昨日のことですが、毎年恒例の羽場の日枝神社の縁日に行ってきました。
ちょうど御祈祷が始まった時で、神主様の祝詞が始まった頃でした。
祝詞に用いられる言葉は「訓読み」の言葉で、古来から日本にあった言葉とされています。
「たかあまはらにかむづまります。すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちを。かむつどへにつどへたまひ。」 なんとなくわかるようで、今ひとつわからない。でも、訓読みの日本語って柔らかい言葉で心地よいです。
はたして日枝神社の山王信仰は神道なのか?仏教なのか?微妙に外来信仰と古来からの信仰が結集したような神社です。私の住む地区では薬師様のお祭りなので山伏の法院様が来て御祈祷します。来週がお祭りです。
村の日枝神社の縁日では神楽が奉納されますが、この日枝神社では獅子舞が奉納されます。
昔この地を訪れた旅人が教えて行ったという獅子舞ですが、近年はこうした伝統芸能が若い人にも見直されているようで、後継者も育っているようです。
ちょうど我々50代前後の世代が空白地帯になっているようで、日教組教育が入り込んできた年代でもありますが、何より働く場がなくて外に出て行くことが当たり前だった時代の後遺症のようにも思えます。
私が小学生だった頃は曜日に関係なく日にちで縁日が決まっていましたが、旧暦の日にちで動いていたと記憶しています。旧暦と言う概念ではなく、農家の暦と呼んでいましたが。
お祭りと言えば家の手伝いをしなくてもよかったし、日頃食べられないごちそうを食べられるのが楽しみで、おでんと赤飯が何よりのごちそうでした。
おでんも、子供なりに食べる順序があって、コンニャクから食べ始めて美味しいものを最後に食べるので、最後は玉子派とさつま揚げ派がありました。
子供は子供で労働力でもありましたが、今より大切にされていたような気がしないでもありません。他人の子供に極力関わろうとしない現代の方がドライで冷たいような気もします。
春祭りが終わる頃には新緑になり、田畑や養蚕が始まります。
外に出稼ぎに行っていた人たちが戻ってくるのもこうしたお祭りを一つの目安にしていたみたいで、考えてみれば戻ってくる口実にもなったことでしょう。そのまま出稼ぎに行った土地に住みついた方がはるかに生活だって良くなったはずですが、「祭りの役があるもんで」と口実あるいは諦めで家族の元に戻ってきたのでしょう。
小学生の頃までは時折いたんですよ、出稼ぎに出たまま戻ってこない人が。意味もよくわからないまま「逐電」なんて言ってましたが、おでんのちくわ眺めながら、あぁ、そういえばあそこんちのおやじは帰ってこなかったな。なんてことを思い出してしまいました。
先月の12日に行った赤谷の十二様と、この日枝神社には「間引き絵馬」が掲げられています。
赤谷の絵馬は現物が県の博物館に持っていかれて、レプリカが飾られていますが、この日枝神社はオリジナルで飾られています。本来、思いを込めて描かれたものですから、その地にあってこそ意味があるものですが、
保存する手間暇も難しいものです。
ネコは子を産み育てているのに、人は生まれたばかりの我が子を締め殺して、母親は鬼と化す。見ていて悲しさが響く絵です。
参拝者と「般若」の話になりました。鬼=般若のイメージが出来上がっていますが、あれは源氏物語から出た話と聞いています。
♪心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてるゥ~・・・(中略)・・・憎いニダ 恋しいニダ 憎いニダ 恋しいニダ 船が沈んで今は悔しいィ~ニダ 雨雨クネクネもっと降れ 私のいい人つれて来い 雨雨クネクネもっと降れ 北からミサイル飛んでくる♪
遊び人の源ちゃんを巡り嫉妬に狂った六条御息所の生霊に苦しめられた葵上が般若経を読んで撃退する場面で、六条御息所が鬼の面をつけて出てくるので鬼と般若が重なってしまったようです。本来般若(パンニャ)は「智慧」を意味する有難い言葉なんですが、般若面は嫉妬の顔だったんですね。
私には源氏物語の登場人物では「夕顔」が一番魅力的ですが、嫉妬に狂って鬼と化す六条御息所にもファンは多いらしく、特に女性ファンが多いとか。
X-JAPAN復活かと言うご時世。破滅に向かって!クネちゃんの顔って現代の般若なんだろうか?
神道の建造物の作りはシンプルそのもので、余計な装飾をしないのがルールになっているようですが、元のルーツが少し異なることもあってこの日枝神社は色彩豊かな彫刻や絵が満載です。
天井の絵画など金剛曼荼羅を思わせる作りです。多分、密教の影響などをあるのでしょう。が、仏教ものとは絵柄が違います。
日頃宮司さんがいるわけではなく、こうしたお祭りの時に開帳して風を通すだけですが、よく色が残っているものです。何よりこんな辺境の片田舎で、名もなき村人がこうした絵や彫刻を作って残したのですから、これぞ声なき庶民の力。
あと何回この絵を見に来られるのか?引き算が始まる年齢となりましたが、子供の頃はそんなこと全然関係なくこの社殿で相撲とっていました。
赤飯食っておでん食って、最後に餅まきで餅を拾って、お祭りとはそういうものだと思っていましたし、神社の意味なんぞ全然考えもしませんでした。まぁ、あまり深く考えないほうが幸せで、今年も豊作で良い年でありますようにと素朴に願うにまさるご霊験はないでしょう。
本日のオマケ
ちょっと変わった桜の花です。
御衣黄と書いてギョイコウと呼ばれる桜です。花の色が緑色から黄色くなりピンク色の変わります。ややピンクがかってきましたからそろそろ花も終わる頃ですね。
理化学研究所が研究しているのは麻婆豆腐やふえるワカメばかりではないのです。この御衣黄になんたらビームと言う光線を照射して仁科蔵王と言う新品種を作り出しています。やはり薄緑の花が最後にはピンクに変質する品種です。
御衣黄は江戸時代から存在した品種なのだそうで、仁和寺の周辺で開発された桜だそうです。貴族のお召し物の黄色に似ているということで御衣黄の名をいただいたのでしょう。
こちらでは、この桜を植えた洋ちゃんはのんべぇなので、「桜が大きく育ったらこの下で一杯飲みたいなぁ~。ヨ~レイヒ~。」と、高原のインチキヨーデルと酒飲みの妄念にとらわれれており、植えた場所が川の近く。川が近けりゃカッパが出る。
カッパと桜とのんべぇと言えば
「黄桜」です。
そんわけで桜の花が黄色くなったと言う言い伝えがまさにこれから流布されようとしています。
黄桜と言えば伏見の酒。御衣黄も京都から来た桜。歴史の思惑はこんなところで顔を合わせているんですね。