のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

害虫

2014年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、園芸に詳しい知人のところに昨日のコラムに書いたライラックの害虫駆除について相談に行きました。

 

 「ちょうどいいところに来た、コーヒー飲みに行こう!最近はまってるんだ!」と知人の軽トラに乗り込み出かけると、この家の近所の農家のおじさんが道路を歩いていました。腰が曲がったと言うと前方向に傾いた状態を言いますが、この新世代老人は左側に25度傾いた、横に腰が曲がる新しいスタイルで歩いていました。

 

 農薬にやられておかしくなったのだろうか?否、田植えが終わって一杯飲んで家に帰る途中なんだそうです。

 

 横に体が傾いているから当然真っ直ぐ歩けない。畦道を田圃に落ちそうになるとオットットと、くるりと身をひるがえして道路を横断するように右側に、やがてだんだん左側に寄ってきて田圃に落ちるぞとすれすれでオットットと、また身をひるがえし。ボリショイサーカスのピエロのごとき身のこなし。名こそ知らねどかなりの使い手と見ました。

 

 酔っぱらいのおじさんが家に入るのを見届けてからコーヒーショップにGo!と思っていたらファミリーマート。

 

 「都会も田舎も変わらなくなったよなぁ。」とコンビニの駐車場に停めた軽トラの中でカフェラテ飲みながら農薬談義を聞きました。

140516c  害虫と言えば、昨年害虫にやられて大打撃を受けたブルーベリーが花をつけました。

 

 枯れたかな?と心配していましたが  何とか息を吹き返したみたいです。

 

 昨年、害虫被害が出始めた時に殺虫剤撒かなければいけないかな?木酢で対応できるかな?と迷ってしまい、多分、2-3日の問題だったと思いますが、手遅れになってしまいました。

 

 「決断と実行」政治より農作物に重要です。

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リラの花咲くころ

2014年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 みなかみ町の陶芸家が金銭のもつれで東京の古物商を殺害する事件が起きて、報道でもにぎやかになっているようです。

 昨日たまたまこの陶芸家の店の前を通った知人はパトカーが何台も停まっていたので、何かあったのかな?と気になっていたようです。私はラジオでこの事件を聞きましたが、この陶芸家のことは知りませんでした。

 

 10年ほど前に長岡の方からやってきた人らしいのですが、この20年ほどでこうした芸術家?がずいぶん移り住んでいます。

140515 さて、血なまぐさい話はここまでにしておきますか。

 

 オオデマリの白い花の中に赤い花弁のようなものがあったので、何か突然変異でも起きたのか?と覗いてみたら、八重桜の花びらの残骸が風に飛ばされて落ちてきたようでした。

 

 オオデマリの白が背景になったこともあり、八重桜のピンクがやけに濃く感じましたが、命を終えてもサクラです。

 オオデマリはアブラムシをはじめ虫を寄せ付けるので、毎年木酢などで手入れをしていますが、近くに植えたライラックも害虫に弱い木です。根元にカミキリムシが入り込んだ跡を見つけたので早急に手を打たなければなりません。

140515a 「若草物語」を書いたルイザ・メイ・オルコットの作品の中に「ライラックの花の下」と言う小説があります。「リラの花咲く家」と言う題で小学生向けに出版された本を学級文庫で読んだことがあります。

 

 サーカスから逃げてきた子供がこの木の下で倒れていて、通りがかった人に助けられて人間らしい生活を歩む物語だったと記憶しています。

 

 ライラックとリラは同じですが、宝塚歌劇団のテーマソングの「すみれの花咲くころ」の原曲は「リラの花咲くころ」と言うシャンソンだったそうです。日本なら寒冷地でなければ見かけないリラの花よりすみれの方が印象深いと思います。

 

140515b

 すみれの花咲くころと言えば、今、ハート型の葉っぱを持ったタチツボスミレが路傍のあちこちで咲いています。

 

 そうか、宝塚つながりでライラックの木陰にタチツボスミレでも植えてみようかな?などと思いついたので、まずは害虫のことを調べなければなりません。

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君影草

2014年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 例によって、例のごとく、なんか食い物落ちてねぇかなぁ、と森の中を歩いているとギョウジャニンニクの群生地を発見しました。

140514 お~これは、これは、美味しいものを。と近づいてみると微妙に違う。

 

 ギョウジャニンニクではなくスズランの群生地でした。

 

 食えないどころかスズランは毒草です。コンパラトキシンなどの毒物が あり、食べれば人が死ぬこともあります。

 

 何だ食えないのか、あ~つまんねえ。と立ち去ってしまってはそこらへんをうろついているクマやイノシシや失踪中国人と変わりがありません。

 

 心豊かな人類である私は食い物にならない毒草とは言え、スズランの花をめでる雅な感性をお持ちでした。ありがたやありがたや。

140514a 君影草、谷間の姫百合などの別名を持つスズランですが、スズランと言う呼び方も情緒ありますが、葉の陰に寄り添うように咲く花を君影草なんてそれだけで名前に物語があります。

 

 食べられない花にもこんな物語をイメージさせるいにしえの人たちの感性には敬服してしまいます。

 

 同じスズランでもドイツスズランは塔が葉の上まで伸びて花をつけるので君影草ではないんです。ヨーロッパはレディーファーストなんですね。

 

 晩飯のおかずのことは置いといて君影草をながむれば、葉の陰に寄り添っているのだろうか?葉が花を包むように守っているのだろうか?愛情物語を思わずにはいられません。

 

 もしドイツスズランのように花が目立っていたらギョウジャニンニクと間違えて覗きに行くこともなかったでしょう。上から眺めたのでは葉っぱに隠れて花が咲いているのかもわからない君影草。目線を下に落として這うようにして花のつぼみを見つけました。

 

 今週末か来週にはスズランに花のシーズンが来るのでしょう。

 くれぐれも食べられませんからご注意を。

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地域ブラック企業

2014年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 従業員を過酷に酷使するブラック企業が取りざたされるようになったのはこの4-5年でしょうが、景気が好転するとこうした企業は人材難になるのではなかろうか?あくまで景気好転が達成されるとですけどね。

 

 地域ブラック企業なら周囲を見渡せば結構多いんじゃないかと思いますが、こうしたブラック化した中小企業は長年働いている人にとっては居心地が良い会社みたいです。要は自分たちが居心地よい保身のシステムを構築すると、新しい従業員を粗末にするシステムになるようです。

 

 面白いことにこうした地域ブラック企業の経営者同士は類は友を呼ぶのか仲が良い。他業種間の取引や選挙の応援など、不思議とつながりを見せ、当人たちも気がつかないうちにダーティーなネットワークを構築しています。

 

 金正日を「立派だ」と褒めている社長にあったことがあります。たしかにその会社の従業員は北朝鮮人民に通じる悲惨さがありましたが、このオヤジが何を評価していたのかと言うと後継者作りだそうで、要は雇われ専務や常務を抑えて自分の馬鹿息子を後継者の据えたいだけだったみたいです。

 

 そういえば、麻生政権最後、民主党が圧勝したあの選挙の時、地域ブラック企業のほとんどが民主党側を推していました。

 

 思うに、こうした企業は歴史が浅い成り上がり企業なので、自分たちが主導権を握るには新興政党に加担する方が得策と考えたのでしょう。たしかに、麻生政権の時にはリーマンショックや個人の貸し出し総量規制を可決したりで、経済的には大変な時代になってしまったのですが、「今が俺たちの出番!」と読んだんでしょうね。

 

 蓋を開ければ民主党はあのざまだったんですが、「私はもう自民党には投票しません。党員も脱退しました!」と従業員の前で演説した社長もいたけれど、3年過ぎてみればいつの間にか自民党候補者の決起集会の末端で息を潜め参加ている。

 

 「社長、世渡り上手ですね。」と、小声で話しかけると「そういうこと、こんな場所で言うなよ。」と恥ずかしそうに声を潜めていたりしますが、このデフレ不況の時代を見てきたら、生き残るどころか成長した地域ブラック企業の経営方式は時代に合っていたのかもしれません。



 むしろ労組がバックアップする保身政党の民主党時代の方が労働安全に対する役所の取り組みが甘かったので連中には都合よかったと思うのですが、最近労基もダーティーな企業への取り締まりが厳しくなっているようです。

 

 最近、こうした地域ブラック企業の中で言葉の通じない従業員を見かけることが多くなりました。ニーハオ系の従業員ですね。
 何年も給料値上げしないものですから従業員が景気の上向いた地域に引っ越してしまい、悪い評判がみなに知られているので新規採用に応じる人もいない。苦肉の策と言うわけでもないのでしょうが、安い給料で雇える従業員を求めたら怪しい外国人に至ったようですが、多分不法滞在の連中でしょう。
 「俺は働く場を与えてやっているんだから人助けだよ。不法滞在かどうかは俺にはよくわからないから事務の方に聞いてくれ。」と責任は部下に押し付けるのが恒例なのは今までと同じでしょう。

 
 
 地域ブラック企業さすがだな!と感心するのは、人使いの荒さで怪しい外国人も短期間で逃げ出すみたいで、やっぱ日本人の忍耐力は大したものだったんだなぁと感慨深い思いもします。もっとも、こんなさすらいの外国人ができる仕事量などたかが知れており、とても戦力として計上できるレベルではなさそうですが、人なんざいくらでもいるという経営者には都合が良いのでしょう。間で管理する人にはたまったもんじゃなさそうですが。

 
 
 地域ブラック企業がどうなろうが「自業自得」で知ったこっちゃありませんが、この悪党ども冷静に見ていると結構滑稽です。事実は小説より奇なりで、おおやけにできない怪しい話を多々耳にしますが、やってることは詐欺まがいの連中、恥を知らぬということは強いものです。

 

 ブラック国家から人民が逃げ出す時代、地域ブラック企業からも従業員が亡命するようになりました。この地域以外は景気が上向いているのでしょう。良くなるのか悪くなるのか?どうなんでしょうね。

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南沙諸島

2014年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 南シナ海では中国とベトナムの船が水かけっこをしているようです。問題はいつ液体から固形物に変わるかで、集団的自衛権が注目されるタイミングになってきました。文字通り水掛け論では済まされない事態が起きそうです。

 

 それにしてもさすがベトナムは立派だな!と感心したことなんですが、中国船の体当たりを早々にビデオ公開しましたね。国際社会の目線が一気にベトナムに傾きました。主張すべきは主張する。日本の失敗を学んでいますね。

 

 尖閣の中国船体当たり事件は何だったんだろう?仙石と菅が望んでいたことは何だったんだろう?あれで戦争に突入するようなことがあれば「外患誘致罪」もしくは「外患援助罪」適用できたんじゃなかろうか? 彼らの好きな「総括」をすべきだと思うけど。

 

 あいまいな日本人は美徳だとは思うけれど、あいまいにしてはいけないこともあるもので、あの尖閣事件はあいまいにしてはならない事件だと思うけど。

 

 NHKはベトナムの海上警察が中国船に体当たりしたと報道したみたいですね。ただの誤報で済ませてよいものだろうか?

 

 被害者の皮をかぶった加害者を装い合戦。メディアや中韓が好む戦術ですね。左巻き日本人もね。

 

 ベトナムとはプチ戦闘状態に入り、フィリピンとも怪しくなってきました。

 

 フィリピンはコラソン・アキノの家系が福建省の華僑だったこともあり、中国とは蜜月の頃もあり、スービック米国海軍基地の返還などを行いましたが、これが中国の侵略のターニングポイントにもなりました。多分、彼女の今後の歴史的な評価が変わることでしょう。

 

 それより、中国内部で爆破テロ事件や暴動が相次いでいるのでややこしいことになると思うけれど、人は堀 人は石垣 人は城、人を粗末にする国も企業も末路は無様なものです。

 

 製造拠点が中国からベトナムや東南アジアに移行している昨今、あの界隈で悶着が起きると影響が大きいと思うけど、結果的に日本製が安かったなんてことになるんじゃなかろうか?

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薬師様

2014年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

140511_1 地元の薬師様のお祭りでした。

 

 オラが村の春祭りもこれでだいたい終わります。ここから先は収穫の季節まで野良仕事が農村の民俗なんですね。

 

 大方の地区のお祭りはb神主様が来る神道系のお祭りなんですが、この地区は修験道の法院様が来る仏教系のお祭りです。

 

 社務所での祈祷が終わると、大まかに地区の12か所の密教系の仏様や八幡様などの神様の祠を回って祈祷します。神様どころか閻魔様まで祀ってあります。

140511_3 怪しい白い液体。健康に良いしぼりたて牛乳ではありません。幻の密造酒どぶろくです。一応、世間的な名称は甘酒です。

 

 今年はどぶろくをオンザロックでふるまう新規格。氷で冷やしさらに湯呑に氷を入れて冷やしたどぶろくが本日の温かい日差しには心地よい。

 

 一説によるとどぶろくは夏の飲物だったとか。たしかに夏の温かい季節の方が酵母の発酵が活発です。寒仕込みと呼ばれる冬の仕込みは農村が冬の農閑期に入り人手があることと、秋に収穫物を売って金がある時期の方が酒が売れるからと聞いたことがあります。

140511_5 どぶろくとはいってもほとんどアルコール度数のない飲み物なので「じいちゃんみたいになるんじゃねえぞ!」と、子供にもふるまいましたが、子供には苦みがあるようでした。

 

 おじさんたちはこのどぶろくをさらに日本酒で割って飲んでいました。

 

 だいたいどのおじさんたちも密造酒造りには腕に覚えがあるのでこうした機会に怪しい情報交換がなされます。

 

 話題の中で、昨今問題になった3Dプリンターで拳銃を作ったバカの話になり、3Dプリンターでどぶろくは作れねぇものだろうか?と、もっと馬鹿な話題に話は進みました。

140511_4 昔はシイタケの鉄板焼きをやっていると、誘蛾灯に集まる害虫のように酔っぱらいのおじさんが寄ってきたものです。

 

 シイタケに関係なく会場の一角はしょうもないおじさんたちのたまり場となりました。昨日の泰寧寺での施餓鬼法要でも顔を合わせたメンバーですが、自分たちが仏様のご加護で酒の施しを受けている餓鬼だったんだな。とわが身の在り方に気がつきました。これぞ仏の功徳です。般若湯です。

 

 子供たちの福引とは別によそから来た客人たちへの福引コーナーがあり、おみくじになったくじを引き、大吉や小吉が出ると障害者の施設で作った木工作品や割り箸のセットのプレゼンント。大凶が出ると下駄のプレゼント。大吉が一番安い景品で大凶が一番良い景品。喜びほどほどに、人間万事塞翁が馬。運がなくとも歎くでないと、バランスですね。

140511_9  良い子の皆さんには健全な福引があります。景品はジュースやお菓子ですが、面白いもので当てる子供は毎回良い景品を当てます。

 

 私は子供の頃からスカばかりなのでこうした運は持ち合わせていないタイプなんですが、当てる雰囲気を持った子供がいるんです。

 

 写真のお子さんもこのあと一等を当てましたが、景品には全く興味がなく、大当たりの鐘をカランカラン鳴らすことが一番楽しかったようです。

 面白いもので「当てるぞー!」と意気込んでやってくる小学校の高学年は大体スカ。なんだかわからないけどへんな機会回すのが面白そうと。欲のない小さな子供ほど大きな景品を当ててしまいます。

140511_10  婦人部の奥様方が作っているうどんとおでん。今では春のお祭りだけの出し物になりましたが、毎年のお楽しみです。

 

 温泉玉子はこれぞ本物の温泉玉子で、今朝温泉の源泉で茹でた卵です。温泉玉子を作るに程よい温泉が湧きでています。

 

 おでんも鍋を持って買いに来る人も多く、この界隈のちょっとした名物になってきました。

 

 後日、今日祈祷してもらった薬師様のお札が各家庭に配布されることになりますが、お札の配布が今年の私の役目。

 

 地区の役の大半はよくよく考えると神仏がらみの宗教行事で、ほとんど意識することなく生活していますが、公の清掃や花卉の植え付けなども野仏や祠がその言い訳に使われています。

 

 なんだかよくわからないけれど、神様や仏様のためならやらなきゃならないだろうと考えるのか?人間中心になるとこういうことが非合理になって、清掃なんか役所や業者に委託すれば?なんて話になるんでしょうね。

 

 こうしたあいまいな宗教心って日本の美徳だと思うけれど。

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大施餓鬼会

2014年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

140510_22a 泰寧寺の大施餓鬼会に行ってきました。近隣の曹洞宗寺院の僧侶を中心に十数人。読経も迫力物でした。

 

 施餓鬼と言うのは読んで字のごとく餓鬼道に落ちた亡者に水や食べ物を施すことなんですが、あえて国名は挙げませんが餓鬼道に落ちたようなあさましい隣国に施しをしても、功徳どころか欲を深めて罪を深めるような気もします。

 

 なんてことを法要が始まる前に顔なじみの参拝者と甘茶飲みながら話しました。基本的にあさましい我々がこういう供養に顔出して良いもんだべか?餓鬼に功徳どころか、餓鬼を元気づけてしまうんじゃなかろうか?

140510_21 アマチャはヤマアジサイの変種で、その葉っぱを蒸して乾燥させて煎じた飲み物。アマチャヅルは本来にアマチャとは違う植物だそうです。

 実は私もお墓の周辺にアマチャを植えており、梅雨時になると赤っぽい花が咲きます。 その葉っぱで甘茶を作ってみたことがありますが市販されている甘茶のような甘味は出ませんでした。

 子供の頃花祭りがあって、旧暦の四月七日だったから今頃の季節だったのだろうか?祖父母に抱きかかえられて仏像に柄杓でお茶をかけた記憶があります。今日、甘茶のまじまじと仏像を見たら右手を天に左手を下に向けて「天井天下唯我独尊」を意味していることに気がつきました。

 お釈迦様生誕の時に天に九匹の龍が現れて甘露の雨が降ったという言い伝えから、甘茶をかけるんですね。

140510_27 曹洞宗寺院の東司(トイレ)によく祀られている烏芻沙摩(うすさま)明王。

 

 元々はヒンドゥー教の神様で、炎の神様とされています。

 

 不浄なものや悪い人間を焼き尽くす神様と言われていますが、トイレの神様になってしまいました。東司本尊と書かれていますね。

 

 昔は家のトイレにこの明王の絵を掲げている家庭もありましたが、子供心に怖かった記憶があります。

140510_31 読経の合間に抜け出して本堂の周辺を散策してきました。

 

 大人数での読経の声は本堂の壁を貫いてかなり遠くまで聞こえました。

 

 本堂の中には桃山時代に作られたとされる欄間と須弥壇が県の重要文化財になっていますが、法要の最中で見ることができません。

 

 もう一つの県の重要文化財の山門を探索することにしました。山門は比較的歴史が浅い建物で1775年に竣工されたと言われています。

140510_3 この山門、当然釘など一本も使っていない建物ですが、今でいうところの「柔構造」の建物です。

 

 山門上部に重量物が乗っかっている構造ですが、地震や強風の時に上部と下部が別の動きをすることで力を逃がす構造になっています。

 

 子供の頃はそんな有難いことなどからっきし考えないでこの周辺はかくれんぼの名所になっていました。

 

 山門を支えている12本の柱は1本のケヤキの木からとったものだそうです。

140510_39 入須川と言う地区に大影と呼ばれる場所があり、大きな欅の大木でこの集落が影になっていたことからその地名がついています。

 

 この大欅が山門建築の時の材料に使われたそうです。

 

 ケヤキの木は硬くて丈夫な木ですが狂いが出やすい木なので、伐採してから背割りと言って立てに切れ目を入れて何年も放置して狂いを出し切ってから建材に使うことが好ましいとされています。

 

 山門の下から天井を眺めると天女や龍の絵が描かれています。

140510_28 なにげに本堂の入り口に置かれた 本。

 「新しい日本の歴史」「新しい日本の公民」「やっぱりおかしい新歴史教科書」「初めての道徳教科書」「13歳からの道徳教科書」「日本がもっと好きになる」。

 お~良書が並んでいるな!と感心しました。

 私が小学校の頃には「道徳」と言う授業があり、教科書も配布されていましたが、小学校5-6年ごろには教科書が配布されなくなり、上の学年に進級するときに教科書を寄贈する形になりました。

 道徳とは真逆の悪ガキだった私の教科書は落書きだらけだったはずですが、後輩たちはその教科書を使ったんでしょうね。

 道徳の教科書に出てくる逸話は今でもいろいろ憶えています。

 小学生の頃「クォーレ」と言うイタリアの子供向け小説を授業で取り扱ったことがありました。「クォーレ」は「心」と言う意味です。イタリアの道徳教科書みたいなものですね。この中に「母を訪ねて三千里」の話も出てきます。

 以下、写真だけ。クリックすると少し大きな絵になります。

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雀百まで

2014年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

140509  「雀百まで踊り忘れず」若いころに身につけたことは年を取っても忘れないということわざのようですが、「三つ子の魂百まで」なんてことわざもありますね。

 

 村の八十八歳のおばあさんですが、足腰が達者で踊りが上手です。その昔は盆踊りあらしとしても名をはせたそうです。

 

 末の娘が私の同級生で近くに嫁いでいるのでちょくちょく様子を見に来ているそうですが、この冬は介護保険を使って介護施設にあずかってもらったそうです。温かくなって戻ってきたと聞いたので山菜もって顔を出してみました。

 

 私がこの冬ぎっくり腰で半分寝たきりの父の世話をしていた話や、その他もろもろの世間話をしていたのですが、一寸目線が気になりました。少しボケが始まっているのかな?と感じましたが、話の話題はかみ合っているし、「歳だもんな」と思っていました。

 

 そのうち、私の同級生の末娘がお茶をもって顔を出したのですが、末娘に深々お辞儀をすると「ご丁寧にありがとうございます。」

 

 あれ?と思ったら私に向かって「こちらは担当の看護婦さんなんですよ。」と自分の娘を紹介します。ふざけているのかな?と半信半疑で眺めていると、「こちら様は私の末娘の同級生で・・・」と私のことをその末娘に紹介しだしました。

 

 あ、完全にボケてると察しましたが、歯車がかみ合ったのか?私のことは憶えていても、一方では歯車が空回りして自分の娘を思い出せない。家族は辛いだろうな。逆らわず「お初にお目にかかります。」と同級生に挨拶しましたが、こんな姿を見せたく無かったろうなと気を使いたかったのですが、どうすればよいのかわからず、笑いが止まらなくなってしまいました。

 

 雀百までではありませんが、音楽がかかれば踊りの方は達者みたいです。

 

 自分が年老いても身についている技と言えば?・・・よく食べることかな?

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やっぱクオリティー

2014年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 冬の間お江戸方面に出稼ぎに出ている大工さんに会いました。
 東京オリンピックのこともあり、にわかに活気づいてきたお江戸建設業界らしいのですが、職人さんが不足しているようです。田圃仕事が終わったらまたお江戸に戻るそうです。

 

 人手不足と言えば、外食チェーン店なども人手不足を口実に24時間営業をやめて営業時間を短くするようになったようですが、本音は深夜営業がもうからないからでしょう。相応の時給出せば人は集まるはずですし、そうすれば採算が合わない。それだけのことでしょう。

 

 かつてなら東北方面から冬の出稼ぎで出てきましたが、こうした職人さんも高齢化したり、多少給料が安くても地元で安定した別の仕事に就いた方がいいと転職してしまったりで、なかなかよい人材が見つからないそうです。
 
 人材不足には東北の震災復興の影響もあるのでしょうが、この大工さんのかつての仲間は被災して生活保護を受けて仮設住宅に暮らしているため、働いてしまうと生活保護が止まり住むところも出なければならないから働かないのだそうです。

 

 かつて鳴らした腕も現場を離れれば鈍るし、いい加減な仕事を嫌うプロは自信がなければ腰を上げない。
 「どうせ4ー5年もたてばまた建設不況になるのだろう」と、はなからこの人材不足を信用していないみたいですが、不況を口実に人を粗末にしてきた結果が出ている気もします。

 

 安部政権誕生の年末から早速公共工事請負の職人の労働単価は値段が上がっています。それなりに上がった値段で入札、落札していますが、実際に現場の人たちに支払われている労働賃金に反映されているかと問われると、どこに消えてしまったんでしょうね?
 
 企業としてもここでうっかり給料をあげると後が大変なことになるから慎重にと言う算段なんでしょうが、こうしたことにもチェック機能が作用しないのはおかしな話です。うっかり査察に入って指名停止になればこれまた現場労働者にしわ寄せが来るので企業側も人質を取っているような気になっているのでしょうが、経営者なり担当者の身柄を拘束して、現場で強制労働でもやらせれば心を入れ替えるでしょう。

 

 単純に外国から労働者を入れれば解決すると考えている人も多いようですが、建設工事や土木工事がそれほど簡単なものなら、お役所の好きなボランティア集めて何か作ってみればよくわかります。

 

 最近、クォリティーを軽んじているような気もします。見た目を同じようにするなら中韓だってできるけれど、細かなクオリティーの違いが耐久性や寿命に大きな差を生みます。

 

 近年、労働力の安さで海外生産した日本メーカーの家電製品も質が悪くなりました。特に政治家の劣化はひどすぎる。連中本当に日本人なのか?

 人口少子化に合わせて生活も製造もクオリティーに移行する時代じゃないのだろうか?

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甘栗

2014年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 子供の頃、関西の親戚が必ず土産に持ってきたのが天津甘栗でした。当時は天津甘栗ではなく、ただの甘栗とかシナ栗なんて呼んでいた覚えがあります。

 

 うろ覚えですが、岡山県あたりで栽培していた栗だったと聞いていますが、こちらの栗と違って渋皮が栗の実に密着しないので剥きやすい栗です。

 

 原理は石焼き芋と同じで小石経由で熱を伝えて比較的低い温度で長時間熱することによって甘みを引き出す方法です。小石に水あめのようなものをかけるのを見たことがありますが、光沢を出すためなんでしょう。栗の皮を伝わって甘味は届きません。

140507 お好み焼きやたこ焼きと同じようにお祭りの屋台を通じてこちらにも天津甘栗が伝わってきましたが、かつては客寄せにもなった「中国名産」の看板が今では客が怪しがる要因になっているようです。偽装表示よりましですが。

 

 この冬はストーブで甘栗を作って食べました。家の玄関前の栗を拾って集めて冷凍庫にしまっておき、冬、鋳物の鍋に河原で拾ってきた小石を入れて、ストーブの上で熱して芋や栗を焼いて食べていました。

 

 中国には天津甘栗はありませんが、屋台の甘栗はありました。日本の甘栗のように黒い小石の入った釜で栗を焼いていましたが、熱源が石炭なので石炭の煤で石が黒くなったのか?疑わしい代物でしたが、一応安全な部類に入る食べ物とされています。

 

 近年、玄関前の栗の木がクマを呼び寄せるので切り倒そうか?と思案中です。家の周辺に大きくなる木があると、後々厄介なことになるので、まだ人力で何とかなるうちに切り倒さねばならないなと考えています。

 

 でも、せっかくだからこの秋に実を食べてからと躊躇すること10年。ドッシヨーカナー。と考え中です。

 

 さて、話は変わりますが、この秋開催されるトレイルランニング。120kmコース、60kmコース、30kmコース。

 

 エントリーが始まりましたが、既に120kmコースは満員、60km若干空きあり、30kmコースまだ空きがある状態だそうです。この連休には試走に来た人80人。まだ山の上は雪があって走れる状態ではないのに。宿泊施設の確保も忙しくなった模様です。

 

 山の中のコースは登山者とブッキングしないように、トレイルランニング専用コースになる計画で、廃道になった林道や古道を復活させるコース作りになりますが、そのコース整備がなかなか進みません。二人で整備しなければならないので大仕事なのですが、「9月の大会でしょう」と役所がのんびり対応しているようです。

 せめて梅雨入り前に試走できるよう手を入れたいのですが、まだGoサインが出ないので焦っています。

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コットン水車

2014年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 もずが枯れ木で泣いている おいらは藁をたたいてる 綿引き車はおばあさん コットン水車もまわってる。

 

 サトーハチローの「もずが枯れ木で」と言う詩です。小学校一年生の時に満州帰りの先生にこの歌を教わりました。後に岡林信康が「もっとも静かな反戦歌」と称していましたが、サトーハチローがこの詩を発表したのが昭和10年。目立たなかったとはいえ、反戦歌であるなら戦中にご禁制になっていたはずです。

140504c_5  サトーハチローが昭和10年に発表した詩と、後に反戦歌として流布した詩では微妙に違うそうですが、今回の話題は水車の話題です。

 コットン水車とは?水車がコットンコットンと鳴らしながら動いているようなイメージがありますが、これは水車の音ではなく水車小屋の機械の音なんでしょうね。

 

 それより、私の住む地区では円形の水車ではなく羽根型の水車のことをコットン水車と呼んでいました。

 

 私が幼少の頃は水路の水を利用して米つきや粉ひきなどに水車が活躍していましたが、多くはコットン水車と呼ばれる羽型の水車が、羽根が2枚の物もあれば4枚の物もありました。多分こちらの方が製造するのに簡単だったんでしょう。

140504c_13 今の時代、コメの精米も100円精米機ですし、粉ひきも農協にもっていけば簡単にやってくれるので、水車を動力源として使うこともなくなりました。

 

 実は水車のエネルギー効率は馬鹿にできないもので、近年の発電機では効率が良いのでちょっとしたエネルギー源になります。

 

 昔はこんなものを使って発電しようものならすぐに東電が電気を止めて独占していましたが、今は法律も変わり決して高くはないものの売電も可能になりました。水路の水も一年中安定して流れているので、有効利用する発想を持ちたいですね。

 

 ところで、意外と気にしていないのは電気の「質」のことで、一定の安定した電圧を供給するのはなかなか難しいようです。中国など、今でも時折過電流が流れて電気製品が燃え上がったり焼け切れたりのトラブルが出ます。そのため各家庭で電圧を安定させるトランスを買ってそこから電気を引く手間をかけなければなりません。

 

 電圧の安定も先進国の目安なんですね。

140504c_8 村のコットン水車のふもとに水芭蕉の花が咲いていました。

 

 水芭蕉は里芋の仲間で、地下茎でふえる植物ですが、この地下茎は恐ろしいほど深い場所に根付くんです。

 

 水芭蕉泥棒しようと思うなら沼の下を2mほど掘る根性がなければやれないでしょう。

 

 さて、この連休中の話なんですが、近隣の街の知人から電話がありました。この知人が仕事で出入りしている家のお嫁さんは中国から来た人で、この冬お母さんと妹が来日したそうです。

 

 お母さんは1か月ほど滞在して帰国しましたが妹がまだ日本に残っており、「日本で暮らしたいから誰か結婚させられないか?」と言うので、そんな馬鹿なことに加担してはならない、親切があだになると説得に行ってきました。

 

 人が良い人間なので頼まれれば嫌とは言えないのでしょうが、想像するに既に滞在期間が過ぎたオーバーステイ。帰国したらしばらく日本のビザは取れないでしょう。国際結婚するためには婚姻要件具備証明書が必要なのですが、それを得るためにも帰国しなければなりません。すでにアウトなんです。

 

 ついでに予言しておきました。そのお姉さんも日本の永住権を得たらドロンと消えるよ!永住権ではなくとも3年のビザを得たら消えるよ。と脅かしておきました。真っ当に暮らしていこうと考えればいくら中国人でも法律を無視するわけがありません。それに、そこまで頭が回らない馬鹿が日本に来たところで生きて行けるはずがありませんし、そんな者の面倒を見るほどの余力はありません。

 

 「君子危うきに近寄らず」中国の偉い人も申しています。変な期待を与えるよりも。関わらないのが最高の親切です。

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歴史なのかな?

2014年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

140504c_14  竹林にロシア正教の教会に端午の節句の昇り旗。

 明治18年にこのロシア正教会を村にひっぱってきたのは本多マサと言う女性で、前橋あたりの製糸工場で働いていたこの村の人物でした。

 

 この製糸工場の主がイオアン深沢と言うロシア正教徒で、ここに函館のハリストス教会から指導に来ていたパウェル沢辺と言う司祭は土佐藩の出身でした。

 

 かつての名前を山本琢磨と言い、武市半平太らとともにお江戸に剣術修行に来ていましたが、酔っ払って商人を脅す強盗まがいのいたずらをしてしまったために、武市から切腹を命じられます。そこに登場するのが坂本龍馬で山本琢磨を江戸から逃がします。

 

 坂本龍馬のことですから「おまんは土佐には戻れんぜよ。はよう逃げてしっかと生きぃや!」

 なんて言って送り出したんでしょうね。もし龍馬が土佐藩ではなく尾張藩だったら?「でらだちかん、おみゃぁは名古屋に戻れないだぎゃー。ほんだもんで体に気ぃつけやぁて、きしめんだでよ。」と、逃げた先が大阪で、ご禁制の串カツのソースの二度漬けをやってしまい斬り殺されていたかもしれません。

 

 山本琢磨が東北を経て函館に逃げる手助けをしたのが郵便行政を作った前島密だったと言われています。函館で神社の宮司の娘婿になり沢辺の姓に変わりますが、そのころ函館で伝道にいそしんでいたニコライに疑念を抱き暗殺しようとします。ところがニコライに世界の情勢や海軍の重要性などを説かれて弟子になってしまい、ロシア正教の伝道師として前橋を中心に活躍することになってしまった人物です。

 

 坂本龍馬の機転がなければこの地に教会ができただろうか?なんて考えると歴史って偶然なんだろうか?必然なんだろうか?

140504c_11 歴史の偶然と言うより歴史のミステリー。

 

 淳仁天皇のお墓と言い伝えられている石塔。

 

 淳仁天皇とは天平時代の天皇で、天武天皇の孫。天皇の歴史上で唯一廃帝になった天皇で、都を追われて淡路島で亡くなったとされ、淡路に陵もあります。

 

 なぜこの天皇のお墓が縁もゆかりもないこの地にあるのか?考えられることは藤原氏の影響ではなかろうか?なんて考えています。淳仁天皇の背後に藤原仲麻呂が絡んでいます。

 

 この地にも「藤原」の名がつく土地もあり、藤原一族の伝手を頼りに逃げ延びてきたのか?などとも想像できます。

140504c_9 だいたい、天平の時代にこのあたりはまだ大和朝廷に支配された日本ではなかったと思います。

 

 人跡未踏の辺境の地でクマなどの野生動物と、勝手なことばかりして言うことを聞かないおじさんおばさんたちが住んでいるだけだったことでしょう。

 

 淳仁天皇に「天皇」の名を与えられたのが明治3年。それまでは天皇とさえ認められていない逆賊扱いだったんですから、今でさえろくな事を考えていないこの反社会的な村の人たちが不遇な天皇を忍んでそんな心温まる伝説を作ったとは考えられない。

 非常に不思議な遺跡なんですが、あまり注目されていません。

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日枝神社

2014年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

140503_6 昨日のことですが、毎年恒例の羽場の日枝神社の縁日に行ってきました。

 

 ちょうど御祈祷が始まった時で、神主様の祝詞が始まった頃でした。

 

 祝詞に用いられる言葉は「訓読み」の言葉で、古来から日本にあった言葉とされています。

 

 「たかあまはらにかむづまります。すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちを。かむつどへにつどへたまひ。」 なんとなくわかるようで、今ひとつわからない。でも、訓読みの日本語って柔らかい言葉で心地よいです。

 

 はたして日枝神社の山王信仰は神道なのか?仏教なのか?微妙に外来信仰と古来からの信仰が結集したような神社です。私の住む地区では薬師様のお祭りなので山伏の法院様が来て御祈祷します。来週がお祭りです。

140503_16 村の日枝神社の縁日では神楽が奉納されますが、この日枝神社では獅子舞が奉納されます。

 

 昔この地を訪れた旅人が教えて行ったという獅子舞ですが、近年はこうした伝統芸能が若い人にも見直されているようで、後継者も育っているようです。

 

 ちょうど我々50代前後の世代が空白地帯になっているようで、日教組教育が入り込んできた年代でもありますが、何より働く場がなくて外に出て行くことが当たり前だった時代の後遺症のようにも思えます。

 

 私が小学生だった頃は曜日に関係なく日にちで縁日が決まっていましたが、旧暦の日にちで動いていたと記憶しています。旧暦と言う概念ではなく、農家の暦と呼んでいましたが。

140503_13 お祭りと言えば家の手伝いをしなくてもよかったし、日頃食べられないごちそうを食べられるのが楽しみで、おでんと赤飯が何よりのごちそうでした。

 

 おでんも、子供なりに食べる順序があって、コンニャクから食べ始めて美味しいものを最後に食べるので、最後は玉子派とさつま揚げ派がありました。

 

 子供は子供で労働力でもありましたが、今より大切にされていたような気がしないでもありません。他人の子供に極力関わろうとしない現代の方がドライで冷たいような気もします。

140503_10 春祭りが終わる頃には新緑になり、田畑や養蚕が始まります。

 

 外に出稼ぎに行っていた人たちが戻ってくるのもこうしたお祭りを一つの目安にしていたみたいで、考えてみれば戻ってくる口実にもなったことでしょう。そのまま出稼ぎに行った土地に住みついた方がはるかに生活だって良くなったはずですが、「祭りの役があるもんで」と口実あるいは諦めで家族の元に戻ってきたのでしょう。

 

 小学生の頃までは時折いたんですよ、出稼ぎに出たまま戻ってこない人が。意味もよくわからないまま「逐電」なんて言ってましたが、おでんのちくわ眺めながら、あぁ、そういえばあそこんちのおやじは帰ってこなかったな。なんてことを思い出してしまいました。

140503_18 先月の12日に行った赤谷の十二様と、この日枝神社には「間引き絵馬」が掲げられています。

 

 赤谷の絵馬は現物が県の博物館に持っていかれて、レプリカが飾られていますが、この日枝神社はオリジナルで飾られています。本来、思いを込めて描かれたものですから、その地にあってこそ意味があるものですが、 保存する手間暇も難しいものです。

 

 ネコは子を産み育てているのに、人は生まれたばかりの我が子を締め殺して、母親は鬼と化す。見ていて悲しさが響く絵です。

140503_19 参拝者と「般若」の話になりました。鬼=般若のイメージが出来上がっていますが、あれは源氏物語から出た話と聞いています。

 

 ♪心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてるゥ~・・・(中略)・・・憎いニダ 恋しいニダ 憎いニダ 恋しいニダ 船が沈んで今は悔しいィ~ニダ 雨雨クネクネもっと降れ 私のいい人つれて来い 雨雨クネクネもっと降れ 北からミサイル飛んでくる♪

 

 遊び人の源ちゃんを巡り嫉妬に狂った六条御息所の生霊に苦しめられた葵上が般若経を読んで撃退する場面で、六条御息所が鬼の面をつけて出てくるので鬼と般若が重なってしまったようです。本来般若(パンニャ)は「智慧」を意味する有難い言葉なんですが、般若面は嫉妬の顔だったんですね。

 私には源氏物語の登場人物では「夕顔」が一番魅力的ですが、嫉妬に狂って鬼と化す六条御息所にもファンは多いらしく、特に女性ファンが多いとか。

 X-JAPAN復活かと言うご時世。破滅に向かって!クネちゃんの顔って現代の般若なんだろうか?

 

140503_20 神道の建造物の作りはシンプルそのもので、余計な装飾をしないのがルールになっているようですが、元のルーツが少し異なることもあってこの日枝神社は色彩豊かな彫刻や絵が満載です。

 

 天井の絵画など金剛曼荼羅を思わせる作りです。多分、密教の影響などをあるのでしょう。が、仏教ものとは絵柄が違います。

 

 日頃宮司さんがいるわけではなく、こうしたお祭りの時に開帳して風を通すだけですが、よく色が残っているものです。何よりこんな辺境の片田舎で、名もなき村人がこうした絵や彫刻を作って残したのですから、これぞ声なき庶民の力。

140503_24 あと何回この絵を見に来られるのか?引き算が始まる年齢となりましたが、子供の頃はそんなこと全然関係なくこの社殿で相撲とっていました。

 

 赤飯食っておでん食って、最後に餅まきで餅を拾って、お祭りとはそういうものだと思っていましたし、神社の意味なんぞ全然考えもしませんでした。まぁ、あまり深く考えないほうが幸せで、今年も豊作で良い年でありますようにと素朴に願うにまさるご霊験はないでしょう。

 

 本日のオマケ

140504 ちょっと変わった桜の花です。

 御衣黄と書いてギョイコウと呼ばれる桜です。花の色が緑色から黄色くなりピンク色の変わります。ややピンクがかってきましたからそろそろ花も終わる頃ですね。

 理化学研究所が研究しているのは麻婆豆腐やふえるワカメばかりではないのです。この御衣黄になんたらビームと言う光線を照射して仁科蔵王と言う新品種を作り出しています。やはり薄緑の花が最後にはピンクに変質する品種です。

 御衣黄は江戸時代から存在した品種なのだそうで、仁和寺の周辺で開発された桜だそうです。貴族のお召し物の黄色に似ているということで御衣黄の名をいただいたのでしょう。

140504a こちらでは、この桜を植えた洋ちゃんはのんべぇなので、「桜が大きく育ったらこの下で一杯飲みたいなぁ~。ヨ~レイヒ~。」と、高原のインチキヨーデルと酒飲みの妄念にとらわれれており、植えた場所が川の近く。川が近けりゃカッパが出る。

 カッパと桜とのんべぇと言えば 「黄桜」です。

 そんわけで桜の花が黄色くなったと言う言い伝えがまさにこれから流布されようとしています。

 黄桜と言えば伏見の酒。御衣黄も京都から来た桜。歴史の思惑はこんなところで顔を合わせているんですね。

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5月3日

2014年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 五月三日。ゴミの回収は休みなのでゴミの日ではありません。今日は憲法記念日です。「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」とされる祝日ですが、「国の成長」とはいかなるものなのか?あまりここにスポットが当たったことはないと思います。

 

 ♪はしらのき~ずは おととしの~♪と成長を図るのは五月五日のせいくらべですが、五月三日の国の成長は測る尺度がよくわかりません。こうした成長は武士道のようなもので、常に到達できない何者かを追いかけ精進し続けていくことに意味があるので、終わることのない自分との戦いになるのでしょう。

 

 船はひっくり返り地下鉄が追突しているような近隣諸国を「永遠のライバル」なんて呼んでいたメディアは全然成長していないどころか、最近では相手にされなくなってきました。

140503_1 こうしたゴミどもは憲法改正とともに焼却処分にしてしまいましょう。と、より高みを目指し日本の将来を考える若き爺さんたちの研究所が改装工事に入っています。居酒屋でも何でもありません、一個人の物置を改造して作られた研究所です。

 

 八代亜紀だってジャズを歌うご時世です。居酒屋風の内装にモダンジャズガンガン鳴らして語る日本の将来。実質的にはほとんど役をなさないじいさま達ですが、理研より先端を走っているような気分でいます。

 

 マイルス・デイビスやジョージ・ベンソンの写真はあったけど、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズのかっこいい写真は見当たらず、個人的にはスタン・ゲッツのJAZZなんかもギンギンのダンモでお気に入りです。

 

 コルトレーンもアヴァンギャルド以前は好きだったんですが、最後はもう何がなんだかわけ解らなくなっていて、高田馬場のJAZZ喫茶”イントロ”でもコルトレーンのアヴァンギャルド以降はリクエスト禁止になっていたっけ。

 

 だいたいあれよ、NYやシカゴのライブハウスの演奏と来日したジャズメンの演奏の落差ときたらひどいもので、向うではプロのミュージシャンがプロの演奏聴きに来ているけど、日本ではスウィングジャーナル読んで頭でっかちのお兄ちゃんがコンサートに来るので手抜きし放題でアドリブのちゃっちいこと。

 

 自前の憲法持っていないからこういうことになるんだ!なんて論議になりましたが、日本が集団的自衛権を組んでやれるだけの演奏をしてもらわねば、面倒見きれない気もします。

140503_3 基本、持ち込みですからアートとしてのお品書きでしたが、アートはゴミの再利用が基本で、金出して買ってきてはならないのです。

 

 相田みつをの色紙の裏が島田陽子のヘアヌードだったり、掛け軸をひっくり返すと春画だったり、選挙のポスターの裏側に公約の本音が書かれていたり、世の中と同じく裏を見なければ本質がわからない作りになっております。一件真っ当に見えるからと安心してはなりません。随所に毒がちりばめられています。自動車のパワーウィンドウの部品再利用して作った電気仕掛けで画面の向きが変わるテレビなど、細工物も隠し味です。

 

 ここまでやらなきゃならない孤独なおじさんたちの悲しみもわかってもらいたいけれど、妙に反社会的な空間に仕上がりそうです。

140503b そんなわけで、本日の一品は葉ワサビのお浸しと、クレソンのお浸し。

 

 どちらもその辺に生えている雑草みてぇなもんじゃねぇか!それもただお湯で煮て醤油かけただけだろう!

 

 何をおっしゃる手入れこそしていないけれど、気持ちの上では一応作っているんです。この葉ワサビだって元は祖父がどこからかとってきて植えたらしいのですが、昭和以前から代々この湧水で作っています。

 

 ワサビだって刻んでいじめてやらないと辛さを発揮しません。一件横着に見えてもそれはそこに至るまでの深い歴史と経験に裏打ちされているわけです。

140503b2 クレソン など、私が幼少の頃は台湾ゼリなんて呼んでいて、近年こそ見かけなくなってしまいましたが、どこのせせらぎにも生えていたものです。

 

 私が子供の頃は鶏のエサによく採取しました。これを食わせると卵を生む量が増えると言われていました。梅雨が近くなると黒い虫がついて葉を食い荒らすのですが、一通り食われ尽くすとまた新しい芽が出てきます。

 

 クレソンとカタカナで呼ばれるようになったのは平成に入ってからで、急にありがたみを持ってしまったのか?人間様がこぞって食べるようになってしまいました。

 

 なんだか、野にあるものを食って命をつなぐ、凄絶な食文化で生きているようで、歪んだ爺様が増えるのもわかる気もします。

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八十八夜

2014年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 ♪冬が終わった八十八夜 チャンチャン サバの味噌煮にワカメのサラダ チャンチャン あれに見えるは初美じゃないか チャンチャン 孫にねだられ甘い菓子♪

 

 スーパーに行ったら同級生の初美ちゃんが孫と買い物に来ていました。ちょっと立ち話をしていたらその隙に孫が逃げ出して一目散に駄菓子コーナーへ直行。この集中力と素早さを十数年持続できればアスリートとして活躍できるでしょう。

 

 ところで、八十八夜は何か特別なものを食べる風習があったっけ?と話題になりました。特に八十八夜に何かやった思いではなく、子供には茶摘みの歌の中でしか縁のない言葉でしたし「今頃がその季節だったんだ?」と気がつくほどでした。

 

 初美ちゃんが言うにはNSPが歌った「八十八夜」をよく聴いていたというので、そういえば高校生の頃ラジオからこの歌が流れていたっけな、と、何となく聞いてことはあるのだけれどはっきり思い出せないNSP。たしか、女子高生受けするグループだったと思いますが、あまり印象にない。その女子高生が今ではおばあちゃんですよ。わっかんねぇもんですな。

140502 桜の樹の下には死体が埋まっているんだよ。

 

 たまたま石割桜の前を通りがかったらまだ桜の花が咲いていました。

 

 地面から飛び出した岩の割れ目から芽を出した桜が成長し、根っこが岩をつかむごとく外側を張って地面に降りている桜です。

 

 昔は奥深い山の中でしたが現在は近くに広い道路が開いています。

 

140502a_2  この石割桜の下流50mほどの林の中に連合赤軍リンチ事件で殺された3人が埋められた場所があります。やっぱ桜の樹の下には 死体が埋まっていたんですね。

 

 1972年冬の事件でしたが、それまで小学生の通学に大人が同行することはよくあったんです。警戒対象はクマで、空き缶などを鳴らしながら集団登校しました。この事件が表に出たことで、私たちの近くの山にも連合赤軍が潜んでいるのではなかろうか?と言うことで、通学に大人が同行してくれましたが、鉈や鎌を手に持っての同行でした。クマより人間が恐ろしい時代の始まりでした。

 

 何度足を運んでも気味悪い場所です。

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