行しているレストランの格付けガイド。

あまりの影響の大きさに、レストランのシェフは、ミシュランの格付け上位を目標にしたり、

格付け(星)が落ちた事で、自殺してしまった人もいるほど。



真っ赤な表紙がトレードマークのミシュランガイド。



え?

昨日の本の記事で、その表紙は見たって??



そうなんですよ。

『こんな本買った

って、あの、昨日のブログに載せた写真を、職場のシェフに見せた私。

いつも、お互いに、新しく手に入れたものとか、教え合って、情報交換しているもので



で、

表紙を見せて。

中には、こんな写真も~、

なんて、あの、ミシュランの表紙をみせたら、

『それ、持ってる

『…

………、

はいぃ~



『ちょっと、待ってて』

って言って、ラボから、プライベートスペースに行っちゃったシェフ

だってだって、

ミシュランガイドの、1冊目なんて、見ようと思っても、お目にかかるなんて、滅多に出来ない

買おうと思ったら、いったいいくらする事か

(買いたい願望はある



戻ってきたシェフが、手にしていたものが、



これ


正真正銘、ミシュランガイドの1冊目


の、復刻版



実は、



ガイドの裏表紙、

の、



イチバン下の、この文。

“ミシュランガイド100周年記念コレクション”



ミシュランガイドが発行されたのが、1900年。

その、ちょうど100年後。

つまり、2000年に、行われた、記念パーティー出席者に配られたもの。


当時、某3ツ星レストランのシェフパティシエだった我がシェフ。

出席した時にもらったんだそう




ミシュランガイドは、

当時の美食家、グリモ・ドゥ・ラ・レニエールさんが出版した、“パリの食べ歩き”を参考にして。

料理研究家で、“Prince des gastronome 美食のプリンス”に選ばれた、キュルノンスキー(本名はモーリス・エドモン・サイヤン)さんが、友人とフランス中を車で廻って制作した、“美食の国 フランス”を、ガイドにしたもの。

もとは、美味しい郷土料理の探索。

そして、フランスの、美食の材料たちを紹介して、たくさんの人に味わってもらうのが目的で。

この本のスポンサーがミシュランで、ガイドにレストラン達が加わった。



そう


もともと、ミシュランは、グルメガイドじゃなくて、自動車旅行の為のガイド本だった。

載っている内容は、駐車場とか、ガソリンスタンド、宿泊施設で、“レストラン”なんて項目は、無し

今みたいに、カーナビも無いし、地図も、しっかりしていない時代。

フランスの主要な街の、こうした内容のガイドが“もらえる”のは、当時、とっても、有効な宣伝だったんじゃないかな




これは、ボルドーの地図と詳細。




キュルノンスキーさんが、フランス中を旅したのが1922年~1928年。

ミシュランガイドが、レストランガイドとして発展していったのは、その後。



そんなワケで、

中は、



当時の車の宣伝やら、今のミシュランとは、イメージが違う。




いろいろ、書きたい事も、ツッコミどころも満載なミシュラン1冊目。

こんなのを持っている、我がシェフの引き出しの凄さにビックリしつつ。

まぁ、こういう話(歴史やらの深い話)が出来るの、私もシェフも、近くにいるのはお互いだけだから。

話が尽きる事が無い

(そして、マダムに、

『また、長話ししてるぅ~』

って、笑われる

Dragee ドラジェ

2011年09月21日 | おいしい歴史


フランスの結婚式に、欠かせないものといえば、Dragee ドラジェ



…、といっても、私の結婚式には、用意しなかったんだけれど。

フランスの皆さんに、馴染みのない、チロルチョコ(私とスーさんの写真入り)を準備したので




アーモンドは、昔から、豊富な栄養素、芳醇な香りと味のおかげで、高貴な人の食べ物、神聖なもの、と、大切にされてきた。

教会から広がったマカロンも、アーモンドたっぷりのお菓子。



ドラジェは、紀元前から、イタリアで作られていたと言われるほど、歴史のあるもの。

乾燥させたアーモンドに、糖衣掛けして。

色は、花嫁さんの白が基本。

色が付いているものは、たいていチョコレート。

見栄えを良くするためと、懐のため(ドラジェ、高いからね


幸福、長寿、健康、富、子孫繁栄の5つを願って、5粒のドラジェを、花嫁さんのヴェールに包んで、出席者に配るのが伝統的だけれど。

それは、結婚式を3~7日間も続けて行っていた昔のお話。

初日に使ったヴェールを切って、最終日に渡す、みたいな。


今は、あらかじめ、包んでおくのが普通。


結婚式だけじゃなくて、キリスト教の洗礼の儀式の後に、参列者に配るのも、ドラジェ。

理由は、結婚式と同じ



フランスの伝統的な習慣や、お菓子でも

起源はイタリアとか、別な国だったり。

1つの国だけでおさまらないのがヨーロッパ。

歴史も、伝統も、国境も。

いろいろ混ざってこそ、今のフランスがある

Tourteau Fromage トゥルトー・フロマージェ

2011年09月21日 | おいしい歴史


お菓子の失敗作

なんかじゃない




スーさんの地元のスペシャリテ(名物)の1つ。

“Tourteau Fromage トゥルトー・フロマージェ”

っていう焼き菓子。



名前の通り、チーズを使ったお菓子で。



チーズタルトって言っても良いかもしれない。



スーさんの地元、ポワトゥー・シャラントは、フランスでも、有数の乳製品の生産地。

バターで、世界的に有名な高級エシレバターもこの地域だし、AOPバター(旧AOCバター)もたくさん

と、同時に、山羊もたくさんいて、シェーブルチーズが豊富な地域でもある。



むか~し、フランスの首都が、まだ、今のベルギー内にあった頃。

(その頃は、まだ、“フランス”とは呼ばれていなかったけれど)

この地域は、スペインや、アフリカからの侵略を目指す人たちの野営スペースになっていて。

山羊は、そっちから連れてこられた。

侵略希望の方達は、結局、敗戦して、自国に戻ったんだけれど。

家畜達は、そのまま置き去りに。

それを、地元の人たちが、飼育するようになったのが、この地域の、畜産の始まり。



牛乳や、山羊のミルクを保存するためにチーズに加工して。

チーズを保存するために、この、トゥルトー・フロマージェにして、つまり、火を入れて、加工して。

表面を真っ黒コゲにするのも、内側の保湿のためとか。



あ、食べる時は、この、おコゲ、お好みで

地元の人も、食べる、剥がすは、人それぞれ。

先日の、スーさんの従姉妹の結婚式でも振る舞われたんだけれど、

ホント、食べ方は、自由



“ポワトゥー・シャラント名物”って書かれる事が多いトゥルトー・フロマージェ。

実は、以外と小さな地域の名物だったりする。

最近は、スーパーとかで見つける事の方が簡単になっちゃった、この焼き菓子。

ブーランジュリーや、フロマージュリーの自家製ものを、一度、お試しあれ

Confiture ジャム

2011年09月16日 | おいしい歴史
誕生日にもらったものといえば、



コンフィチュール、ジャムの妖精と言われる、フェルベールさんのジャムのレシピ本



私の、ハチミツの消費量もなかなかだけれど。

ジャムの消費量も、スーさんがビックリするくらい



毎年、果物が安い春~秋のはじめくらいまでは、自家製ジャムが大活躍



今年、スーさんのご実家で食べる事の出来なかった、



ミラベル。

マルシェで買ってみたんだけど。

やっぱり、甘みが少なくて、酸味が強い

なので、さっきの本を参考にして、



ミラベルのジャムに




スーさんは、



先日、スーさんの友人のバニラ農園のオーナーがフランスに来た時に頂いたバニラを使って、







私の大好きな、グレープフルーツのジャムを



そう

スーさんのグレープフルーツのジャムは、皮も、丸ごと全部使っちゃう




これは、



別な時のグーレークフルーツジャム。

バニラなしバージョン。




手前の2つの瓶がスーさん用。

奥の4つが私用。

何が違うかって?

スーさんのは、なめらかタイプ。

私のは、



形が残ったまま。






これは、オレンジのジャム。





イチゴは、今年も、大量に作ったなぁ。

箱買いして、一気に作る

そして、スーさんが、いつの間にか片付けちゃうから、写真撮るヒマが無く…。

今、冷蔵庫から、出して写真を撮ってみた


ちなみに、イチゴのお供は、黒こしょう

イチゴとお砂糖に、黒こしょうをアクセントで使用。

和菓子のあずきを炊く時に、砂糖に、少し、お塩を入れるのと同じ作用




日本で、大予言者として有名なノストラダムスは、実は、もともとお医者さん。

予言者としても名を残したけれど、“医者として”ジャムや砂糖漬けの研究もして、本も出版。

当時の王様の御典医も務めた人。


今でこそ、お菓子に無くてはならない砂糖は、昔は、薬として重宝されていた。

そのおいしさから、薬以上の普及をみせた砂糖。

薬として、保存食の主材料として活躍する砂糖と、

砂糖のおかげで作られる、コンフィチュール。



次は、何で作ろうかな

Pomme de terre じゃがいも

2011年07月30日 | おいしい歴史
それは、フランス革命のちょっと前の事



ん~、

フランス革命って、王妃マリー・アントワネットが、国民の税金を無駄使いした所為で起きた…

って言われているけど。

私の解釈は、それだけじゃないんじゃないかな、って。




ルイ14世(アントワネットのだんなさん、ルイ16世のおじいちゃま)が、ヴェルサイユに、あんなに大きな宮殿を建てて。

ルイ15世の愛人の皆さんも贅沢三昧、し放題。

そして、ルイ16世と、マリー・アントワネットの時代には、当時、イギリスと犬猿の仲だったフランスが、イギリスから独立したいアメリカを応援。

莫大過ぎる金銭的援助をしていて

結局、イギリスが負けて、アメリカは独立出来たんだけど、フランスには、特に、何も残らなかった

(その時のイギリスの海軍大臣だったサンドイッチ伯爵は、サンドイッチの生みの親。

忙しい激務の合間に食べられるように考案されたとも?)

ルイ13世時代からの宗教戦争の影響での増税。

さらに、大飢饉があったり…。



そんなこんなで、食料不足やらなにやら、大変だったフランス。



そこで、当時の農学者だったパルマンティエさんは、ドイツでは、既に食べられていたジャガイモを、普及させようと考えた

ジャガイモは、主食の麦が凶作でも育つ救荒野菜



でも、

あんな、外見がゴツゴツした、ヘンなもの、誰も食べたがらなかった



で、ここで、国王ルイ16世の登場

ジャガイモの花を胸ポケットに刺して、毎日を過ごすように。

すると、まぁ、

『あの、陛下が身につけているお花って何かしら?』

『何か、おいしい食べ物のお花らしいわよ』

みたいなウワサが広がり。

マリー・アントワネットも、自分の髪飾りにしたり、と、こっそりPRを始めて。



さらに、郊外のジャガイモ畑に、

『崇高なる食物、盗むべからず』

って看板を掲げて



作戦は、大成功

今では、フランスのどこに行っても目にする、食べられるジャガイモ



功労者のパルマンティエさんの名前をとって、ジャガイモのスープは、“ポタージュ・パルマンティエ”って呼ばれてる

冷たいジャガイモのポタージュ、“ヴィシソワーズ”は、また、別のお話




でも、フランスのジャガイモ料理と言えば、



ポム・フリットでしょう


もうね、どこにでもある


我が家では、時々、おいしいフライドポテトが食べたい時は、自宅で揚げる

こだわりは、油




スーさん一家は、おじいちゃまの代から、パームヤシの油を使用。

常温でも固化するこの油、サッパリと揚がるうえに、お味も

こうして、瓶に入れおけば、何回か使えるし



日本人が、天ぷら用油を工夫するのに似てるかもね。

(私は、ごま油を足すのがスキ