のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

国立競技場は何方の案?

2015年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 昼過ぎから急激に寒くなりました。県境の山脈は雲に覆われていたので雪になっていることでしょう。

 ラジオで新国立競技場のデザインが発表になったとかで、A案とB案があるみたいです。テレビも新聞も見ていないのでどんなデザインかわからないのですが、森元首相がB案を推しているとかで、バックマージンが大きいのかな?それならA案がいいなと言うことにしておきましょう。

 どちらも木材を使うデザインのようですが、国内の木材が高く売れるか?と考えると、山の現場としては「変わらねぇだろう」。高齢化が著しい世界ですから今更世の中変わったってついていけない。

 安定供給できないからと言う理由で輸入木材より安い値段で買いたたかれている国内産の材木、どうせ商社が海外産の材木持って来て、合板にして建材に使うことでしょう。

 近年の傾向は太く大きな材木が売れないんです。杉は80年、桧は100年をめどに伐採して出荷する計画を国が出していましたが、こんなに育った木は逆に敬遠されてしまいます。住宅建設には間伐材の大きさががちょうどいいんですね。祖の間伐も切り捨て間伐と言って、間引いた気を刻んで山に捨てている。搬出に費用が掛かるからです。

 競技場の一つや二つ作ってもこの状況が変わるわけでもない。粗末にしたしっぺ返しは必ず来るのですけどね。

 我が家のすぐ上に杉林があり、方角的には北側なんですが、このスギ林で影になる道路はなかなか雪が解けなかったのですが、3年前に全伐しました。おかげで道路の雪も溶けるようになりましたが、北風が直接当たるので我が家は若干寒くなりました。

 木材の断熱性は侮れません。

 断熱性と言えば、猫も断熱効果があります。

 ストーブをつけると、一番暖かそうな場所は必ず猫が陣取り、暖かさが漏れないように熱を遮断してくれます。

 こたつの中でほどなく温まった猫を、セーターのファスナーをあけて懐入れるととても暖かい。修行僧が温めた石を懐に入れた懐石と同じ原理ですね。

 昨夜はなんでも鑑定団を見に行った知人宅で猫を懐に入れて温まりながらテレビを見ました。

 この何日かふたご座流星群を見るために夜中に外に出て雲の切れ間を眺めていましたが、フクロウの鳴き声が聞こえるようになりました。猿の群れがいなくなるとフクロウが里に下りてくるようです。ご禁制のフクロウと言えども鉄砲撃ちが山の中に入る季節なので、人里の方が安全かもしれません。

 雪が積もって山の裏側のスキー場がナイター営業を始めるとイノシシなんかもこちらに来てしまうので困りものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんでも鑑定団

2015年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 私の町で収録されたなんでも鑑定団の出張鑑定が今日放送されました。

 テレビが映らないから近所の家で見せてもらいました。お宝を持って出てきた人たち、知っている人が一人もいませんでした。

 この夏ごろ回覧板で参加呼びかけがあったので、何人かの知り合いが申し込んでいましたが、事前審査で落とされたようです。知り合いにお宝を持っている人がいないと言うことだったんですね。

 真田家ゆかりのお宝を持っている家とか、白虎隊の甲冑などを持っている家もありますが、こうした大尽様はこんなところに出てきません。

 なんでも鑑定団の面白さはお宝にまつわるエピソードで、その人情味が長寿番組の秘密だと思います。一頃この番組が持ち上げられた時に他の局で、番組から与えられた予算を持って海外にいって骨とう品買い付けしてきて日本でいくらか?なんてパクリ番組をやっていましたが、見ていてあまり心地ようものではありませんでした。

 金額はともかく、そのお宝にどんな思い入れがあるのか?それが面白いので、たとえ偽物でも気に入ってまなでていればいいじゃないですか。

 工房大師が彫ったと言われる黄金の招き猫像。

 お江戸方面ではクリスマスにカップルお断りのレストランがあるとか。

 とても良い心がけだと思います。クリスマスの時は家族で集ってチャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」を読んで、一年の数時間ほどやさしい心清らかな人間になったような気になることが重要で、発情してはならんのです。

 スクルージと言う孤独な守銭奴がイブの晩に幽霊に過去・現在・未来の夢を見せられ、自分が死んだときに誰も悲しむ人がいないばかりか喜ぶ人ばかりになっている将来を知るわけです。目が覚めたらクリスマスの日。心を入れ替えると言う物語ですが、一年に一度くらい自分を見つめなおすのも大切なんじゃないですか?

 ロシアではクリスマスが年明け後の1月7日なので、新年からこのクリスマス騒動が終わるまでがにぎやかになります。

 12月25日のクリスマスはカトリックのクリスマスと呼んでいますが、お祭りごとには素直に参加する民族です。

 クリスマスツリーはヨールカといい、年末になると飾り付けが始まります。外食には高額な税金がかけられていることもありますが、家族や友人たちと過ごすのが通常です。

 一昨年、向うの友人が送ってくれた新年のカードがお彼岸の頃に届きました。

 来年度番がすでに届いています。時差が関係しているのかな?ってことにしておきましょう。

 サンタに相当するのがジェッド・マローズ(寒波のおじさん)とよばれるじいさんで、スニグラーチカと言う木枯らし少女を連れて歩きます。サンタクロースの衣装の赤はコカ・コーラが権利を持っているので、コカ・コーラbのイメージカラーと尾内赤なんですが、90年代ロシアまではそんな世界事情とはかけ離れていたので、水色の衣装を着たジェッド・マローズが普通でした。

 ス ノビ ゴーダム。新年あけましておめでとう!です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

450円

2015年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 消費税の軽減税率を巡って与党が内紛しているらしい。

 生良品を加工食品まで含めるかで、その次は店内で食べるものと持ち帰りは?で、一その頃食べるものは全部増税対象外に!でええ話やないか、と思っていたら「高級料亭での食事は」と始まり、だいたい高級料亭で生じする馬鹿がなんぼほどおんねん!なんでこいつらのためにこっちまで税金高くはらわにゃならんねん!金額が高いんだからそれだけ税金払っているんだからいいじゃねぇか!高級料亭なんか一生行くことないわい!

 顔なじみのとんかつ屋さん。ラーメン450円なんっすよ。カレーライスだって450円なんっすよ。この庶民の喜びを邪魔しないでほしい。

 リッチなカツカレーラーメン。650円。

 企業努力の成せる業だよな。世のために貢献しているよな。この値段の2パーセントと、懐石料理一式1万円の2パーセントでは、食べる人たちに対しての重さが違う。

 だいたい誰だ?消費税値上げしようと言いだしたのは?菅直人と野田じゃねぇか。なに息潜めていやがるんだ?財務省、収税庁と主計庁に分割したほうがよさそうですね。

 それと新聞!木材資源の無駄だ。環境によくない!50%くらい税金かけたっていいんじゃないか?どのみちなくなる命運なんだし。

 食品関係の消費税の減税が1兆だとか、財源不足補うために増税するんだから他の増税で賄えるでしょう。できなけりゃレンホー呼ぶぞ!

 ボロ着たっていい。腹いっぱい食べたい。

 宗教法人が無税ってのも考えなければならないんじゃなかろうか?

 ピョートル大帝にならって髭税とか入れ墨税を作れば日本国民を健康にできます。たばこの値上げなんかよりよほど効果がある。在日税作ってたかるだけの無用な人間を祖国に帰還させるのも好ましい。

 ソーラーパネルだって環境破壊しているから発電税かけてもいいでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金ちゃんバンドいいですねぇ

2015年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 本日の横着料理は横着中華風スープ。

 スーパーに行けば100円程度で販売されているチャーハンの素。具の入っていない粒状のダシだけのものですが、こんな寒い時には外から戻ってきたら、お椀に刻みネギたっぷり入れて袋の半分程度をスープの素を入れてお湯を注ぐだけであったまるスープができます。野菜に溶き卵で煮込めばたまごスープが簡単にできます。

 山で星を眺めるのに持って行ったんですよ。野菜は茹でてラップに包み、カップにそれを入れて炒飯の素をまぶしてお湯を注ぐ。寒空に格好のスープを楽しんできました。

 北京で公演予定だった金ちゃん国の美女音楽隊。金ちゃんバンドっての?なんか公演途中で投げ出して帰っちゃったみたいですね。

 そりゃぁ、あんな空気の悪いところに行って歌ったり踊ったりしては健康によくありませんわな。もしくは中国が口先だけで金がないことがばれちゃったのかな?気持ちもわからないでもありません。

 でも、金ちゃん国にすれば貴重な外貨獲得の道具なんだから、中国なんかで講演しないで日本に来ればいいのにね。そろそろK-POPも飽きてきたし、だいたいおじさんたちにはあのリズムとスピードと下品な音についていけません。それに比べて金ちゃんバンドの清楚なこと。日本芸能界に革命起こしまっせ。

 金ちゃん国はあんなざまですが、必死になって支えようとしている姿がいじましいじゃありませんか。拉致被害者さえ返せば金ちゃんバンドがもっと外貨を稼げるようになるし、御帰りになる時には朝鮮総連の皆様を付録で御国にお返しします。水爆開発のために資金だっているんでしょ。原爆や水爆だって北京に向けて撃てば大気汚染も解決できます。有効な使い方を模索していただきたい。

 来年の今頃、金ちゃん国はどうなっているのかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野宿のごとき君なりき

2015年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 オリオンの三ツ星を軸に赤みがかったペテルギウスを探し、その右をたどって行くとおお犬座のシリウスが無駄に大きく見える。シリウスを左側にほぼ正三角形にたどるとこいぬ座のプロキオンが見つかり冬の大三角形が見つかります。

 プロキオンとペテルギウスのラインに沿ってふたご座があるはずなんですが、天空にはラインが引かれていない。困ったもんです。

 新月から間もないので月の明かりが薄いのでふたご座流星群を見るには良いチャンス。と言うことでロープウェイ使って谷川岳に登ってテント張ってシュラフにくるまりながら星を眺める予定だったんですが、だんだん空に霞がかかってきましたぜ。北京の大気汚染の影響?と言うより雲が出てきて天気が崩れかかっていると考える方が妥当な気がしないでもないけど、朝までロープウェイ動かないし。

 とりあえずテントたたんでロープウェイの山頂駅周辺に移動。雪がある場所はまだいいのですが、雪の解けた岩の上はベルグラと呼ばれる薄い氷が張っているので、アイゼンガッチャンガッチャンならしながら山頂駅の軒下でテントをかぶって一晩明かしました。朝、明るくなったらみぞれが降っていました。

 金曜の台風並みの風雨が嘘のような晴天の一日だったんですが。

 ふたご座のカストルあたりから放射状に流星が出ると言うので、願いの言葉は一つ「カネ・カネ・カネ!」。

 大金持ちになれたかもしれないのに雲に妨げられました。これもゼウスの妨害か?

 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ それにつけても カネの欲しさよ るんるん

 万葉集に出てくる柿本人麻呂の歌ですが、その情景を淡々と情景を読んだだけの「賦」の歌なのにいろいろと語ってくれます。夜空が海、雲が波、月が舟、星が林と言うのも面白い。今の時代なら「月の舟」ってUFO?

 人麻呂のように雅な心で星空を眺めたかったのですが、悪天で生命の危機を感じながら一晩過ごしてきました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深夜食堂

2015年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜から台風を思わせるような激しい雨と風が吹きました。

 昼過ぎ、糖尿病で入院している70代の阿部ちゃんの見舞いに行ってきました。日ごろ節制して健康に気遣っている人で、今年の春の健康検査で糖尿病の可能性があるとされていたようですが、食生活はじめ気遣っているから「よもや自分が」とここで油断が起きたようです。急激に病状が進行したんでしょうか?あのまま眠ったように三途の川の向こうに行ってもおかしくなかったとか。

 当人には病気で倒れた自覚はなく、救急隊員に名前などを聞かれたときに「眠いのになに言ってるんだ?」と不思議に思ったそうです。救急車に乗っているような覚えもあったようですが、自分が乗っていたという自覚はなく、救急車の中で声をかけられるのが面倒くさくてだるかったおぼえしかなかったみたいです。5日間昏睡していましたが、少しづつ目が覚めて何となく病院にいるのかな?と自覚できるようになったとのこと。退院したら温かくなるまで千葉県の息子のところに厄介になるみたいです。

 おくさんも亡くなり子供も都会へ出ている阿部ちゃんは一人暮らしなので、家で動けなくなっていたら流行の孤独死になるところでした。

 今年は私も怪我に見舞われた年で、足の指の骨折はいまだに痛みが残っています。ついつい左足をガニ股にして歩いてしまうので腰に影響が出てしまいます。先日遊びに行った安達教授に赤塚不二夫のおそ松君に出てくるイヤミの「しぇー」のポーズが良いと言うので、朝晩寝起きと寝る前に横になって「しぇー」を左右やってストレッチしています。

 同級生に「面白いから見てみなよ」「あいよ!」と「深夜食堂」のビデオを借りてきてすっかりはまってしまいました。

 ビッグコミック系の雑誌に出ていたのを覚えていますが、マンガはあまり絵がきれいではなかったのでほとんど目を通した覚えがありません。

 テレビドラマでは新宿ゴールデン街あたりを舞台としているので見覚えがある風景も出てきます。都市計画の勉強で歌舞伎町を作ると言う課題をやったことがあります。これが個人のあたまであの猥雑さって作り出すのが困難なんです。異なる感性と欲望が理屈抜きでぶつかり合わないとあの汚さが出てきません。理論整然として整ったものは作れるけれど、混とんとしたものは個人では生み出せないことを学ぶ授業でした。

 授業の調査で何度も足を運んで何を生業としているのかわからないけれど変な人が住んでいる街だなと感じましたが、慣れてくると不思議と心地よい街でした。

 「シティーハンター」や「エンジェルハート」ではあの汚らしさは出ていないけれど、「深夜食堂」ではそれを感じる。作風が違うんですね。あしたのジョーの泪橋も巨人の星の一家が住んでいたのも山谷なんですが、巨人の星の方がきれいな街に見えてしまいます。

 ドラマに出てくるストリップ劇場が「ニューアート」。新宿区役所の近くに実際にあるストリップ。しかも、ダンサーの周りにはタンバリンを持ったお客さんが。

 このタンバリンも決まりごとがあって、踊り子さんや常連客に認められないと叩くことができないんだそうです。しかも踊り子さんごとにバックミュージックが決まっており、それに合わせたリズムが取れなければならない。ストリップでタンバリン手にしたおじさんはその世界では尊敬される存在なんだと日本全国のストリップをまわっているおじさんに教わりました。何事も探求の道は険しいのですな。

 

 都会の「孤独」は心地よいナルシズムがありますが、山村の孤独は命取りになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は写真なしだよ

2015年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 ♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか ニ・ニ・ニーチェかサルトルか みんな悩んで大きくなった 俺もお前も大物だ!♪

 ウイスキーのCMだったかな?この歌が流行ったのは高校生の時でした。野坂昭如さんが亡くなりました。

 この人がまともな作家だったと知ったのこのCMの後のことで、テレビに出てくるチョイと頭のいかれたマルチタレントで小説も書くんだ、と、図書館で借りて読んだのが「火垂るの墓」でした。わっかんねぇもんだなぁ、と驚いたもんです。♪おもちゃのチャチャチャ……チャチャチャおもちゃのチャッチャッチャ♪なんて子供の歌も作詞していた人でした。

 スタジオジブリの映画がなければ「火垂るの墓」を知る人がどれだけいただろう?娑婆をあざけるような小説ばかり書いていたイカレタおじさんとしか見られなかったのではなかろうか?

 野坂昭如、永六輔、五木寛之が同世代で学生ビジネスなどを始めた仲間だったそうで、メディアを利用した作家のジャンルを作ったとも思えます。

 当時、五木寛之の「青春の門」が話題になった頃で、田中健が信介しゃん、大竹しのぶが織江の役で映画化されて見に行ったもんです。青春の門を読んで五木寛之が影響を受けたと言われる尾崎史郎の「人生劇場」。

 人生劇場といえば早稲田大学第二校歌なんて呼ばれていて、「早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花、人生意気に感じたら、ビクともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。・・・・・・ああ歓楽は女の命にして、虚栄は女の真情であります。わずか七日ばかりの享楽を得んがため、哀れはかなくも美しき乙女の貞操は犠牲に供せられたのであります。覆水盆に帰らずのたとえあるが如く、親をいつわりし罪、いと深きかな。ああ哀れメリーさんよ、♪チャンチャカチャンチャン チャカチャカ チャンチャカチャッチャチャ」と前奏を口ずさんでから♪やると思えばどこまでやるさぁ♪と唄いだす。

 さすがに私たちの世代になるとこんなことやるのは、最近また悪魔として活動している閣下くらいのものでしたが、当時の教授の年代は酔っ払うと「人生劇場」やってましたね。

 そんな野暮臭い空気が漂っていた古き良き時代の作家だったんですよ。無頼派を気取れる最後の世代かもしれませんが、高見順や坂口安吾ほど破たんしていない。程よく世渡りできるポスト徴兵世代の昭和人だったのかもしれません。

 「永遠の0」の百田さんが、沖縄の新聞に広告なんか出さなければよいと言うような真理を語ったがために袋叩きになった事件がありました。”野坂昭如が生きていればこんな発言は日常だったのにな”と思いましたが、そのころはまだ生きていたんですね。うっかりしてました。

 さて。

 靖国神社のトイレに爆発物を仕掛けた犯人事件ですが、爆発事件からいつの間にか爆発音事件になり、爆発音が問題になるなら秋の農村なんか田んぼや畑に仕掛けられた害獣よけのガス爆音装置が鳴り響いてますよ。こういうご時世なんだから爆弾テロ事件でいいではありませんか。爆発しないで音だけだったのは当人の製造技術が未熟だっただけのことで、爆破させようとしたわけでしょう。その心意気を汲んで爆弾犯にしてやりましょうよ。

 参拝目的でないのに靖国神社に行ったのが建造物侵入と言うなら、私、デートで行ったことがあります。

 尖閣の中国漁船体当たりではありませんが、中途半端なことをすると後々に影響するので、しっかり締めるところは締めて、こうした原因を作った村山とんちゃんと河野洋平が存命中に証人喚問して因果の「因」を明確にしておくことが重要だと思います。

 爆弾犯のチョンと言う人は大変真面目な人だったそうで、真面目な人ほど「教育」の影響を受けているものです。文化大革命時代の「革命無罪」のようなテロ支援教育をしていると、あの国さらに立場がやばくなるかも?

 今回爆弾犯はトイレに行くために来日して夕方の飛行機のチケットまで持っていたようですが、どこから資金が出ているのだろう?だいたい、仕掛けた爆弾だって向うで作って持ってきたなら韓国の空港の管理体制ってどうなっているのだろう?

 ビザなし渡航、見直したほうがいいかもしれませんね。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤いってことはどっちなんだ?

2015年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 北京ではPM2.5を含む大気汚染で「赤色警報」が発令されたようです。

 我々西側諸国ならわかりますが、中国で「赤色」はありがたくおめでたいことじゃないのかな?赤くなるために世界を巻き込んできた国の一つでしょう。世界中の共産党が崩壊する中いまだの元気で国を牛耳っている国が「赤色警告」をネガティブに使っちゃぁならないでしょう。

 赤軍派とか赤報隊とか赤い旅団とか確かにあまり良くないイメージが「赤」にはありますね。田舎から東京に出てきたおさげ髪だったそばかす顔の少女が赤いハイヒールを買って都会に染まって行くけど挫折してしまう「赤いハイヒール」を太田裕美が説いたのは私が中学3年生の時でした。

 愛国心あふれる北京市民は外に出て人海戦術で自らの肺をフィルターにして大気汚染を浄化した。人民日報に出せるプロパガンダのチャンスだと思うけれど。

 WHOによるとPM2.5を含む大気汚染が一番ひどいのはインドのニューデリー。実力的にはまだ北京の方が上だと思うので数値をごまかさずニューデリーから王座を奪取していただきたいものです。

 こうした風上にも置けない国が偏西風の風上にあると、当選我々風下の生活にも影響してきます。

 最近、山仕事を含め外で仕事している人たちに変な咳をする人が増えている気がします。PM2.5のみならず天津の爆発事故の有害物質も流れてきているんだと思います。

 中国からの大気汚染物質と言えば十数年前に酸性雨が問題になったことがありました。これは中国ばかりが原因ではないと言えば確かにそうなんですが、最近、酸性雨って言葉をあまり耳にしなくなりました。酸性雨で枯れた森も見かけません。中国の環境がはるかに悪化しているにもかかわらず。ってことは酸性雨は日本の工場が原因だったのかな?

 酸性雨と一緒に飛んでくる黄砂はアルカリイオンが強いので、中和されて日本ではあまり問題がないと言う話を聞いたこともありますが、どうなんでしょうね?

 さて、農産物の優等生と言われた卵ですが、鶏の飼料が上がったために値上げ傾向にあるようです。昔からクリスマス近くになると卵の需要が増えて値上がりするのが恒例ですが、どちらかと言うと生産者に近い生活をしているとまだ卵が安すぎるような気がしています。

 私が小学生くらいまでは何処の家でも鶏を飼っていて、その卵を買いに来る玉子屋がいました。これが結構な収入になって、と言うより鶏の世話をしている農家の子供にとってのお駄賃のようなものでした。

 換羽と言って9月すぎと4月の初めごろになると鶏の羽が生え変わるために卵を産まなくなる時期があります。だいたいこの頃には次の世代の鶏が育って親鳥は食べられてしまうか、強制換羽と言って餌を極端に抑えて羽根を生え変わらせてしまう飼い方などのテクニックがありました。

 学校給食がなかったので弁当のおかずの代表が玉子焼きで、我々の親の世代からすれば「贅沢」と言われたものです。小学生になってからは学校の弁当を自分で作らされたので、毎朝玉子焼きを焼いて、母親が前の晩に用意してくれた夕食の残り物などを弁当に入れて持って行きました。

 1970年代に入ると玉子焼きの立場を脅かす弁当のおかずが出てきます。赤いウインナーソーセージで、弁当の米に残ったソーセージの赤い着色料の色が妙にリッチに感じたものです。ウインナーを炒めた油の跡に胡椒が微妙に混ざったご飯の部分を食べる時、誇らしい思いがしたものです。

 赤いウインナー!久々に弁当のおかずにしようとスーパーに行ったら見当たらなかったので、シャウエッセン風のウインナーを買ってきました。

 さて、赤くないウインナーをメインにするか、玉子焼か?弁当のおかずを巡って国会は紛糾しましたが、炒めたウインナーを玉子焼きで包んで、弁当の蓋を開けた時にびっくりがいいんじゃないかと作ってみたものの、弁当食べる当人が作っているのですからネタバレして感動はありませんでした。

 赤くないウインナー。夕方ポテトサラダを作ってその中に刻んで混ぜました。

 ウインナーを混ぜるだけでジャーマンポテトサラダに進化するわけですが、ウインナーってオーストリアだよな。だいたい、ドイツでこんなサラダ食うのか?向うでお目にかかったことがないけど。

 太さが20mm未満ならウインナー、20mm~36mmがフランクフルト、それより大きければボローニアだと聞いていますが、このサラダに太いフランクフルトを混ぜては無粋です。

 歯ごたえでシャウエッセンが入っているのがわかるけれど、視覚的には赤いウインナーの方が……でもそれじゃ普通にポテトサラダになってしまうのか?

 畑を荒らすクマとジャガイモの間に生まれたジャガクマ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹藪切り開いたら

2015年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 健康のためにタバコも酒もやめ、肉も控えて毎日5kmのランニングをしていた阿部ちゃんが、忘年会ですき焼きつついているうちに動かなくなってしまって救急搬送されたのが今月初め。

 節制して粗食を心がけていたところに牛肉が飛び込んできたから体が拒否反応を示したに違いないと噂していたところですが、原因は糖尿病だったようです。生活習慣を節制しても病気になる時はなってしまうもんなんですね。

 日陰で道路が凍結する場所なので、阿部ちゃんが年内に仕上げるはずだった竹やぶの整備を我々が肩代わりすることになりました。

 伐採した竹を粉砕機で砕いて藪を切り開く作業ですが、一寸先も見えないほど込み入った藪なのでどこからどう手を付けてよいやら?

 視界が狭すぎてどこまで切り開いたのかわからない。行けども行けども藪の中。体力はもとより精神的に疲れてきます。

 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 山口誓子 の俳句のような世界。厳しさを超えるとさびしさになるのかな?炭をつぐにかけて火をつけたらこの竹藪はもっときれいになるぞ!なんて考えながら黙々と竹藪を切り開いていったら、闇を抜けました。日当たりが良くなった上の家の住人がお茶とせんべいを持って来てくれました。火をつけなくてよかった!

 雪の多い土地で畑が雪に押されてくじけてしまうので、竹藪がある土地は雪が少なく暖かい土地なんですが、何事も度を越してはなりません。人様の手が入らなくなったら竹藪が暴走しています。

 粉砕機で砕いた竹は餃子の具のようになります。

 切り倒した竹をそのまま積んでおくと虫が湧いて沢ガニなどが棲みつくのでそれを食べにイノシシが来て荒らしてしまうし、積江が手竹が腐るまで人が入る混むこともできない第二次の藪になってしまうので粉砕して体積を増やすのが一番です。粉砕した竹は早速発酵して熱を発しているのでこの一角だけ朝の霜が降りていない。

 まだ病院のベッドで休養中の阿部ちゃんも年内には娑婆に戻ってこられそうで、何とか年越しさせてやれそうです。

 今年の冬至は12月22日で、当時の2-3日前から日が伸び始めるからあと一週間もすれば夕方が次第に明るくなってきます。太陽の光より遅れて太陽の熱が伝わってくるので、本格的な寒さは一か月後になりますが、宇宙規模から見れば誤差にも入らないわずかな太陽光の違いが大きな寒暖差をもたらします。

 寒さ対策でのために皮下脂肪を蓄えようとしている自営業のネコは、私が外に出ると縁の下から出てきて餌を要求します。この調子で太ると縁の下の出入り口を通れなくなるような気もしますが、太ってきたら髭の長さが伸びたような感じがします。

 ネコは自分の体の幅に髭が伸びると聞いていましたが、その通りなのかもしれません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳の枝に飛びつく蛙

2015年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 デブガエル負けるな一茶ここにあり

 昔は食糧事情が悪かったから痩せガエルに同情が集まったのでしょうが、デブもこれはこれで辛いんですよ。

 学校のマラソン大会なんか見ていると後半に行くほど親しみのある体型が走ってきます。最後の方なんか歩くより遅い速度で見るも不憫なアンコ型体型が半べそかきながら通り過ぎて行くもんです。

 小林一茶の生涯も波瀾万丈で、結婚したのが52歳、4人の子供は次々亡くなり一茶58歳の時に脳卒中で半身不随、奥さんも亡くなる。しかしながら半身不随で言語障害に見舞われながらも負けるな一茶62歳で再婚、3か月で離婚。それでも負けるな一茶64歳で再婚。家が火事になり焼け出されて焼け残った土蔵の中で力尽きたのが65歳。

 カエルと言えば「柳の枝に飛びつくカエル」の話を小学校の道徳の時間に教科書で読んだことがあります。

 小野道風と言う書の達人の話で、なかなか思うように書が書けなくなった東風が悩みながら歩いていると、柳の枝に飛びつこうとしているカエルを見かけます。枝にうまく飛び移ることができなくて、何度も何度も飛びつこうと繰り返すカエルを見て、「あきらめないでまた努力を繰り返そう」と心を決めて精進し、著名な書家になったと言うエピソードです。

 文部省の狙いとしては、くじけずに努力し続けることを教えたかったのでしょう。

 でも、家庭の環境なんでしょうね小野道風の挿絵を見て「花札に出ている人だ!」と気がついた同級生がいました。多分家族で花札しながら小野道風の絵札を見せて父ちゃんがこうした逸話なんかを教えたんでしょうね。家族で花札やるような家庭環境に関係なく、グレることなく現在銀行員になっています。

 巷じゃ2歳の子供にタバコ吸わせたり、赤ん坊に覚せい剤使って殺す馬鹿な親が連日ニュースになっていますが、心を鬼にして言わせてもらうと、こんな親に育てられた子供はろくなもんになりません。立派な人間になる可能性なんか万に一つです。将来害悪垂れ流すことを思えばこれも自然淘汰か?

 なにより、こうした馬鹿親が再び親にならないよう娑婆に戻しちゃなりませぬ。親バカと馬鹿親は全く異なります。楽な方へ気持よい方に流れたなれの果てが人間なんですね。

 昔だってバカな親はいたんです。私の少し上には両親が逐電してしまって祖父母に育てられた人もいました。周囲が支えたと言うこともありますが、そんな祖父母の背中を見て育っていたこともあって、しっかりした人物でした。もちろん当人の自我にもよるだろうけど、育てる人たちが苦労して育てている姿を見せることって重要なのではなかろうか?何でも≪みな平等≫と言う甘えが馬鹿な親を育てるのではなかろうか?

 生まれ落ちた環境は選べないけれど、それを変えることはその後の努力次第ですし、文句たれて誰かとたむろしていれば何となく心地よいなんて甘えもいいところ。将来シールズになるのが関の山。皆孤独にのたうち回りながら伸びようとしているんです。

 小野道風の逸話っていい話だったんだなぁ、と半世紀近くたってかみしめています。壁にぶつかる時って、そこまで成長してきたことなんでしょうが、その先が見えないから自分自身で迷走してつぶれてしまうんだな。あの時諦めなければよかったななんてことばかり思うようになってしまう年齢になりました。

 小野道風のように抜きんでたことはできなかったけれど、湯豆腐なら得意です。

 ウナギの値段に飛びのくカエルと言った心境でしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉の心で

2015年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 狂い咲きなのか?家の玄関前に植えてあるニッコウキスゲが一輪花を咲かせました。

 利根川の河瀬もしらすたたわたり なみに逢ふのすあへる君かも

 万葉集に出てくる歌で、利根川が出てくるものはこの歌だけだと思います。月夜野橋の少し下流に徒渉(ただわたり)万葉歌碑にこの歌が刻まれています。歌碑は昭和9年11月陸軍秋季特別大演習統監県下行幸による記念行事で建立されたものです。

 今は橋が架かっていますが、昔は橋がなく川を浅瀬で渡るか渡し舟もあったようです。川の水のことなど気にもしないでひたすら川を渡ると、波に出あうように思いがけずあなたにお会いしました。と言う歌で、川の向こうにもこっちにもそんな素敵な女性などいないのが現代の悲しさです。

 万葉集は朝廷が「歌」を通して「日本語」を全国に共通させようとする役割があったのだはなかろうか?と言う説もあります。このあたりまでは大和朝廷の影響があったんですね。

 当時は関西弁の方が日本語の主流だったはずで、歌のイントネーションも今の読み方と違っていたと思います。文語体は平安時代の宮中の言葉だったと言われていますが、明治まで文語体が続いたのは方言が幅広い日本での共通語だったのかもしれません。

 移動が少ない農耕民族で生活圏も広くなかったことでしょうから同じ地域内でも方言が違うこともあります。この歌碑があるあたりと私の住む地区は10kmほど離れていますが、微妙に単語や言い回しが違うことがあります。子供の頃気がついたのはカブトムシやクワガタムシの呼び方で、地区と言うより小学校によって呼び方や名前が違いました。

 「歌」と言う共通の媒介を通じて全国の方言を乗り越え、身分も天皇から下々まで共有できる感性を持てるなんて粋な文化じゃありませんか。こうして万葉の時代にはこんな山奥まで日本語が広まって行ったんですね。

 それこそ純日本語で作られている万葉集は「菊」と「衛士」以外は訓読みの言葉で書かれています。音読みは外来語なんですよ。

 ニラ玉の黒髪変はりて白髪(しらけ)ても 痛き恋には逢ふときありけり (沙弥満誓 4-573) 白髪頭の歳になっても心を痛めるような恋に出会うことがあるもんだ、ってな意味ですね。

 現(うつつ)には逢ふよしもなしニラ玉の夜の夢にを 継ぎて見えこそ (大伴旅人 5-807) 現実にはもう会うことができないのだからせめて夢の中でも会えたなら。

 もうひとつ行ってみようか。

 相思はず君はあるらしニラ玉の 夢にも見えず祈誓(うけ)ひて寝(ぬ)れど  (11-2589 詠み人知らず)  あなたは私のことなんか思ってくれないのでしょう いつもそれを思って寝るのに夢で逢うこともできない。

 万葉の人々も心を惑わせながら夜の闇と向き合ったんでしょうね。そんな苦しい思いもニラ玉食えば立ち直る!なんて古式ゆかしい晩のおかず。万葉の心で雅にいただきました。いと美味しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬泥棒がいるらしい。

2015年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 近隣の村で不可解な事件が起きています。

 この数ヶ月で犬が7匹忽然と姿を消している事件で、それも外につないであったり檻に入っている猟犬などの中型タイプの犬が消えています。

 真っ先に思い浮かぶのは北朝鮮の拉致グループの暗躍で、あの民族は犬を食べますからね。犬とは言え頭だってシールズの学生よりはましなので、鍛えてテロリスト犬に教育するとか、あの国ならやりかねない。

 このところ犬を食べるクネちゃんの国からもテロリストまがいの人間が入り込んでいるので警戒は怠れません。

 子犬ならまだしも、成犬を盗んでいっても簡単にはなつかないでしょうし、中には人になつきにくい紀州犬なんかもいたみたいですから目的は何だろう?年末までに野犬刈りのノルマ達成が厳しくなった保健所が犬を拉致するとは思えないし、昔、千葉県のお寺で飼っていた虎が逃げ出して飼い犬が首輪だけ残して消えたなんて事件があったけど、県内ではエミューが逃げた事件もあったのでどこぞで飼っていた虎が?

 犬に吠えられることなく連れ去る、番犬さえ盗んでしまうのだからかなりの腕前の誘拐犯です。

 人相的には犬を食べても不思議ではない顔をした愛犬家の変なおじさんが心配して犬を飼っている家を回って注意を呼び掛けています。

 あの村の開拓団が移民した広大な農地では中国人研修生が農業実習をしていますが、この人たちが来るようになってタンポポがなくなったり、ヘビを見かけなくなったと言う話を聞きます。

 「中国人も犬を食うのか?」と変なおじさんは驚いていましたが、あの国の人間には食えない物なんかありません。でも、春先に来たニーハオ研修生もこの季節になると人間の食べ物に慣れてくるので変な肉を食べるようなことはなくなってきます。

 私の知人はこの9月に変なおじさんが見つけてきた秋田犬を飼っています。一か月くらい前までは首に唐草模様の風呂敷結びつけて豆太郎をやっていましたが、秋田犬なのでみるみる大きくなってしまいました。この季節は家の土間で薪ストーブの番をしているので、誘拐される心配はなさそうです。

 家の外で番犬も飼えない不安な山村。

 連合赤軍がアジトを作って仲間を殺していた1972年の冬を思い出します。

 雪が舞って少し積もりかけたら日が当たって溶ける。こんなことを繰り返しながらラ今月半ばには雪が積もりはじめるのかもしれませんが、年内に根雪ができないと年明けに振った雪は解けるのが早いので、夏水不足になる危険性がある。降っても困るし降らなくても困る。ほどほどの冬でいて欲しい。

 小鳥のエサ台に変身して獲物を待つ猫。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラーの使者か?レインボーマン

2015年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ私が生まれる前のことですが、千葉真一主演の「アラーの使者」と言うテレビ番組があったそうです。

 私は漫画本で見たことがあるだけで、どんなドラマかわからないのですが、月光仮面なんかの同類でしょうね。

 正義の使者がイスラム教。今の時代だったらドえらい問題になったかもしれません。戦後15年頃ですからキリスト教よりイスラム教の方にシンパシーがあったのかもしれません。インドネシアやマレーシアなど日本軍が行った地域にはイスラム国もありましたしね。

 ちなみに放送していたのはNET.現在のテレ朝系列みたいです。それも教育番組として。

 イラン、イラク、シリア、ヨルダン、エジプト、トルコなど中東のイスラム教の国に行ったことがありますが、こんな格好した人は見かけたことがありません。

 後に同じ作者でレインボーマンと言うマンガでこの姿が復活しますが、レインボーマンはインドの山奥で修業してきた超人です。

 レインボーマンは小学校の高学年の頃に放送されていましたが、レインボーマンの最後の方は経済事件を扱ったようなストーリーになっていました。

 悪の組織が「死ね死ね団だったかな?」が大蔵省印刷局の熟練技師を拉致して、一万円札の版画を作り、偽札をあちこちに大量にばらまく。すると日本人は贅沢になって働かなくなり、物価は超ハイパーインフレになって混乱すると言うストーリだったと記憶しています。

 小学生にはちょいと難しかったのですが、空から一万円札が降ってきて人を押しのけ拾い集めて狂喜乱舞する人々などの映像を見て、本当にこんなふうになるのだろうか?と疑問に思ったもんです。

  バブル景気の頃、羽根扇子降ってデスコで踊る姉ちゃんたちを見て、この漫画のことを思い出したことがあります。それでもそこは日本人、漫画ほど取り乱しはしていなかった気がしますが、現代中国を見るとレインボーマンの漫画も嘘ではなかったなと思えてしまいます。

 今年の正月頃でしたっけ?上海で札束が降ってきたら取り合いになって死者が出た事件があったのは。そういえば偽札天国ですもの、漫画と同じことが起きているんだ。

 民度の問題かな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻婆焼きそば

2015年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 本日の横着料理は麻婆焼きそば。

 要領はあんかけ焼きそばと同じなんですが、あんかけ焼きそばのように表面におこげがつく程度に炒めると言うのか油で揚げるのもありだと思います。

 が、あんかけ焼きそばの場合上にかける八宝菜に野菜がたっぷり入っていますからね。そこで今日は、野菜入りの麺にしました。

 と言うのも、キャベツもらったからで、キャベツだけでは寂しいのでモヤシを一袋買ってきました。モヤシ、19円です。

 焼きそばと言うとソースをかけたくなりますが、麻婆焼きそばの場合は野菜と麺を炒めるだけで味付けをしないほうが無難です。

 今回はキャベツとモヤシを袋半分、味付けなしでフライパンで炒めて合わせました。

 モヤシの残りは麻婆豆腐の中に混ぜてしまいました。麻婆豆腐は丸美屋の中辛。あまり辛くしたくなかったので仕上げのラー油もかけず、食してみると・・・激辛麻婆のほうが良かったかな?

 手間と金をかけずに一食済ませました。

 この1-2日お江戸の電車網でトラブルが続いているようです。新型車両のトラブルは新しい運転システムの不具合だそうですが、今日のトラブルは人身事故があったり電柱が倒れたり、ドアが開かなくなったりで「テロでもあったのでは?」と疑問が湧いてしまいました。サイバーテロならコンピューターに何か仕掛けてもあり得ますしね。

 工学系の考え方と言うのは不具合があったら原因を突き止めて治して直して完成させる。構築した理論は誰かに覆され、誰もやらなかったら自分で覆してまた煮詰めて行く老舗の秘伝のタレのような終点がない探求心で、こうして技術は築かれて行くものなんです。システムトラブルも実験段階で出なかったものが出てしまったのでしょう。原因を突き止めて改善すれば次の段階に進めます。

 原因を突き止めて変える。こういうことを嫌う人っていきなり完成した理屈を持ち出してくるので、それが間違えていても意地の感情論になって変われない。左巻きの人って多いですよね。原発問題だって進にも退くにも技術的な問題を解決するためにもっと研究しなければならないのだけど、それさえも議論の俎上にあげさせないでキャンキャンわめいている。

 既に70年代に社会主義は破たんしており、80年代の東側諸国倒壊でそれが具現しているのですが、基本的に自分の劣等感を転嫁している人たちですから、人様が興味を持ちそうなことにとりついて憑依して生き延びようとしている。

 沖縄基地問題だって、米軍基地利権にあやかろうとしている人たちと不満解消に騒ぐ場所を求めている人たちの利害関係が一致して騒いでいるに過ぎない。

 あんたらの大好きな自己批判して総括しなさいよ。

 鳩ポッポの車を取り囲んだとかで「草莽崛起の会」とやらが逮捕されたそうですが、法の下に平等なら米軍基地取り囲んでいる人たちも逮捕すべきでしょう。国会前で集まっている連中も逮捕すべきでしょう。幼い子供連れてあんな集まりに参加している親は「児童虐待」に問うべきでしょう。

 こちらもまた原因究明と対策が急務だと思うけど。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランスの歴史ってどうなの?

2015年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 同級生に借りていた「エンジェルハート」全33巻。二週間かけて読破しました。

 少年ジャンプに連載されていたころはラーメン屋でよく目にした漫画ですが、連載の雑誌が変わって題名も変わってからは時折どこかで見かけるだけになっていたマンガでした。アニメにもなっていたようですが、興味なかったので全く気がつかなかった。

 読み終えてみると、日本の漫画って世界で注目さるわけだなぁと改めて感心しました。このストーリー性やクオリティ。昔は漫画を読むと馬鹿になると言われたものですが、大江健三郎の小説読むよりははるかにましです。

 表意文字の漢字と表音文字の仮名を操る日本人なら、イメージをつかさどる絵と吹き出しの文字を操る感性が磨かれているのでしょうが、これだけ多様な発想が出てくる人々があふれているのも文化大国ですね。

 このところ、石原さとみが出ているドラマの素になった「5-9」と言うマンガもあると言うのでちょっと見せてもらいましたが、女性ものマンガは見慣れていないのでどれが石原さとみでどれがお坊さんなのかわからない。描き方が斬新すぎて話の内容がわからない。読んでいて疲れる。ここからあのドラマを作り上げたテレビ局のスタッフもすごい。

 一応戸籍上「女性」の同級生曰く、「少女漫画は感覚的な描き方をするから男性にはとらえどころがないかもしれない。」

 中学生の時には「ベルサイユのばら」にはまっていたのでフランス革命頃の歴史にはやけに詳しかった彼女が言うには「フランス人より日本人の方がこの時代のフランスの歴史に詳しいかもしれないよ。」

 たしかに、フランスの歴史教科書にオスカルもアンドレイも出てこないでしょう。ドゲメネ侯爵がマリーアントワネットをいじめたことなんかもフランス人は知らないでしょう。「ラ・セーヌの星」の正体が花屋の娘シモーヌだったことなんて中年以上の日本人しか知らないでしょう。

 「フランスの歴史ものならこれがおすすめ。」と段ボール箱から出してきたのはベルバラを書いた池田理代子の「栄光のナポレオン」。「ベルバラに出てきた人物も出てくるから時代的には近かったのかもしれないね。」

 バスティーユ監獄襲撃が1789年7月14日。第一共和政が1972年8月10日の議会での王制廃止から始まり、ブリューメルクーデターでナポレオンが権力を握ったのが1799年。ナポレオンが皇帝になったのが1804年。時代的に近かったのかもしれないじゃなくて連続して起きた事件です。いいなぁ、こういうことな~んも考えないで読んでいるから「幸せ~」なんだろうな。

 そういえば、ナポレオンがセントヘレナ島に幽閉されたのが1815年。200年前だったんですね。

 ヨーロッパの交通は自動車が右、人は左側通行ですが、ナポレオンが支配した地域はこのルールを押し付けられたそうです。イギリスはナポレオンに支配されなかったので日本と同じクルマが左で人は右の交通ルールです。

 ナポレオン同様ヒットラーも同じですが、英国とロシアを同時に相手にしては勝ち目がない。英国もロシアもヨーロッパの辺境です。辺境の民は地の利を持っていますし、うっぷんがたまっているのでタガが外れるとやることが豪快です。

 今年は聖飢魔Ⅱが活動する魔界復古の年ですが、ナポレオンが去ったフランスはルイ18世が即位して再び王政に戻る王政復古になり、そしてまた議会制に戻る第二共和政、国民投票でナポレオン3世のルイ・ナポレオンが皇帝になる第二帝政時代。1870年には普仏戦争でドイツにケロリと敗れて第二帝政時代が終わり、第三共和制に。紆余曲折して今に至っています。

 フランスでさえこのありさまだったんですから簡単に押し付けて民主主義が根付くと思っているのは浅はかで、日本だってはるかそれ以前に国民の意識下で民主主義が成り立っていたから明治維新があのスピードで成り立ったわけで、別に第二次大戦に敗れて身についたものではない。主権在民の意識は仁徳天皇の時代の「民のかまど」の伝説にもすでに表れています。

 中東に爆撃したところで民主化は難しいことで、結局は次なる強権独裁者が出てくるだけ。何よりも変えて行こうと国民の意識がなければただ混乱を招くだけ。習ちゃんやクネちゃんの国みたいに人民が国外に逃げだすことばかり考えている国に民主主義なんて無理でしょうね。

 子曰、貧而無怨難、富而無驕易 「貧しくして怨む無きは難く、富みて驕る無きは易し」貧しくありながら人を羨まないでいるのは難しいが、裕福でありながら傲慢にならないでいるのは簡単だ。順番を変えると裕福でありながら謙虚で傲慢にならないのは簡単だが、貧しい者たちが穏やかで人を妬まないことは難しい。フランス革命もこんなところから起きたんですね。それより。2000年も前から孔子が指摘しているにもかかわらず、いまだに理解していない中国ってステキ。

 ドラクロワは自由のために立ち上がる民衆の姿を描いています。

 民衆を導く自由の猫

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする