のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

さらし者にしたれ

2015年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ちょっと通りがかったので様子を見てきました。

 ってなに?連合赤軍山岳ベース事件で殺害された分子が埋められていた現場です。

 たまたま私たちが山林整備に入って、間伐して周辺の藪を切り開いたので世に出ましたが、それまでは人も近づけない藪の中で気が覆い茂って陽の光もあたらない場所でした。山本順一、大槻節子、金子みちよの3人が殺されてこの場所には山本・大槻の2人が埋められたはずです。

 山岳ベース事件のリンチでは29人いたメンバーの中で12人亡くなっていると思いますが、ここで殺された連中だってその前の殺人事件には関与していたわけですから同情する価値もありませんし、生きていたってろくな人間になっていなかったのでこれも天命だと思います。が、大槻、金子に至っては容姿も頭もいい(横浜国大)ことから首謀者の永田洋子の嫉妬が原因だったと言われています。

 否定に次ぐ否定、批判に次ぐ批判、そのいきつく先は排除に次ぐ排除で一番悪い奴が生き残る。地獄の黙示録ですな。

 冬も終わる頃でしたが、この事件が発覚して「まだ山の中に赤軍派が隠れているかもしれない」と通学の時に鎌や鉈を持った大人が同行し、今までカギをかけたことがなかった農家が鍵をかけるようになりました。浅間山荘事件まで一カ月前後だったと思いますが、緊張した日々を過ごした記憶があります。

 現場を見た大人が言うにはえらい死にざまだったみたいですよ。散々殴られて外に放置されて死んだ遺体を土の中に埋めたんですから。

 当然こんな奴らですから誰一人現場を訪れた痕跡もなく、年末になると我々が様子を見に来るのも、仕事柄関わった気持ち悪さのためでもあります。

 冥福。冥途に服して戻ってくるなよと言う意味に思えて使わないようにしていますが、この連中に関しては地獄の窯の中に永久に閉じ込められているのがふさわしい。たまたま殺害と言う死にかたをしただけで、銃砲店襲撃や鋼板襲撃などのテロ行為に加担していたんですから情状酌量の余地もありません。加害者にならなければ被害者になるだけの力関係の中で結構後半まで生き延びていたのですから。

 この事件を新聞やテレビで見て、子供心に『一番ブスが生き残った』と思ったもんです。

 地形から察するとこの林のあたりが掘り返した痕跡を感じるので、実際に埋められていた場所なんでしょう。

 逆光とカメラのレンズにつけたフィルターが手脂で汚れていたんでしょう。オーブじゃないですよ多分。

 今のシールズなんかよりは勉強していたと思うのですが、20代の若者の考えることはまだまだ浅はかです。第二次大戦を「愚かだ」「無駄死に」と揶揄しつつ、それ以上に無駄で愚かしいことをやらかしていたのですからお笑いです。

 こうした馬鹿連中のおかげで我々世代は余計なことに頭を回さないように過酷な詰め込み教育にさらされたのですが、やがて下の世代ではその歪みが出て校内暴力が発生する。殺伐としすぎた受験戦争世代が癒しを求めて走ったのがオウム事件。ゆとりが必要と方向を変えたらゆとりすぎて馬鹿学生が蔓延する昨今。一番重要なのは親や家庭のしつけだったんじゃなかろうか?

 馬鹿は死ななきゃ治らないとはよく言ったものだけど、連合赤軍事件で死刑判決が出たにもかかわらず刑が執行されないのはなんで?

 連合赤軍事件のメンバーの中には娑婆に復帰した連中もいるみたいですが、自分たちの犯罪現場の掃除くらいやれ。

コメント (4)
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