のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

登山家

2012年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 新潟のロシア領事館総領事がキャンプ場でボール遊びをしていて崖から沢に転落して亡くなる事故がありました。

 そういえば、以前ロシアのバーベキューサイトで、むくつけきロシアのおじさんたちがバーベキューの後サッカーをして子供のようにはしゃいでいる姿を思い出しましたが、大方この総領事も一杯飲んで仲間とボール遊びをしていて事故にあったんでしょう。

 ヒマラヤでは登山家の竹内洋岳さんがダウラギリⅠ峰に登頂し、8000m14座全てを登る快挙を成し遂げました。8000m全座登頂者は28人目です

 ラインホルト・メスナーが8000m14座全て無酸素で登頂したのが1986年。その後、ポーランドのイエジ・ククチカが14座登頂に成功。それにつづくのが9座に登頂成功していた山田昇さんといわれていましたが、1989年2月にマッキンリーで亡くなってしまいました。

 メスナーは無酸素登山、ククチカや山田さんは冬季登頂や未踏ルートなど開拓者としての側面もありましたが、こうしたバリエーションも出尽くし、近年では8500m以上でなければ無酸素登頂も評価されない時代になってしまいましたが、竹内さんは横目を降らずクレバーに14座登頂をターゲットにして痕跡はそのルート選択でも分かりますが、ほとんどの登山を無酸素でやっているのはたいしたものです。

 登山なんて反社会的、非生産的な道楽と認識しているのは登山家達ですが、日本ではなかなかスポンサーを見つけ出すことも難しいのが現実。国を挙げて応援してくれる韓国で4人の全座登頂者がいるのと比べ、日本は恵まれていません。

 メスナーといえば、日本の登山用品販売店のニッピンがバックアップしていて、ニッピンの招待で来日したメスナーの講演を聞きに行ったり、富士山に登ったことがあります。

 メスナーは山田さんや植村さんのようにシャイな性格ではなく、ある種の登山家特有の押しの強さと言うのか、自分中心の我の強さがある人物でした。

 山田昇さんは昔からやんちゃで天真爛漫な性格でしたから、自然と周りに人が集まるような性格でした。植村さんは人との軋轢が嫌で単独行に向かったような人柄でした。メスナーは「この人と一緒には行きたくない」と思わせるよな、よく言えば哲学者悪くいえば偏屈な人物でした。

 以前、カムチャッカの山で出会ったポーランド人登山家とククチカの話題になったことがありましたが、「登山技術はともかく人間性には嫌な奴だった」と言っていました。1979年にククチカは最初の8000m登頂として難攻不落のローツェ南壁を登頂し、山岳雑誌でその快挙が取りざたされましたが、後にこの南壁登頂は「不完全」としてただのローツェ登頂に記録は改められました。14座登頂後の1989年、再びローツェ南壁に挑んだククチカは8200m付近で転落して亡くなっています。

 竹内さんはどんな人柄?あったことがないので分かりませんが、礼儀正しい人物みたいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする