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のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

パラダイムチェンジ

2012年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 テレビを見ないので視聴率の低さなどあまり気にしていませんが、低視聴率のNHK大河ドラマの「平清盛」ってどんな人物だったんだろう? 特に関東ではなじみもなく人気がないこともありますが、学校の歴史で教わった歴史でもゴージャスなお公家様生活をして国民をないがしろにし、平家につぶされた源氏が蜂起したような印象を感じましたが、源氏は平家を徹底的に叩いて滅亡させたけど、平家は源氏を滅亡させてはいなかったんですね。頼朝にしても義経にしても「子供」と言うことで関東に流されていて、命まではとっていない。ところが源氏は女も子供も皆殺しにしているんですから、どちらが「非道?」と問われると分かりますね。

 平清盛以前の武士は、江戸時代で言うなら士農工商のエタのような役割で、流血を嫌うお公家様の下で、血を流すような役割を請け負っていた部署。その武士が天下を握るパラダイムチェンジを成し遂げたのが平清盛で、ある意味、戦国時代の下克上や、坂本龍馬はじめ地方の下級武士が国を変えた明治維新ばりの大改革をやらかしたわけです。

 そりゃじぶなっちの権益をずたずたにされたらお公家様の評判だって芳しくないわな。

 このあたり、源氏のほうが利口で、平家を滅ぼしたあと朝廷から距離を置いて関東の鎌倉に幕府を開きました。j結局、北条に乗っ取られてしまいますが・・・

 源氏が作った幕府制度も、この時代の名残が残っていたのは現時の流れを汲む一族でなければ「征夷大将軍」を名乗れなかったことで、足利源氏の足利幕府や、新田源氏の流れを組むといわれた徳川幕府などがその典型で、豊臣は現時の流れではなかったので軍を掌握する征夷大将軍にはなれず、「関白」という朝廷の補佐として国を治めました。

 仏教には珍しく排他的な日蓮宗だって権力をうまく把握していて、朝廷の象徴でもある天照大神と、源氏の守り神の八幡様は認めているんですね。

 権力や権威は手に入れた後が大事で、そこにあぐらをかいてしまったのが平清盛の失敗だと思いますが、上り詰めてからの下り方ほど重要なものはありません。

 思えば今の日本政府など山頂で迷子になっているようなもので、そのうち崖から転げ落ちることでしょう。

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わが心は

2012年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 1970年代に読んだ高橋和巳の著書「わが心は石にあらず」にこんな一説が出てきます、ちょっと長い引用ですが・・・

 「戦争中、飛行機の操縦の訓練を受けていたものの中で、現在も民間航空機のパイロットになっているものはいる。だが敗戦末期に〈死の操縦〉を学んだものの中で、いまも操縦士であるものはいない。それは航空時間が乏しく、操縦技術においておとるからだけではない。一つの意図のもとに修得したその同じ技術を、他の目的に転用することは、別の職種に転ずることよりも心理的により困難だからだ

 ここで言う<死の操縦>はおそらく飛行機ごと敵艦に激突する特攻隊のことを言うのだと思います。確かに特攻隊の操縦する旅客機に乗せられてのフライトはご勘弁願いたいです。

 子供の頃夢中になって読んでいたマンガに石森章太郎の「サイボーグ009」がありました。悪者側に出てくる今で言うところのマッド・サイエンティストの科学者達は、かつての戦争で兵器を開発していたが、そのまま狂った方向に進んでしまった科学者や、大切な家族を失い世を呪って殺戮兵器を作り出す者などの背景がありました。

 最近の妙に分かりやすいマンガやテレビドラマと違って、子供心に考えることが多かったような昔のマンガでしたが、特攻隊にしても、方向の間違った科学にしても、その次代は正しくて正義だったはずです。

 自負が変わって「自分のやったことはなんだったんだ?」とその空虚さに接して「挫折」が生まれるのでしょう。

 戦争ほど大きな動きはなかったにせよ、私達が生き延びてきた「時代」もなかなか残酷で、「あれだけ努力したのになんだったんだ?」と歯がゆくなることは多々ありますし、時として心が冷ややかになることだってあります。

 「何ものかへの奉仕こそがその人の心を支え勇気づける」同じ著書の中で高橋和巳はこのように言っています。

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メキシコで

2012年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

120516  レーニン亡き後のソビエトの指導者を巡って、ヨシフ・スターリンと後継者争いをしていたのがレオン・トロツキー(1879-1940)です。

 ウクライナのユダヤ系家庭の生まれで学者肌で理論派のトロツキーと、グルジア生まれで実務派のスターリン、水と油のような仲ですが、スターリンの魔の手が自分に迫ってきていることを察したトロツキーは1927年、トルコを経て、フランス・ノルウェーと逃げ延び、メキシコに行き着きました。

 マンガですが「虹色のトロツキー」(安彦良和 ・潮出版社もしくは中央公論社)と言う全8巻の本が出ています。マンガと侮るなかれ、ノモンハンの会戦や関東軍の石原莞爾のことなど、昭和前半の歴史物語が興味深く描かれています。日中戦争を避けたい石原莞爾がトロツキーと手を組んで、日本軍の矛先をスターリンのソ連に向けようとする策略や、それを盗み聞きした村岡小次郎が、東条英機が石原の監視役に満州に送り込んだ甘粕正彦に密告する話など興味深いです。ちなみに村岡小次郎はテロリスト集団の血盟団の一因で、その親玉が井上日召という私の高校の先輩に当たる人物です。

トロツキーは亡命者なので、ビザもパスポートもないままにトルコ・フランス・ノルウェーと渡り歩き、1937年に終焉の地メキシコにたどり着きます。

 メキシコでは著名なフレスコ画家のディエゴ・リベラに匿われ、暗殺者を警戒した要塞のような家で生活をします。当時のメキシコは各地から革命画家と呼ばれる人たちが集まっていたようで、ディエゴ・リベラはメキシコ人ですが、こうした運動に参加していたようです。画家と政治思想と言う取り合わせも奇妙な取り合わせですが、そんな時代だったと言うことでしょう。

 「革命」なんてものを旗頭にすれば勃発するのは内部分裂。メキシコの革命画家にもスターリンよりの画家がおり、スターリンは当時メキシコを代表する画家ダヴィド・シケイロスを隊長にした。20名の暗殺団を作らせトロツキーの暗殺を謀りますが失敗します。画家がゴルゴ13を描くのではなく実演していたのですから物騒な時代です。

 暗殺者を恐れ警戒する生活を送りながらも、トロツキーの生活は決してつまらないものではありませんでした。

シケイロスの暗殺失敗事件まではフリーダ・カーロの持ち家の「青い家」に住んでいましたが、この事件をきっかけにトロツキーは引っ越します。安全のためと言う名目と、実際はフリーダ・カーロのと不倫でディエゴ・リベラとの間に不協和音が出始めたこともあるようです。

 1940年8月20日、メキシコ市郊外の家でスターリンが放った刺客にピッケルで頭を砕かれてトロツキーは絶命します。暗殺者はトロツキーの女性秘書のボーイフレンドになりすまし、トロツキーに近づきグサリとやったそうです。

120516a  さて、トロツキーと浮名を流したフリーダ・カーロなる人物。「痛みの画家」などと呼ばれるメキシコを代表する画家です。2002年には「フリーダ」と言う映画も作られ。アカデミーでも部門賞を獲得しています。

 フリーダ・カーロの人生も激しい人生でした。幼い頃わずらった小児麻痺で左右の足の長さが違い、18歳の時には交通事故で脊髄、肋骨、骨盤、鎖骨を砕き、生涯32回の種々とを受け、いつも何かしらの痛みが全身を襲っている辛い病を持っていました。自画像の画家とも言われ、自分をモチーフにした絵をたくさん残しています。ベッドに寝たままで絵を描いていたそうです。

 彼女の絵はシュール・レアリズムに属しますが、印象派のモジリアーニの絵のような華奢な人物と、男性には耐え難いような生々しい血なまぐささと言うのか、女性の持つおどろおどしい部分を描く画家でした。昨年の夏に渋谷でメキシコ女流画家の展覧会があり、彼女の絵が目玉でした。

 彼女は濃い眉毛をしていて、よく見ると左右の眉がつながっていたそうですが、彼女の描く人物画は自分がモデルなので、亀有公園前派出所の両津巡査長のように眉がつながっています。

 気性の激しい女性だったようで、革命運動はするし、結婚もしたし、浮気もするばかりか、同性愛に走ったり、ついでに離婚までしてしまった闘士型の女性画家です。これだけの女性はロシアでもいないと思います。トロツキーとの恋など彼女の人生のおまけのようなものです。

 トロツキーと言うと私の世代では既に社会主義のアラが見えていた頃なので、ソ連中国を旗頭にしたくない左派の連中が「第4インター」だ「トロツキー」だ、などとよりどころにしていた感もあり興味ももてなかったのですが、最近はそうしたしがらみもなくなり興味の一角としてとらえられるようになったと思います。

 さんざんひどい目にあいながらもスターリンの流れを汲むロシアではあまりトロツキーについては語られませんし、知られていません。もはや、タブーでもないようですが、話題にするほどの存在でもありません。

 余談ですが、メキシコの次にトロツキーが行こうとしていた国は日本だそうです。ソビエトにいた頃も日本語でサインをしたり、片言の日本語を喋ったり、日本に興味を持っていたそうです。

 実際、トロツキーが暗殺された頃、日本ではトロツキーをタンカーに乗せて日本に連れて来ようと計画が進んでいたのだそうです。

 スターリンと覇権を争ったように語られるトロツキーですが、実際にトロツキーとスターリンが顔をあわせたのはたった一度だけで、その歴史的な瞬間になぜか片山と言う日本人が立ち会っていたそうです。

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梯剛之

2012年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

120513  盲目のピアニスト梯剛之(かけはしたかし)さんのホームコンサートに行って来ました。

 中之条町の真澄さんの自宅でのピアノコンサートですが、梯さんのピアニストとしてのデビューの地でもあります。真澄さんが発掘してきて、中之条でデビューし、世界四大ピアノコンクールのロン・ティボーコンクールで1998年に準優勝。2000年のショパンピアノコンクールではワルシャワ市長省受賞。

 いわゆる世界のトップアーティストですが、真澄さんの自宅のピアノ室で、おなじみの顔ぶれを50人前後集めてのプライベートコンサートという、およそ信じられない演奏会でした。

 私はビデオ撮影の担当で、午前中のリハーサルから立ち会っていました。

 曲目はモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」、シューベルトのピアノソナタ13の「小ソナタ」、ベートーヴェンのピアノソナタ14「月光」。

 マエストロの指の動きの美しさをビデオに収めようと、事前に楽譜を読んで、両手の指の動く範囲を想定して、手持ちで撮影しました。

 午前中の練習の時には随分ナーバスになっていたので心配していましたが、わずかばかりの事前練習でピアノのクセを把握してしまうのだそうです。

 本番で「全然レベルが違う世界の人なんだな」と感心したのは、なんというのか、練習に練習を重ねて演奏を披露する苦しさなど微塵もなく、どこを切り取っても心地よい美しい響きを奏でていました。

 シューベルトってこんなに艶っぽくて色っぽい音楽だったのか、今まで堅苦しいイメージが払拭されました。ベートーベンの「月光」に至っては圧巻で、第一楽章の入り方の柔らかくスムーズな導入から、第三楽章のフォルテッシモの響きの美しさなど壮絶でした。

 真澄さんの家のKAWAIピアノは何回も聞いていますし、弾いてみたこともありますが、こんなに美しく色っぽい音が出るのか!と感心しました。梯さんがウィーンで勉強していたこともあるのか、カワイのピアノと言うよりベーゼンドルファーのような音に聞こえ、これがウィーンの音なんだなと酔いしれました。

 コンサートの後ではお茶を飲みながらいろいろ話をしました。駄洒落好きで話し上手な人で、南米でのコンサートの話題では皆が大笑いしました。

 混浴の温泉で女性が入ってきて「目のやり場に困りました・・・・・・僕は盲目なんですけどね。」と皆を笑わせていました。

 南米の片田舎でコンサートをしたとき、ピアノの調律をするのがその土地の大工さんで、これがまた大雑把な調整をするから、思い切り弾きにくいピアノだったそうですが、「これも経験の一つ」と演奏を楽しんだそうです。

 世界のトップレベルですから「すげぇ~」なんて見世物の領域ではなく、さりげなく、いつの間にか心地よくうっとりさせて、曲の終わりが近づくにつれて「もう終わっちゃう」と寂しさがこみ上げるすばらしい時を楽しんできました。

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偏狭

2012年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本で一番森林の占める比率が高い県は高知県なんだそうです。高知県には4回ほど行ったことがありますが、都市部から離れると急な斜面に林が広がる山の多い県で、およそ考えられないような斜面に家が張り付くように立ち並んでいる印象がありました。

 徳島から室戸岬に向かうときに浸かった国道55号など、それほど険しくない峠道に見えますが、台風でも来れば強風被害が出る場所らしいのですが、台風に関係なく強い海風が吹いています。

 高知県は山脈と海で天然の要塞のような県ですが、新潟県に似ていると感じました。新潟県も他の県から入るのに険しい峠を越えるか海から入るしかない県で、防衛条件に恵まれています。

 坂本龍馬のブームも落ち着いたようですが、近代日本の幕開けはこうした「偏狭の地」から生まれています。「偏狭の地」と言われれば我が家の界隈のほうがはるかに偏狭ですが、外界との接点が少なすぎるのでとぼけた人間しか出てきません。

 

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寒波

2012年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 冬に逆戻りしたような寒い一日でした。草津方面では雪が降ったようです。

 温泉の共同浴場で近所の人と桜の話になりましたが、今年は寒かったので、桜と梅が同時に咲きましたが、満開になることもなくすぐに桜が散ってしまった変な年です。今、八重桜が良い時期ですが、やはり色がいまひとつ鮮明ではありません。

 大雪で、開花期がおかしくなることはたびたびありますが、冬が寒い年は意外と良い色が出るものです。

 1992年だったと思いますが、異様な寒波が日本を覆い米が大凶作の年がありましたが、あの年も変な春でした。稲の苗を作るために籾をまいても発芽しなくて、まるで植物が芽を出すことを拒んでいるような感さえありました。

 稲と言う植物は恐ろしいもので、凶作の年には各地で同時に身を着けない現象が起きます。あの大凶作の年は日本全国のみならず、朝鮮半島や中国でも米が不作でした。

 国民の主食の米を管理する食糧庁が機能していないことが分かりましたが、これ幸いにタイ米の輸入が始まり、国民は”再び米が食えなくなるのでは?”と不安になり、買占めや米泥棒さえ出ました。

 3月になれば九州の早場米が出ることを知っている農家は”本気でそう思っているのか?”と呆れてみたいましたが、今にして思えば米農家にとっては最後のバブル到来だったんですね。

 米を管理しているはずの国がまったく役に立たないどころか、備蓄米を使うこともなく、古米にしていました。もし今年米不足になれば、何も決定できない政府ですから二の舞になること請け合いですが、馬鹿なマスコミが大騒ぎして風評を撒き散らすんでしょうね。

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ライフル

2012年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 猟師を生業としている知人にライフルについていろいろ話を聞きました。この人が使っている大型ライフルは弾丸の飛ぶ距離がおよそ6000M。象などの超大型獣などに使うライフルだそうです。

 通常のライフルは航続距離4000M有効射程距離は300M前後で、有効射程距離とは弾丸が殺傷できる威力を保てる距離なんだそうです。

 鳥などを撃つ場合は散弾銃と言う弾丸が飛び散る銃を使いますが、鳥インフルエンザが流行ったころ、山に鳥を撃ちに行ったら山の中にニワトリがチョコチョコ歩き回っていて面食らったことがあるそうです。

 チャボだったそうですが、おそらく一般家庭で買っていたチャボを、鳥インフルエンザの風評で、山にもってきて捨てたのだろうと言う話でしたが、夜になると目が聞かなくなるニワトリですから、程なく野生動物の餌食になってしまったことでしょう。

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2012年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年は「中東の春」なんて呼ばれて、中東のど独裁者が次々と倒れる年でしたが、即、民主化というわけではなく、次の独裁者を争っているような時代になってしまいました。

 1953年より続いたノボトニー独裁政権が崩れ、68年1月にはノボトニーが退陣し、「人の顔をした社会主義」をスローガンにドゥプチェクが党第一書記に就任し、検閲の廃止、言論の自由、集会の自由、市場経済の導入など謳った「二千語宣言」が発表されます。後にソビエトにとどめを刺したゴルバチョフがやったことが既にここで実験されていました。

 この流れを押さえつけようとブレジネフによってソビエトを筆頭にワルシャワ条約軍が軍が軍事介入、1968年8月20日プラハ市民に向けて銃弾が浴びせられます。ドゥプチェクはモスクワに連れ去られ改革を断念する議定書に調印せざるを得なくなり、69年にフサークが第一書記に就任し民主化への動きは全て止められてしまいます。チェコに再び春が来るのは1989年まで待たなければなりませんでした。

 東京オリンピックで大活躍した女子体操のチャフラフスカがチェコ民主化に向けても活躍したことは広く知られていますが、1980年代になってからも亡命先のUSAから世界に向けて祖国の民主化への道を訴えていたことは記憶に新しいかと思います。

 民主化が成功するかどうかは、その国の国民の民度の高さが全てではなかろうか?

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大統領就任?

2012年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 鳴り物入りでプーチンが大統領に就任しましたが、派手なイベントでした。その反面、抗議デモが相次いだようですが、波乱のスタートと言えるのだろうか?

 今日のロシアの国力は石油と天然ガスなどのエネルギーの利権を握っていることですが、エネルギー問題で世界が揺らいだ時代がありました。昭和40年代後半のオイルショックです。その以前でも太平洋戦争だって、日本への原油供給を規制した事から事態が深刻化する結果になったのですが、エネルギーとして「石油」が主役に躍り出たのは第二次大戦以降でしょう。中東で油田がはじめて見つかったのが1938年です。

 ロシアでよく言われるのはこのオイルショックのときに石油生産を増産したのが経済政策の失敗で、これがソビエトを弱体化させたらしい説。もちろんそのターゲットは日本で、原油高になろうが自前の資源が少ない日本は高い石油を買わざるをえないと原油生産を増産して日と設けたくらんだようですが、日本が省エネ改革をして原油が余る結果になってしまったようです。

 今回の原油高はおもに中国に需要が買いざさえしているのでしょうが、省エネどころか消費がますばかりですからまだしばらく続くことでしょうね。

 プーチンが狡猾だったのは、ロシアの石油の利権を乗っ取ったことで、これを背景に原油価格のキャスティングボードを握ったことで、原油価格決定がいつの間にか中東よりロシアの意向が大きくなりました。

 プーチンが乗っ取った大手石油産業のガスプロム。今度の社長はメドベージェフだそうです。

 ルールを守るより作る側に回らねばと勉強にもなりますが、声の大きな人が自分に都合よく世の中を作り安い時代なんですね。

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Стальной алхимик

2012年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム

   アニメの「Стальной алхимик(鋼の錬金術師)」はロシアでも放送されているようです。”弟よ僕を許しておくれ、お前にはすまないと思っているんだ。元も戻すことはできない、大地が連れて行ってしまったんだ”と言う歌詞で歌われる「Братья(兄弟)」と言う曲です。

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Il Divo

2012年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところKARAにも飽きてきたので、最近ちょっとは待っているのが英国の男性カルテットIl Divo(イル・ディーヴォ)。英国のグループなのになぜかスペイン語で唄っていて、国籍もスイス・米国・スペイン・フランスと、多国籍。テノール二人、バリトン一人、ポップス出身のフランス人一人の面白い組み合わせです。

 来日もしています。 

 ガブリエル・フォーレのパヴァーヌをアレンジしたIsabel。

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事件が多い日でした

2012年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 不吉な一日?でした。

 まず、お昼ごろ家事がありサイレンがなりました。たいした家事ではなくすぐに鎮火しましたが、3時ごろその火事場の近くの橋から5-60m下の川に向かって飛び降り自殺があり、また騒ぎになりました。

 もともとこの橋の近くに住んでいた人で、今は埼玉県に住んでいると聞いていましたが、顔見知りだったのでまったく知らない人ではありません。何があったか知らないけれど、わざわざ里帰りしてやることか?とめいっていたら、その夜の9時過ぎ、その橋から1kmほど上流の橋から60代の男女が二人転落。

 花見か何かで飲んで欄干にもたれて吐いていたところ、バランスを崩し、それを支えようとした奥さんもろとも30m下の川に転落したそうです。奥さんはすぐに見つかりましたがなくなりました。夫のほうは行方不明。

 この橋の下は滝つぼになっており、一度落ちると浮き上がらないと言われている場所、明日ダイバーが滝にもぐって捜索するそうですが、この連休の大雨で川も増水しており、下流の流されているのでは?

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臥龍

2012年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 臥龍(がりゅう)とは世に出る機会を伏せて待っている龍のことで、三国志の英雄の一人、諸葛孔明のことを呼ぶ別名でもあります。

 諸葛孔明は一字一句を聞かなくても要点を聞けば全てが理解できた人だそうで、彼のように頭脳明晰な人を称して臥龍と呼びます。

 論語には「一を聞いて十を知る」と言う言葉があります。孔子が弟子の子路に「君と顔回とではどちらがすぐれているのか?」と質問したところ、子路は「顔回は一を聞けば十までわかるが、私は一を聞いても二までしかわかりません。」と答えたエピソードから発生したことわざです。子路も顔回も孔子のすぐれた弟子でした。

 豊富で深い知識や経験があるだけではなく、さまざまな知識がリンクしてつながってこそ臥龍と呼ばれるのですが、イマジネーションも豊かでなければ知識のリンクはできないことでしょう。さまざまな知識や経験が相互につながりあえば、ことの要点が見えてくるはずですから、言わんとしていることはおのずとわかってくるものです。慎みもこのような先を読む目があれば生まれてくるものです。

 行間を読むということに長けている日本人は、本来このような思慮にも長けているはずです。日本的な情緒と言うのは相手を慮る感性をはぐくむことには向いていると言われています。

 中国の人は臥龍と呼ばれるタイプの知識人を好みます。確かに、こういう人は話題も豊富ですし、何よりも柔軟な理解力に優れているのでバランス感覚に優れています。英語でスマート(smart)は利口という意味ですが、切れる人は立居振舞も雅です。

 中国の人々にとって臥龍と呼ばれることは誇れることなのですが、臥龍になろうとしてとんでもないことをやらかすのも彼らの特徴です。こちらの意見や話をろくに聞かないで、勝手に判断してピントはずれなことをやらかします。「臥龍」と言うよりも「我流」に近い早とちりと言うやつですね。

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大ニュースだと思うけど

2012年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 え?っと驚くニューであるはずが、あまり問題になっていないみたいです。

 自宅軟禁から逃げ出して米国大使館に保護されていた中国の盲人人権活動家の陳光誠(チェン・グアンチョン、日本読みではチン・コウセイ)氏が、病気のために中国の病院に入院したニュースが流れていました。

 この先待ち受けているのは中国側に身柄が引き渡され、再び自宅軟禁か?意味不明の死を遂げることでしょう。

 問題は?何故アメリカ政府が病気とは言え人権運動家の身柄をそんな「権的」な環境下に放り出したか?で、なにやら裏にきな臭い取引があったような気がします。中国政府が陳氏の家族の安全に対して脅迫をしていたと言う話もありますが、もし同じことを日本がやらかしたら?国際的な非難の集中砲火になることでしょうが、卑しくも自由の旗手を自覚しているUSAがやらかしてよいことなんだろうか?こうした圧力に屈しないのがUSAの自慢ではなったんだろうか?

 何か裏があるようで、大ニュースだと思うのですが、中国ってやっぱそういう国なんですね。

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「手」と「士」

2012年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 関越自動車道のバス事故の運転手は日本語もろくにわからない帰化中国人だったそうです。

 「運転手」と「運転士」の違いは大きいのです。プロのドライバーの場合「運転士」と記されるのはそれに見合う報酬と責任を持っていることで、免許を持っていれば済むと言う問題ではありません。

 大勢の人が乗るバスの場合当然責任も大きいわけですが、このあたりは自動車の運転を生業とする人たちのほうが良くわかっていて、強引なクモスケトラックドライバーも、バスが相手の時には優先して道を譲ってくれるほど、バスの運転は神経を使います。

 中国の長距離バスに乗ったことがある人は少ないと思いますが、4-500kmの道をノンストップで、アクセルを床まで踏みつけて突っ走るのが常識で、事故が起きれば走る棺おけ状態ですが、こんな状況下で育ってきた人が日本の決め細やかな運転ができるとは疑問ですが、彼らの感覚からすれば日本の運転手など楽だと考えているんでしょうね。

 日本人に帰化したとは言え、命の感覚がまったく異なる国で生まれ育ってきた人達にこうした責任が思い仕事を任せるのはいかがなものか?「差別」をたてにする人たちも自分の責任を考えてもらいたいものです。

 一頃航空業界でスチュワーデスにパートタイムを使うことに対して、事故の際の誘導などできるのか?と問題になったことがありましたが、陸送だって「運転士」にはこうした安全管理の義務があるはずです。責任が思い仕事だから故宮で優遇されるのが筋ですが、この何年かでどうやらこうした考え方が変わってしまったようですね。

 安い労働力であれば言葉なんかできなくても、なんて考えが経営者にもあったのだろうか?もちろん、こうした問題をないがしろにしてきた国土交通省の行政責任も大きいと思いますが、この1-2年で労働環境が悪化していることはよく耳にします。厚生労働省が手を抜いているとしか思えませんが、労働基準局も形ばかりの安全衛生ばかりではなくもう少し踏み込むべきでしょう。

 今回のような大事故が起きれば国土交通省と厚生労働省の課長クラスのクビが吹っ飛ぶくらいの責任を持たせなければ、良い改革案など出てこないでしょうね。

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